第8話 邂逅

 どくんどくんと、自分の心臓の音がうるさいくらいだった。

 足ががくがくと震えるのを我慢するので精一杯。


 また日本人?


 内閣から来たのか?


 しかも公安?


 ぐるぐると回る頭を持て余していると、そんな事に気付かずレティシア様が声をかけてくる。


「こちらレイカ・テシガワラです。見て分かる通り、カナトと同じ『黒髪』の方で、カナトと同じところからきたそうなのです。あと五人ほどお連れの方がいらっしゃいますが、今は別室で待機してもらってます」


 そんなレティシア様に「感謝する」と頭を下げる勅使河原玲華さん。


「まぁ、お掛けくださいな」

「重ね重ね、すまない」


 さっきまで僕とユキノの話に顔を真っ赤にしていたレティシア様は、今はそんな様子はおくびにも出さない。そんな様子はさすが立派に領主を務めているだけある、と思う。


 レティシア様に座るよう薦められた玲華さんが、レティシア様の横に腰かける。その様子は堂々としていて、初めて来た異世界で領主の屋敷に招かれたというのに、委縮するようなそぶりは欠片も見えない。

 ちなみの、後ろの大柄の男性は玲華さんの後ろに直立不動で控えている。いかにもSPという感じだ。


「我々はそこの神木奏友と同じく、この世界とは別の世界――異世界の日本という国から来た。そして我々の任務の一つは、その神木奏友以下三名を日本に連れて帰ることだ」


 単刀直入に玲華さんがそう言うけど、レティシア様は「はぁ」と首を傾げる。


「さきほどもお聞きしたのですが、その……別の世界、というのがいまひとつ意味がよく分からないのですが」

「さもありなん。私も10年以上前に同じ話を聞かせられれば、頭がおかしくなったのかと一蹴した事だろうな」


 レティシア様の言葉に、頷く玲華さん。


 そこからは、レティシア様と玲華さんがお互いの世界の説明を交わすのを聞いていた。もちろん、両方の事情を分かっている立場として、間に立って説明を挟んだりはする。


 そして一通り説明が交わされたあと、レティシア様がこちらを見て何事か考えながら言う。


「つまり、そちらのカナトのような一部の者から『耳なし』と呼ばれている者は、異世界のニホンという国から来たというのですね? そして彼らは異世界にも彼らの帰りを待っているご両親がいて、レイカさんは彼らをニホンに連れ戻すために来たと」


 レティシア様は、彼女からすれば突飛ともいえる説明を黙ってよく聞いていた。

 そして、それを彼女なりとはいえ一通り理解することが出来た、というのは凄い事だと思う。やはり、若くして領主を務めるだけあって、頭の回転の速い人なのだ。


「理解が早くて助かる。しかし、こちらも驚きだ。この世界に住んでいるのはエルフェンという種族で、しかも不老で長寿命というまさに理想的な種族だ。ふっ、それを知ればなんとしてもこちらの世界に転生したいと考える老人もいそうだがな」


 玲華さんが皮肉気な笑みを浮かべる。


 でも、レティシア様はふたたびこてんと首を傾げる。


「とはいえ、それはあくまでカナトたちの問題で、わたくしが口をはさむべき問題ではないのでは? カナトはニホンに帰りたいのですか?」


 そう言って、こちらを見るレティシア様。

 さすがレティシア様は問題を理解したうえで、どうしてそれの話を自分の所へ持って来たのだろう、という疑問を持っていた。


 そう、これは


「すみません、こちらの世界にも両親がいるので、こちらの両親を置いて行くわけには……。こっちで友達も出来ましたし……」


 僕がこう言えば済む話なのだ。


 前回は動揺したユキノが相手を殺してしまったけど、あれから一月。僕たちもゆっくり考える時間があった。考えたうえで出した結論が『こっちの両親や友達が心配だから』で押し切る方法だ。

 いろいろツッコミは入るかもしれないけど、基本的にこの路線で押し切れば、相手も無下に否定もしにくいだろうし問題ないはずだ。


「カナトは、そう言ってますので……」


 僕の言葉を聞いたレティシア様が、心なしか嬉しそうに玲華さんに告げた。


 だけど玲華さんは表情を少しも変えることなく深く頷くと、話題を変えてくる。


「さきほど、我々の任務の一つ、と言ったな。そう、我々にはもう一つの任務が与えられている。それは――」


 僕を射抜くような鋭さで向けられる、玲華さんの怜悧な瞳。


「神木奏友一行には、外務省参事官日向明子殺害の容疑がかかっている。強制的に身柄を拘束したいので、この地の責任者である領主の許可を貰いに来た」

「え……?」


 ……いま、なんて言った?


 殺害容疑?


 身柄を拘束?


 今度こそ、足元がガラガラと崩れるような感覚。


 思わず腰を浮かせかかる。

 すると、後ろに控えていた大柄なSPが僕と出口の間に立ちふさがった。


「九鬼、逃がすなよ」

「分かっているであります、勅使河原さん」


 余裕の笑みを浮かべる玲華さんと、酷く真面目な顔で頷く九鬼と呼ばれたSP。


 どくんどくんと、心の蔵が早鐘を打つ。


 日向さんたちを殺したことがバレている?


 どうして?


 思わず横を見て、びくりとする。

 ユキノは以前も見た感情を感じさせない絶対零度の瞳で玲華さんを見つめていた。今にも背中のフランベルジュに手をかけそうなその様子に、思わず手で静止の合図を送る。


 今はさすがにマズイ!


 前回と違って、九鬼と呼ばれたSPは明らかにこちらを警戒している。それに外務省の人だった日向さんと違って、玲華さんは公安の人でいかにも運動神経よさそうだ。黙ってやられてくれるとは思えない。

 それになにより、今は目の前にレティシア様がいる。

 この地を収める領主の目の前で殺人を犯したら、さすがにもう言い逃れは出来ない。


 どうするべきか考えている僕の前で、レティシア様はいつもと変わらない声で問いかける。


「すみません、ヒナタ、というのはどなたなのでしょう?」

「そうだな、今から一月ほど前、日本の私と同じところから日向明子という者がこちらの世界に来たはずなのだ。だが、それがこの辺りで日本人らしき三人の男女を発見した、と連絡があった後に消息を絶った」


 僕たちと日向さんが会っていた事がバレている?

 そこで、日向さんが僕たちと話す前、スマホに向かって何事か話していたのを思い出した。


 日本と連絡を取っていたのか!


 考えてみれば、当たり前のことだ。

 スマホなんて見たのは20年ぶりだから、そこまで考えが回らなかった。この異世界でどうやって通信しているのかは分からないけど、日本からこの異世界まで直接やって来るのだ。通信くらいはどうにかなるんだろう。


「申し訳ないのですが、それは間違いのない情報なのでしょうか?」

「当然の疑問だが、間違いのない情報だ。通信……と言って理解してもらえるのだろうか? 電話……も駄目か? 遠くの者と話ができる技術があるのだ。それによって『三人の日本人らしき若い男女を発見した、今から接触してみます』との連絡があり、その後消息を絶った」


 僕が動揺している間にも、レティシア様と玲華さんとの会話は進んでいた。

 なんとか僕も会話に加わらないと、と思いなんとか口を開く。


「で、でもそれは僕たちが殺したとは限らないよね?」

「む、そうだな。だから厳密には容疑者ではなく重要参考人だ。しかし身柄の拘束はさせてもらう。日本に連れて帰ること自体が任務でもあるし、日本へ連れて帰って事情を聞かせてもらう」


 よ、容疑者ではないのか……。

 とはいえ、拘束される訳にはいかないし、日本に帰るつもりもない。


 そんなことを考えていると、レティシア様が頬に手を当てて首を傾げた。


「根本的な事なのですが……どうしてカナトがヒナタを殺さないといけないのでしょう? ヒトがヒトを殺すなど想像も出来ない恐ろしい事で、カナトがそのような事をするとは思えません。それに、以前住んでいた所から迎えが来て、別の世界のご両親に会うことが出来る……良い事ではないですか。なぜ殺さなければいけないのか……正直レイカの言っている事には無理があるような気がするのです」


 レティシア様はその無垢な瞳で、純粋に意味が分からない、という風に言った。


 その無垢で鋭利な言葉の刃は、僕の胸にぐさりと刺さる。

 ごめん、レティシア様……。日向さんを殺したのは僕たちだし、過去に嫌な事がたくさんあって、もう二度とそこには戻りたくない、と考えている人だっているんだよ……。


 玲華さんは「ふむ……」と言うと腕を組んで、少しの間口をつぐむ。


「私は専門家ではないので詳しくは分からんが……、おそらく日本での生活に良い思い出が無くそこへ戻りたくない……現実を直視したくないのだろう。嘆かわしい事だが、現在の日本にはそういう者は大勢いる。社会に適応できず、かといって自分から居場所を作り出すことも出来ない――弱者がな」


 玲華さんの瞳が、強い光を放つ。


 しかし、その瞳は僕に向けられてはいたけど、僕を見てはいないと感じる。

 それはどうにもならない世の中への怒り、の様な色を帯びていた。


 なんとか反論しないと、と思い口を開きかけた時――


「違います! カナトは弱者なんかではないのです!」


 がたりと音を立て、レティシア様が立ち上がった。


「カナトは……カナトはB級冒険者となったのです。弱者なんかじゃないのです!」


 レティシア様は潤んだ瞳で、ふるふると震えながら玲華さんを睨みつけていた。


 レティシア様……。

 僕の為に、そこまで……。


 玲華さんは瞳に宿っていた強い光をすっと収めると、すこし興をそがれたような表情で「ふむ」と呟いた。


「B級冒険者、と言われてもよく分からんな。……それは凄い事なのか?」

「え? そうだね……」


 玲華さんに聞かれて、考える。


 B級冒険者になれる者というのは限られているが、ものすごく珍しいという訳でもない。ベテランの中でも一握り、エース級の人材がB級だが、その上には英雄級ともいわれるA級やS級が存在する。それにもちろんB級の中でも上位の者と下位の者が存在する。


「そうだね、野球で言うとなんとかプロ球団の一軍にすべりこんだ、位かな?」

「ぷっ」


 日本の人にも分かりやすいように野球に例えて話すと、玲華さんが噴き出した。

 ……玲華さんが笑う所を初めて見たな。


「そうか、プロの一軍か、それは大したものだな」


 玲華さんはそう言うと、すっと立ち上がり


「あれは、あくまで一般論として言っただけで奏友君を侮辱する意図はなかった。すまない、謝罪する」


 そう言って頭を下げた。


「い、いえ、そんな! いいですよ!」

「そ、そうです。わたくしこそ申し訳ありません!」


 僕とレティシア様も、つられてぺこぺこと頭を下げる。


 ……正直、玲華さんが素直に謝罪するとは思わなかった。

 勝手なものでちょっと頭を下げられただけで、玲華さんへの僕のイメージは『僕を追求するために来た敵』というものから、少しだけ軟化していた。


 玲華さんは再び腰を下ろすと、はぁとため息をつく。


「やはり無理筋か、まったくあの部長にも困ったものだ……。奏友君、私の権限で君への容疑をここで取り下げる」


 僕の目を見て、玲華さんはそう言った。

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