第31話 決意と進化と覚醒と
ようやく泣き止み始めたころ合いを見計らうように、父さんが私に「落ち着いたか」と聞いた。
まだ父さんは私を抱きしめてくれているので(先に抱きついたのは私だし、まだ父さんのシャツを握りしめてるけど)、私はコクンと頷いて応えた。
でもそれでまた、父さんのシャツを濡らしてしまったことに気づいた私は、あわてて父さんの顔を見ようと、自分の顔を上げようとして・・・止めた。
たとえ一瞬だけでも父さんまで薄く視えるかもしれないと思うと、怖くて見ることができない。
誰のことも、自分自身の姿でさえ、今は見たくない。
その瞬間から私は「人が薄く視えることがある現象」に対して、本格的な恐怖心を抱いてしまったことを自覚した。
「雅希?」と聞く父さんに、私はうつむいたままボソボソとした声で「ごめん・・おとうさんのシャツ、濡れちゃった」と言った。
「いいよ別に。着替えりゃいいだけだし」
「もう
「そうか、分かった。じゃあ父さんは電話してくるから、おまえは
「え・・・うん」
「すぐ戻るからな」
「え?」
父さんの答えは私の予想外だったので、私は思わず父さんのほうを「見た」。
あっ、と思ったときにはもう父さんの姿を見た「後」だったけど・・・父さんは薄く視えない。
私は心の底からホッとしたのと同時に、「誰か(人)が薄く視えるかもしれない」という恐怖心からほんの少し解放されて、本来の“落ち着き”を取り戻したような気さえした。
「なんだよ」
「・・・“なんだよ”じゃないでしょ。仕事は?」
「フィジカルトレーニングの指導は非番のときしかしてねえから、今日は元々“仕事休み”だ」
「あ・・・そぅ」
「だがトレーニングの指導役を他のヤツに頼む必要あるから、そのための電話連絡してくる」
「私ならもう大丈夫だって・・・」
「あのなぁ雅希」
「・・・なに、父さん」
「おまえは“大丈夫”と言ってるが全然説得力ねえんだよ」
「父さん・・・」
「おまえはかなり狼狽えていた」
「根拠は」
「俺のこと“お父さん”って呼んだだろ」
「あ・・」
「しかもおまえは“お父さん”を連呼したうえ、ついさっきまで俺のことを“お父さん”と言った」
「え、そうだっけ。覚えてない」
「ったく白々しい言いかたしやがって。おまえが狼狽えてるときや不安がってるときは、“父さん”が“お父さん”になるってことくらい、俺は学習済みなんだよ」と得意気に言う父さんを、私は睨み見ることでしか、自分を応戦することができなかった。
だって父さんが言うことは当たってるから。
「それにな、滅多に泣かねえ俺の娘があんなに大泣きしたところを初めて目の当たりにしたんだ、“お父さん”がなくてもおまえに何かあったことくらい、父親の俺じゃなくても分かる」
「そっか・・そう、だよね。ごめん、父さん。心配かけて」と言う私の頭を父さんはクシャッと一撫ですると「電話かけてくる」と言って、私の部屋から出た。
そして父さんは、私の部屋から出るとすぐにまた私のほうを振り返って「父さんはできる限りすぐ戻るからな。それまでおまえは部屋から絶対出るなよ」と言い残すと、今度こそ、私の部屋から離れて行った。
・・・父さんは私に心配かけまいと、努めて普段どおりにふるまってたけど・・・実は動揺してるのは「やっぱり」、というべきか。
さっき私の髪をクシャッと撫でてくれたときの父さんの手は、微かにだけど震えてた。
そりゃそうだよね、さっき父さんが言ったとおり、滅多に泣かない私が、記憶にある限り生まれて初めて大泣きしたんだもん。そんな娘の姿を見ただけでも、父さんにとってはすごくショックだったはず。
しかも大泣きの理由が「嬉しいこと」じゃないのは、まだ事情を聞いてなくても明らかで・・・。
警察の仕事に就いてる職業柄、普段から「中庸」であることと「冷静」でいることを誰よりも心がけている父さんが、他人にも(ほんの少しだけ)隠しきれないほどに動揺するのも納得、っていうか・・私だってショック受けてるし、動揺もしてる。
だからこそ「お父さん」って・・咄嗟に呼んでしまってた(それだけでも父さんが動揺した十分な理由になる)。
ごめんね、父さん。こんな形で心配かけて。動揺もさせてしまって。
私はハァとため息をついた。
さっき父さんは私に、部屋から「絶対」出るなって言った。
ということは私、霊障にかかってるのかな。
人が薄く視えることがある現象って・・私自身まで薄く見えたのも霊障が原因―――?
違う。もし霊障のせいだったら、まずこんなに長い間(2ヶ月くらいだけど)続く(といっても現象は毎日起きてはいない)はずがないし、一緒に暮らしている家族の誰かが「すぐに」気づく。私たち子世代よりも高い霊力を持ってる父さんや、叔父さんたちだったら「絶対にすぐ気づくはず」だ。
私と一緒にいることが一番多い忍だって、何ヶ月も霊障に気づかないほど霊力は低くない。
じゃあ原因はなんだろ・・・考えても考えても答えは「分かんない」。
私はもう一度、ハァと深いため息を一つつくと、ヨロヨロと歩いてベッドの淵に腰かけた。
頭は重しが乗ったように、自然と垂れる。
そうして俯いた拍子に、私の視線は自分の手に行っていた。
「・・ぁ・・」
思わず顔を上げた私は、両手を顔の前までかざして、意識しながらまじまじと見たことで、私の両手は普通に見えてる!と今頃気がついた。
念のために私は、タンスの上に置いてるのよりも大きいサイズの洗面台(部屋はバス・トイレつきだ)の鏡を見て・・・ホッと安堵の息をついた。
なぜなら鏡に映っている私の姿も、薄く見えないからだ。
あぁ良かった・・・「元に戻って」・・?それとも「元どおりになって」と言うべき?なのかな。
でもこうなったからにはもう、父さんに隠すことはできない。
父さんやほかの家族にも、うやむやに隠し通せる現状じゃないし。
そもそも私自身が隠しておきたいなんて、今はもう思ってない。
たとえ父さんが理由や原因や解決策を知らなくてもいい、これ以上父さんを心配や動揺させないためにも、父さんには全部話そう。人が薄く視えるときがあることを。
父さんが再び私の部屋に来たとき、私が父さんに話すと決意してから30分は経っていた。
しかも来たのは父さん一人だけじゃない。
・・・だから「父さんたち」が私の部屋に来るまで時間がかかったんだろうなと察しはつく。
父さんの「同伴者」を見た私は、また会えて嬉しいと思ったし、二人とも薄く視えないことに安心もしたけど・・それ以上に不安になったのも事実だ。
だって神谷家の中で一番霊力が高い
たぶん頼人叔父さんは、今私が抱いている不安だって感じ取ってると思うけど、いつもどおり、にこやかな顔を保って、穏やかな口調で「久しぶりですね、雅希ちゃん」と言ってくれた。
おかげで私は、これ以上不安になることはなかったし、頼人叔父さんが来てくれたからにはもう大丈夫だという、「ある程度根拠のある安堵感」も芽生えた。
だけど、それでも聞かずにいられないことだってある。
「頼人叔父さんが来たってことは、私は重度の霊障にかかってるの」と、“実は”恐る恐る聞いた私に、父さんは「いや」と即答したので、私はホッとした。
「やっぱり違うよね」
「ああ。少なくとも“俺は”霊障じゃねえと視てるが。頼人、おまえの視たてはどうだ」
「そうですね・・確かに頼雅の言うとおり、雅希ちゃんは霊障にかかっていません」
父さんと頼人叔父さんという、ただ霊力が高いだけじゃなくて、心から信頼している二人から、即座に「霊障じゃない」と言われた。
その「事実」に、私は心底ホッとした。
だけど人が薄く視えることがある現象が霊障のせいじゃないとハッキリ分かったということは、原因はほかにあるということになる。
そして「私にはその原因が分からない」という現状は、まだ変わってない・・・。
変えたい。
なぜ人が薄く視える現象が起こるときがあるのかを知りたい。
人が薄く視えるときがある原因を分かりたい。
現状を思うとおりに――私の望むように――変えたければ、私が話すこと。
意を決した私は、極力自分の気持ちを出さないよう、心を落ち着けながら、人が薄く視えるようになった経緯を、父さんと頼人叔父さんにすべて話した。
「人が薄く視えたときの状況や薄く視える条件は不明、薄く視える人たち同士につながりもないと思われる。年齢もバラバラ、性別も関係なし。タイミングも不定期か」
「まず、久しぶりに雅希ちゃんに会って最初に私が感じたのは、雅希ちゃんの霊力が高くなり、上がっている――つまり高上している――ということでした」
「えっ?」
頼人叔父さんの言葉は予想外だったので、私はビックリしてしまった。
父さんは無言でうなずいてるだけだから、父さん「も」、私の霊力が高上していることに気づいていたのかどうかは分からない。
だけど「霊力の高上」って・・・何それ。
「じゃあそれが・・私の霊力が上がったから、人が薄く視えることがあるってこと?」
「大方当たっていますが少し違います。順を追って説明しましょうか」
「うん」
「では最初に、人が薄く視える現象の意味ですが。単純に思いつくのは“存在感”、ですね」
「俺も頼人と同意見だ。“存在感が薄い”って表現もあるしな」
「えっ、じゃあ私は、その人の“存在感”が、肉体を通して薄く視えてるの?」
「おそらく。ですが存在“感”だけではないと私は思います。そこで雅希ちゃんにお聞きしますが」
「なに、頼人叔父さん」
「雅希ちゃんはさっき、“自分自身が薄く見えた”と言いましたが、そのとき雅希ちゃんは何を考えたり思ったり、または感じていましたか?お父さんの前で言いにくいことなら、頼雅には席を外してもらいますが」
「ううん・・・大丈夫。だから父さんもここにいて」
「おまえがそう言うなら父さんはここにいる」という父さんに、私は小さく頷いた。
「あのとき・・・私、石を使ってブレスレットを作ってて。ブレスレット作りながら最近視えた一番新しい未来のビジョンのこととか・・とにかく将来のこと考え・・」「ちょっと待て」
「なに父さん」
「おまえ、未来のビジョンが視えるようになったのか」
「うん」
「いつから?」
「えっと、クラスの歓迎会でよるちゃんちに行ったときが最初だから・・2ヶ月くらい前?じゃないか。そんなに経ってないよね」
「だがそりゃ4月じゃねえか。“もうすぐ2カ月前”の話だぞ」
「とにかく、雅希ちゃんは確かその日から、人が薄く視えるようになったんですよね」
「あっ、うん。そうだよ。え?じゃあ未来のビジョンがごくごくたまに視えるようになったことと、人が薄く視えるときがあるって現象は関係あるのかな」
「あるかもしれません。で、話を戻しますが。雅希ちゃんは将来のことを考えていたときに何を感じた?」
「あぁ・・。えっと、私は受信機体質だから大学に進学できないし、かといって就職だって難しいっていうか、“会社に勤める”とか不向きだし、“接客業”も苦手だから・・できないし。でも未来のビジョンで私がカフェで石を使ったオーダーメイドのアクセサリーを作ってるところと、その石屋さんの名前の、たぶんホームページの画面が視えて」
「へえ。それいいじゃねえか」
「だけどそれで十分稼げるとは思えない」
「そんなことはやってみなきゃ分かんねえだろ?」
「そうだけど」
「まあまあ二人とも、話し合いは私が帰った後にしてください。雅希ちゃん、話を続けて」
「はい・・・。だから、私には“界人と結婚する”っていう選択肢しかないのかなって思ったのと、でもそういう形で結婚するのは“逃げ”だと思ったし。それに界人が・・界人に頼りきってしまうっていうか・・・界人だけじゃなくて、父さんにも頼りっぱなしで」
「はあ?何言ってんだおまえは」
「しっ、頼雅は黙って。雅希ちゃん、続けて」
「うん・・・。だから・・だからね、私はこのままだとずっと自立できない、でも受信機体質がなくなることはないから、“頼るしかない”っていう現状を変えることもできないって気づいてしまって・・・」
「絶望した」と言った頼人叔父さんに、私は小さく頷いて肯定した後、顔を上げることができなかった。
・・・そう、あのとき私は絶望した。
自立できない自分の将来に。
そんな私が大切な人たち――家族や父さん、そして界人――の負担にしかならないことに。
みんなを不幸にさせてしまうことに。
私は厄介者でしかないことに、絶望感を味わったんだ。
「わたし・・いないほうが・・・」「あほ!」
うつむいたまま両眼を閉じて、食いしばった歯の間からこぼれ落ちた言葉を遮るように、父さんが私をギュウっと抱きしめてくれた。
「いいんだよ頼っても」
「とうさ・・」
「おまえが俺の娘である限り、おまえは金のことや家のことは心配しなくていい。いいから頼れ。俺だけじゃなくて、こいつのような家族や界人にも頼っていいんだ」
「・・・うん。ありがと・・父さん」
「雅希ちゃん、今、自分が薄く見えますか」
「み、見たくない」
「どうして?」
「だって、さっきと同じ状況だから・・」
「また薄く見える可能性が高いと思ってる?」
優しく聞く頼人叔父さんに、私は父さんに抱きしめられたまま、頷いて肯定した。
「まぁそうかもしれませんね。だから無理強いはしませんので、頼雅は殺気立って私を睨むことをやめてください」
「子を護る親の本能ってやつだ。それに俺は元からこういう目つきなんだよ」
「職業柄に加えて霊力の高さ。目つきが鋭くなるのも仕方ない、か」
「悪いな。わざわざ来てもらったのに」
「いいんです。気持ちはよく分かりますから。これで雅希ちゃんの話を聞いて私が思っていたことは、大体確信に変わりました」
「なんだ」
「人が薄く視えるのは、存在感だけでなく存在“意義”も関わっているということです。雅希ちゃん以外の薄く視えた人たちには確認が取れないので“絶対”とは言いきれませんが、私は確実だと思います」
「てことは、雅希以外の人たちも、おそらく“自分自身の存在意義が低い”と思ったり、“自分が存在している意味がない”と考えたり、“自分の存在価値がない”と感じていた。その“低い”、“ない”という思考や“絶望的”な感情が、そのまま“薄さ”としてこいつには視えたってことか」
「そうです。そして人が薄く視えるときがある現象や、雅希ちゃん自身の未来のビジョンが視えることは、言ってみれば霊力の進化形。または受信機体質が覚醒した形と言っても良いでしょう」
「・・・え」
霊力の進化?覚醒?
またしてもビックリした私は、抱きついていた父さんから離れて目を開け、思わず頼人叔父さんのほうを見た。
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