二章 溢れる黒

第16話


そっと瞼を上げた。



「え……?」



見慣れた天井が視界に入り、息を止めた。



「……どう、して?」



そんな呟きは、埃っぽい部屋の中に消えていった。

窓からは薄っすらと陽が差している。

眩しさに影を作ろうと腕を上げると小さな手のひらが見えた。


(確か……私はあの屋敷から逃げ出してから倒れて死んだはずじゃ?)


そう思った瞬間に心臓が痛いくらいに音を立てていた。

胸元を掴んで、大きく息を吸い込んだ。

今まで感じたことのない感覚がして冷や汗が流れていた。

こんな風に自分に感情が残っていたのかと思うと驚きを感じていた。


長年、虐げられていたシャルロッテは今ではほとんど感情の起伏がなくなってしまっていたからだ。

ハリエットやイーヴィーからは散々、いじり甲斐がないとか、詰まらないとか言われていたが反応を返さない方がいいと判断して、そのまま感情が抜け落ちてしまった。


ボーっとしながら腕を押さえた。

そこには細い手首と侍女が乱暴に掴んだ鬱血痕だけが残っていた。

肌に指を這わすとたしかに温かい。


けれどあの時、確かに『シャルロッテ』は死んだのだ。

今もあの感覚を鮮明に思い出せる。

雨に打たれながら息絶えたのだ。

それなのに、何故またこの地獄に戻ってきてしまったのだろうか。


(……あのまま、死なせてくれたらよかったのに)


そう思ってしまう程に心が疲弊していた。

誰にも愛されず、誰からも必要とされていない。

先の見えない道を延々と歩かされているような……そんな感覚だった。


あの時は確かに悔しかったけれど、それでも解放感に胸を撫で下ろしたはずなのに。


(神様って残酷なのね…………ふふっ、そんなものいるわけないか)


もう神に祈ることはやめた。

祈ったところで救われないと気づいてしまったからだ。


(……夢じゃない)


感覚を確かめるように手を握った。

死ぬ前に体から吹き出した炎はシャルロッテの勘違いでなければ間違いなく……。



「………………魔法」



シャルロッテは確かにあの時にありったけの魔力を使って、アイツらと屋敷を消し炭にした。

今まで何も出来ない役立たずの『シャルロッテ』は魔法が使えたのだ。


もし、魔力検査で水晶玉に触れられてさえいれば、シャルロッテの人生は変わっていたかもしれない。

そう思って唇を歪めた。

そんなチャンスすらあの二人に潰されたのだ。


(憎い……アイツらが死ぬほど憎い)


その瞬間、シャルロッテの小さな手のひらからボッと真っ白な炎と真っ赤な炎が揺らめいた。


(…………許さない)


何故、自分がこれだけ強力な魔法を使えたのかは分からない。

分からないけれど、憎しみが元になっているような気がしてならなかった。

そしてシャルロッテは今、十六年間生きてきた記憶も引き継いでいる。

この時よりも、ずっと知識を持っている。


(そう、そうよね……これは憎しみの炎。私にお似合いの魔法だわ)


この小さくて細い身体は魔力検査が行われる前だろう。

過去に時間が巻き戻ったのだと、すぐに理解する事が出来た。

空腹からかお腹がぐーっと鳴った。

シャルロッテは手のひらにあった炎を打ち消すように手のひらで握り潰した。


あの時……家族は一瞬で消し炭になってしまった。


(私は今もこんなにに苦しんでいるのに。もっともっと、苦しまないと。簡単に死んじゃうなんて……ずるいわ)


シャルロッテの唇は大きな弧を描いた。

無邪気に笑うその顔には生気はなく無機質なものだった。


(だって私はあんな風に地獄を味わったんだもの。あの人達だって、この苦しみを味わわないと駄目……絶対に駄目)


それだけは目的として、しっかりと心に刻み込まれている。

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