第3話 参事官
日向明子と名乗ったその女性は50代位のふっくらとした体格で、人の良さそうな笑顔を浮かべた上品な女性だった。
一緒にいた三人の男性は日向さんの一歩後ろに控え、会話に入ってくる様なそぶりは見せない。
呆然としていた僕たちに気付いたのか、日向さんが苦笑すると軽く頭を下げる。
「突然御免なさい。この世界に来ていきなり日本人と会えるとは思ってなかったものですから、気が急いてしまいました」
だけど、僕の頭はいまだにぐるぐると混乱したままだった。
そんな僕の代わりに、ユキノが首を傾げながら問い返す。
「日本人? おばさんは日本から来たってことぉ?」
「そうです。異世界に魂が拉致され昏睡状態になった五人の日本人の魂を救うために、内閣府から派遣されてきました」
混乱する僕に、さらに新しい情報が投下される。
魂が拉致?
昏睡状態?
五人の日本人?
ノアがおずおずと手を上げてから、口を開く。
「……あの、すいません、私たちは前世の日本で死んで、この世界で生まれ変わったんじゃないんですか?」
その言葉を聞いた日向さんは、目をまるく開いてきょとんとした後、納得したように頷いた。
「なるほど、あなたたちはそういう風に認識している訳ですね? 考えてみれば納得です。見たところ文明レベルも低そうな世界ですし、家族などに連絡を取ることも出来ず事情を知る者もいない。短波も長波も電波の類は飛んでいないようですし、インターネットなども無いのでしょう」
日向さんはうんうんと一人何度か頷いた後、僕たちの顔を見回す。
「結論から申し上げると、あなた達は死んでいません。20年前に発生した突然5人の日本人が昏倒し意識を失う事故の被害に遭い、今なお昏睡状態ですが生きています」
「死んで……ない……?」
茫然としたまま問い返す。
「はい。この事件はメディアなどでも盛んに報道され、注目を集めました。そのため、事態を重く見た内閣府により異世界拉致問題対策本部が設置されています。私も外務省からの出向ですが対策本部のメンバーとなりましたので、今回こちらに派遣されて来たのです」
いまだ混乱する僕たちに、日向さんは順を追って説明してくれた。
まず、事態は20年前に5人の日本人が突然昏倒し意識を失う事件が起こる所から始まる。
被害者は全員日本人で、性別・年齢・住所はバラバラ。それが同時刻に突然意識を失った。原因不明の奇病なのではないかとワイドショーなどを賑わしたが、専門機関などでいくら調べても原因は不明、どこに原因があるのか全く特定できなかった。
原因は全く分からず、被害者はいつまでたっても意識不明のまま。
何の進展もない事から次第に忘れられ、人々の意識から消えていくかと思われた時、ブレイクスルーが起こる。
僕たちが意識を失ってから10年後、海外のある機関で『魂』の観測に成功したのだ。
そしてこの機関で僕たちを調べてもらった結果、魂が存在していない事が確認される。
普通は魂が無くなれば『死』となるわけだけど、僕たちの状態は厳密にいえば魂が無い訳ではなかった。魂がどこかに連れ去られているような状態で、本来僕たちの魂が存在するべき場所からどこかに薄いラインのようなものが繋がっていて、それが僕たちを死に至らしめていないという。
機関はそれを『魂が別の世界に拉致された』と表現した。
僕たちとどこかを繋ぐラインは途中で虚空に消えているけど、確かにどこかに繋がっていて、僕たちの肉体はまだ生きている。
それは再びワイドショーなどで大きく取り上げられた。
仮に『異世界』と呼んでいたけど、本当に異世界なのかは分からない。この宇宙の他の惑星なのか、別次元に存在する別の世界なのか、本当の所は全く分かっていなかった。だけど、人の魂が異世界に拉致された、というセンセーショナルなワードは大きな話題となった。今まで知らないふりをしていた政府が重い腰を上げざるを得なくなるほどに。
ここで、内閣が『異世界拉致問題対策本部』を設置する。
対策本部は専門機関や民間企業と協力して、この事態の究明に乗り出した。政府の面子もあったが、『異世界』の存在をほのめかす研究結果に様々な大企業やベンチャー企業が興味を示し、世界中の頭脳が解明に協力を惜しまなかった。
そして成功した。
僕たちからどこかに向かって伸びる細いラインをたどって、人を向こう側の『異世界』に送り込む技術が発見された。
それが今から一年ほど前。
19年前から昏睡状態になっている被害者を助けることが出来るかもしれない、という感動的なストーリー。そして、かつてない巨大なフロンティアの到来を予感させる事態に、世の中は沸き立った。
「そして私達が、拉致被害者の救出のため派遣されてきました。被害者の日本人を探すのは時間がかかるかと思ってましたが、ここで三人にあえたのは幸運でした」
日向さんは、こちらを見てにっこりと笑う。
「私達の所有している機材で、日本に帰りましょう。そうすれば、あなた達は日本の元の身体で目覚めることが出来ます」
僕達にとって衝撃的な言葉と共に。
「お父さんとお母さんに会える……? 本当に……?」
ノアが、呆けたような声で言う。
だけど、僕は何と言って良いのか分からず言葉が出ない。
日本に……帰れる?
いや、帰らないといけないのか?
素晴らしい異世界から?
この世界にも生んでくれた両親がいるっていうのに?
日向さんは言葉を失った僕たちの前でスマホに目を通すと、話を続ける。
「確認ですが、こちらにいらっしゃるのは神木奏友さん、天羽征乃さん、早乙女望愛さんで間違いないですか?」
「あ、うん、そうだけど」
「……そうだよぉ?」
「はい、間違いないです」
頷いて返す僕たち。
天羽征乃はユキノの前世の名前で、早乙女望愛はノアだ。前世ではユキノは女子高生、ノアは大学を卒業したあと図書館の司書をしていたらしい。二人とも僕と同じで前世ではあまり楽しい事はなかったようで、前世の事は話したくないみたいだったので詳しくは聞いていない。僕も話していないし。
「ありがとうございます。そちらの事もお聞きしておきたいのですが、神木さんたちはこの異世界で普通に生まれて育っている、という理解でよろしいですか? 最悪のケースとして、誰かが人為的に今回の魂の拉致事件を起こし、魂を何者かに利用されている、というケースも考えていたのですが」
「う、うん……。そうだね……」
そして、日向さんにも軽くだけど説明する。
僕たちがこの世界で両親から普通に生まれ、生きてきたこと。過去にも日本からの転生者は何人もいたらしいけど、この世界ではたまにそういう人が生まれてくる、以上の事は分かっていないこと。そして、僕たち三人以外の転生者には会った事がない事。
「そうですか、人為的な事件という線は無いと考えていいみたいですね……。それでは、早速ですが神木さん達には私と一緒に日本に戻っていただきたいと考えています。20年ぶりに日本に帰れるのです、ご家族も喜んでくださいますよ」
「あ…………」
日向さんはにっこりとして言ったけど、告げられた言葉に僕は動揺してしまった。
普通に考えれば生活している時に突然意識を失い別の世界に飛ばされた人が、元の世界に戻れるのだ。喜ばしい事のはずだ。
だけど、元の世界にはなにひとつ良い事なんてなかった。あったのはキツイだけで安月給のブラック企業と、顔を合わせると嫌味を言うばかりの両親。
この充実した世界を捨てて、元の世界に戻るのか?
「ち、ちなみに元の世界の僕と両親は……どんな感じなの?」
「あ、すいません。その説明もするべきでしたね」
聞くと日向さんは軽く頭を下げると、ふたたびスマホを操作し始める。
「えーと、神木奏友さんは事故発生当時35歳でしたから、現在55歳となっています。今も病院の一室で寝たままで、事故当時所属していた会社は解雇となっていますので、現在どこかの会社に所属はしていません」
あ、あのブラック企業クビになったんだ。
まぁ20年経ってるなら、そりゃそうだよね、って感じだけど。
「そして、ご両親はどちらもご健在で、お父さんは現在87歳、お母さんは85歳です。お母さんは比較的しっかりしていらっしゃいますが、お父さんはかなり痴呆の症状が出始めております。どちらも足腰がかなり弱っていらして日常生活に困難を感じており、ご子息の奏友さんが戻ってきて自分たちの面倒を見てくれることを希望されています」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
痴呆? 日常生活に困難? 自分たちの面倒?
つまり僕は今50代の無職で、年老いて介護が必要な両親の面倒を見るために日本に戻らないといけないって事?
日本にいる頃は、毎日毎日顔を合わせると僕の人格を否定するような事しか言わなかったのに?
自分たちの面倒はしっかりと見ろと?
「……なんだよ、それ」
ふつふつと、煮えたぎるような感情が湧いてくる。
そうだ、忘れていた。日本にいたころは、こんな感情に支配されていたような気がする。
ふと隣のユキノの方を見て、びくりとした。
そこにあったのは、ガラス玉のような虚ろな瞳。いつもにこにことして笑顔を絶やさないユキノは、何の感情も宿さない能面の様な表情でこちらを観察していた。
「……カナトは、日本に帰りたいって、思う?」
「い、いや、日本には何も良い思い出は無いし、出来たら帰りたくないよ。しかもその理由が両親の介護のため、なんて正直勘弁して欲しいんだけど……」
ユキノの無表情な瞳に見つめられ、思わず本音が漏れる。
帰りたくない、帰りたくないけど、どうしたらいいんだろう。
相手は正式に内閣府から来た人間だ。相手にもメンツがあるから簡単には引き下がらないだろうし、拒否するにしろもっともらしい理由が必要かもしれない。単に「親の介護するのが嫌です」では世間的にどうなんだろう、って正直思うし、まさか手の中の剣を振りかざして暴力に訴える訳にもいかない。
考えていると、ユキノは能面のような表情を一変、いつものにこにことした笑顔を浮かべた。
「だよねぇ~~。カナトはそう言うと思ってたよぉ~~、やっぱカナトはわたしの『味方』だよねぇ?」
ユキノはへらっとした笑顔でそう言うと、鼻歌を歌いながら日向さんの方へと歩いて行く。
「何だ?」
「武器を持ってそれ以上近づかないでいただきたい」
すると、後ろに控えていた男性三人がユキノの前に立ちふさがる。
そこで僕にもやっと理解できた。彼らは外務省所属の日向さんを護るSPだ。
彼らはユキノが背中に背負っているフランベルジュを警戒していた。僕らはさすがに見慣れてしまったけど、確かに日本人的な感覚からすれば、あんなに大きな剣を背負っている人が近づいてきたら不審人物どころの騒ぎじゃない。
「ユキノ、背中の剣を……」
何をするのか知らないけど、背中の剣を預かるよ、と声をかけようとしたその時。
ユキノが自分の目の前に右手の掌をかざした。
え? この仕草は――
右手を振り払うように水平にさっと動かすと、宣言するユキノ。
「
ユキノの瞳が紅い光を放ち、それに呼応するようにSPの男性三人の身体から噴き出すように出現する炎。
「うわあっ、炎!?」
「な、なんだこりゃああああっ!」
「ぎゃああああああっ!」
炎に包まれ、ごろごろと地面を転がるSP達。
「ユキノ、何を――」
止めないと、これはマズイことになるんじゃ!
そう思った瞬間、ユキノのセミロングの黒髪がふわりと舞う。
たんっ、と軽やかな音が響き、次の瞬間ユキノはフランベルジュを抜き放ち日向さんの目の前まで迫っていた。
「あなた……何を!」
「日本からわざわざご苦労様ぁ。そんで、お疲れさまでしたぁ~~」
ずぶり、とフランベルジュが日向さんの胸に突き刺さった。
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