第14話 それでいいじゃん

「人が生きていく上で、“食べること”は欠かせないでしょう?そして“食べたい”という食欲は、人が必ず持っている原始的な欲求よね。でも人って欲張りなもので、ただ空腹を満たすためだけの食事をしていても、だんだんつまらなくなってくるようにできているの。“こういうものが食べたい”とか、‘もっと美味しいものが食べたい“という欲を抱くようになる。その欲を抱くことは決して悪いことではないのよ。むしろ、とても幸せなこと。もし人が、この欲求を最初から誰も抱くことがなかったら、別にお料理できなくてもいいでしょう?”とりあえずあるもの“で、”適当に“食事を済ませればいいのだから。でもそうなると、”食べる“という行為は、とても味気ないものになってしまうわ。人が生きていく上で”食事“は欠かせないことなのに」

「ホントだ~」

「それに、“とりあえず”で食事が済むのなら、お料理を教えるというワタシの仕事は成り立たなくなるし」

「確かに。それなら別に料理できなくてもいいもんね」

「そのとおり。でもね、今でも世界のどこかでは食べるモノがなく、飢えで苦しんでいる人もいる。そういうところでは、ワタシの仕事は需要がないから成り立たないの。だからワタシ、日本で生まれて暮らしていることに、とても感謝しているわ。それだけじゃなくて、ダーリンと悠里くんのおかげで、ワタシは食べたいと思うものを食べることができる環境で生きている。ありがたいことよね。そして、自分が作ったものを“美味しい美味しい”と言って食べてくれる人たちがいるって、とても幸せなことなのよ。あらごめんなさい。話がそれちゃったわね。見たところ、あなたたちは全員、ただ空腹を満たすための食事ができればいいというレベルの暮らしはしていないわね」とユキオくんが言うと、私たち全員が頷いた。


「分かるわ。みんな、エネルギーと栄養がたくさんある、質の良いものをキチンと摂っているようね。太り過ぎな子、逆にやせ過ぎてる子が一人もいない。お肌と髪の毛のツヤとハリ、そしてみずみずしさがあって、年齢に合った健やかさをしっかりキープできてるわ。爪も健康そうだし、目にも濁りがなくて輝いてる。食べ方や食べる姿もスマートで美しいわ。よく噛んで食べる、音を立てない、口の中に詰め込み過ぎない。そういった基本的な食のマナーがちゃんと身についていて。さすが、教養高い特進クラスの子たちね。ビャッコくんはさっきも言ったけど、服を着る土台になる体型と骨格がしっかり、そしてガッシリと作られてるわ。きっとお母さまがお料理上手なのね」

「すっげー。そこまで分かるんだ!」

「分かるわよ。ビャッコくんは背も高いからモデル向きね。運動神経も良さそう。ダンスでも習っているのかしら?」

「マジッ!?よるっ、おまえユキオくんに裏情報流したのか!?」「流してないよ」

「てか、ダンスしてるのは“裏”情報なんだ」

「ミヤコちゃんからは何も聞いてないわよ。ワタシはただ、ビャッコくんの体つきと服装を見てそうかなーと想像しただけ」

「ユキオくんすっげー!」「神レベル!」

「シノブくんは運動もできる子のようだけど、絵を描くことが好きなんじゃない?」

「・・・マジで、なぜに分かったんすか」

「手。厳密にいうと、手の指ね。悠里くん、ってミヤコちゃんのお父さんだけど」

「俺の双子の兄貴でもある」

「そうね。悠里くんと似たような指の形だから。ときどき絵を描いているのなって想像してみたのよ」

「うわすげーや。俺、鳥肌立ったわ」「やっぱユキオくんは神!」

「てか、よるのお父さんって画家か」

「ううん。趣味でときどき絵を描いてるって感じ。最初にも言ったけど、お父さんもセミリタイアしてるほぼ無職だから。でもお父さん、絵を描くのとても上手だよ。そうだっ。絵、見る?」と聞いたよるちゃんに、忍は「見る!」と即答して、私も「見たい」と言った。


「俺も・・」「じゃあ次は界人をお願いしまーす!」「あ。違・・」

「いいわよ~。カイトくんはとても良いガタイをしてるわね。サッカーのほかに空手とか合気道みたいな武術系のスポーツをしてるのかしら」

「えっ。なんでそれ知って・・!」

「はいまた神、来ましたーっ!」「ユキオくんすご~い!」


みんながユキオくんの「占いみたいな予言めいたもの」で盛り上がってる間、忍と私は長峰家に飾られている絵の鑑賞を始めた。

案内役は、この家の主である悠希おじさんと、この家の住人のよるちゃんだ。

“ムダに広い”家なだけに、まるで美術館にいる気分になる。


「そんなたくさんはないんだけど・・・あぁ、これはお父さんじゃなくて、お父さんのお父さん、だから私のお祖父ちゃんが描いたの」

「いい絵だろ」と言った悠希おじさんに、忍はただ、頷いて応えた。


私もだけど、忍もその風景画から目が逸らせないくらい、じっとその絵を見ていた。


「俺の父は画家だったんだ。風景が専門だった。ガキの頃は親父と一緒にあちこち行ってたなあ。ただ、なぜか絵を描く才能は、三人いる兄弟のうち悠里だけ受け継いだみたいで、俺はてんで才能がないんだよな。だが絵を描く才能がない俺でも、この絵はいいって分かる。だからどこにも売る気はない。それだけ気に入ってんだ」

「・・・なんか実際、そこにいるような気になる。ラベンダーの香りが漂ってきそうな」

「“ただいま”と“おかえり”って言いたくなる」

「まーが言いたいこと分かる。なんか、懐かしい気持ちが湧いてくるな」「うん」

「絵はこのあたりの壁にかけてるのと、そこのテーブルにはお父さんがスケッチしている絵がちらほら置いてあるから。二人とも好きなように見てね。触らなかったらオッケーだから。じゃ、悠希叔父さん行こ」「え?」

「ほらっ、二人だけにしてあげて」

「あ?ああ」


すでに二人は行ってしまったことにも気づかないまま、私は絵を見たまま「うん。ありがと、よるちゃん」と言っていた。


「ねえ忍」

「ん」

「美術館ってこういう感じなの」

「絵とか作品は、ここよかもう少したくさんあるとこが多いけど、まあここもちょっとした美術館って言えるレベルだな」

「やっぱり」

「よるっちの父さんも、絵を描くのがなかなか上手い」

「そうだね」


私には絵を描く才能はないし、美術館も基本「人が集まる場所」だから、今まで一度も行ったことがない。

そんな私でも、よるちゃんのお父さんやお祖父さんが丁寧に描いた絵やスケッチは、「いい」と思った。

うまく言えないけど(絵を描く才能がないせいか)、心が温かくなるような絵ばかりだ。


「たとえば“美味しそうに見せる”ために、あなたはこのリンゴをどう描きますか?色?ツヤ?ハリ?形?それとも他との対比で表現しますか?小説は文章だけでそれを表現しなければいけません。でも漫画は、文字や文章に加えて絵でも表現することができます。時には色も加えることができます。それでも平坦な世界で、動きや音声、感情や微妙な気持ちをどこまでリアルに表現できるのか。自分がこういうことを伝えたいと思うとおりに表現できているのかを常に問いかけながら描き続けてください」


突然呟くように話し出した忍の横顔を、思わず私は見た。


「これ、きよみ女史にいっつも言われるセリフ。厳しいけど分かるんだよなあ。自分が好きなことを究めたい、自分が好きなことで突き詰めたいって気持ちは。俺にとって絵とか漫画を描くって、それくらい好きなことなんだ」

「知ってる」

「探究心は尽きないし、奥が深い分野だし。言ってみればまーにとっての石とか料理好きと同じだな」

「そう。・・・私が料理を作るのは、みんなが美味しいって言って食べてくれることが嬉しいのはもちろんだけど、私は料理することでみんなの役に立ちたいと思って・・ううん、みんなの役に立てば、家にいてもいいんだって思ってるのかもしれない」

「は。今のは全っ然おまえらしくない発言だな。もしかして、真希おばさんが亡くなったのは自分のせいとか思ってんの」

「思ってないよ。お母さんが亡くなったのは、本当に私のせいじゃないって知ってるし。ただ・・・」「ただ、何」と忍に促された私は、一旦息をふぅと吐いた。


「ただ、ときどきね、お母さんに会いたいなって思うときがある。おばさんたちじゃなくて、お母さんに料理教えてもらいたかったって思ってしまうときもある。気分悪くなったときとか寝込んだとき、お母さんに看病してほしいって思ってしまうときもある。洋服だってお母さんと一緒に買いに行きたいとか・・・ときどき思う。おばさんたちのことはみんなお母さんみたいに思ってるし、おばさんたちも私のことを自分たちの子どもたちと分け隔てなく育ててくれてるのに。隔ててるのは私のほうだよね」

「俺さ、子どもって父親よりも母親に、より強いつながり持ってると思うんだ。だって将来極悪非道になってしまったひでえヤツでも、人はみんな母親から生まれてくるんだぜ。しかも生まれるまで母親の中で育つんだからな。そう考えると母親って最強じゃね?だからさ、おまえがお母さんに会いたいと思うのは当たり前だと俺は思う。おまえが真希おばさんの母親としての存在を知らなくても、絆は魂に記憶済だって証拠だよ」

「うん。そうだね・・・私、きょうだいたちに自分のお母さんに甘えることを遠慮させてないかな」

「うーん。ゆいとか良臣よしおみとか清志きよしとか肖斗あやとみたいな、まだ初等部の連中はまあ、そういうときもあるかもしれねーけど、俺はまーが言うような“遠慮“はしてねえよ。おまえにはそう見えるんか」

「正直言うと分かんない」

「それでいいじゃん」「え」

「“分かんない”でいいじゃんか。つまり俺もおまえも霊力高いけど、他人の思考までは読めないってことだろ?だからまーもこれまでどおり、俺の母さんやおばさんたちに甘えりゃいいじゃん。確かにおばさんたちは真希おばさんじゃないから、まーの母親とは微妙に違うけど、それでも“うちには母親いっぱいいる”でいいじゃん。“俺にも母親いっぱいいる”ってことになるし。きょうだい同士でも遠慮したり気を使ったりするのも当たり前よ。だって俺ら一緒に住んでる家族だろ?大切にしたいと思う人をわざわざ傷つけたり悲しい思いはさせたくないじゃんか。だからこれからも“いとこ同士だけどきょうだい同士”で仲良くしていけばいい。そしておまえは、叔父さんおばさんきょうだいみんなに甘えていいし、頼ってもいい。たとえ料理ができなくても、まーは家族の一員。だからおまえはおまえのままでいい。“自分が作った料理をみんなが喜んで食べてくれることが嬉しい”で終わり。あとの“役に立ってる”とかなんとかはいらねえから。そういうことは考えなくていいっての。分かったか?」


そう忍に言われた私は、コクンと頷いた。


「よろしい。んじゃそろそろみんなんとこに戻ろ」

「うん。忍」

「ん?」

「ありがと」

「まー」

「なに」

「たまには界人にデレデレ甘えて頼ってやれよ」

「なんで私が」

「知ってるくせに。いくらあいつがイジられキャラでも、ずーっとツンだけってのはかわいそうっしょ。ほかの子に盗られたらどーすんのー?」

「どうもしない。あいつの選択に私が口出しする権利はないもん。それに“知ってるくせに”って何」

「どこまでもとぼける気だな。まあいいや。俺、“お兄ちゃん”らしく“年上の対応”をしてやる」


―――病室と思われるベッドに寝ている「数年後の私」の手をそっと握っているのは、「数年後の」界人―――。


私が視たビジョンは一瞬で消えたけど、こういう、年単位の未来が視えたのは、このときが初めてだったし、この先同じビジョンが現れることは二度となかった。

そしてこのビジョンが現れたのは、私がこれから背負うことになる運命が始まるという「警告」だったのかもしれない。


「まー?おい、まー。大丈夫か」

「・・・忍は知らないんだ。双子は後で生まれたほうが姉とか兄になるって」

「え。ちょっと待て。そういう前提なら俺とまーは双子っていう設定になるじゃん!それこそ強引過ぎっしょ!」


私の手を握っていた数年後の界人は、「息を引き取った私」とまだ別れたくないからか、悲しそうな顔をして泣いていた。

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