第13話


「煩いわね……なにやっているのよ!こんな真夜中に」


「ネズミがこいつを誑かして逃がそうとしたんだ」


「ふん……傷つけるな、なんてめんどくさい条件をつけられなきゃ今頃ボコボコにしてやったのに」



そこに現れたのは気怠そうにシャルロッテを見下しているディストン侯爵夫人だった。



「このまま朝まで拘束しといた方がいいんじゃないのかしら?それと逃げたネズミは駆除しなくていいの?余計なことを喋る前に潰しておきましょうよ。今はハリエットとイーヴィーにとって大切な時期なんだから……」


「…………ッ!」



ネズミとはマウラのことだろう。

その言葉にディストン侯爵夫人を睨みつけた。



「…………その目、気に入らないわね」



振り上げた夫人の手が目の前に迫ったが、ディストン侯爵が後ろから手首を掴んだ為か、手のひらは頬に届くことはなかった。



「ちょっと離しなさいよッ」


「おいッ、金が貰えなくなってもいいのか!?」


「チッ……本当、腹立たしいったらないわ。わかったわよ」


「…………」



ポロポロと土が崩れていく。

締め付けられていた体が解放されるのと同時に詰まっていた息を吐き出すようにして咳き込んだ。


二人に再び拘束される前に、震える足で立ち上がった。

ただ二人を何の感情もなく見つめていた。

吸い込まれそうな赤色が暗闇の中で光っていた。

その威圧的な視線に二人はたじろいでいる。


ハッとしたディストン侯爵は侍女と護衛の騎士を呼び、朝まで自害をしないようにシャルロッテを見張るように指示をしている間、瞬きもせずにずっと二人を目に焼き付けるようにして見ていた。


ディストン侯爵夫人は腕を抱えて「……気持ち悪い」と吐き捨てるように言った。

後ろに手を回されて縛られたあと、ずっとベッドに座っていた。


見張りを言い付けられた侍女も騎士もシャルロッテから目を背けていた。

あまりの悲惨な状況に同情していた。

まるで生贄に捧げられる前のようだった。

シャルロッテはその晩、一睡もしなかった。


ただ己の無力さと湧き上がり続ける憎しみが身体中に駆け巡る感覚に身を任せていた。

シャルロッテは月が沈んでいく様を眺めていた。

朝を迎えても、ぼんやりとした光が雲の隙間から漏れるだけで太陽が昇ることはない。


静かな雨音が耳に届く。

その音はどんどんと強まっていくような気がした。


今日、ベルセルク伯爵の元に売られるのだ。

マウラの話やディストン侯爵達の態度をみれば分かることだが、きっと今からもっと酷い目に遭うのだろう。



「……シャ、シャルロッテお嬢様」


「…………」


「あの……支度を、致しましょう」



手首に繋がれたロープを引かれて、促されるまま鏡台の前に腰掛けた。

乱れた髪を整えて、化粧を施していく。


ふと……鏡の中の自分と目が合った。


なにも知らなかった幼く無垢な自分が『逃げて』と必死に鏡を叩いているような気がした。

そんな様子を空虚な気持ちのままずっと見つめていた。


『まだ間に合う』『諦めないで』『手を伸ばして』


大きな赤い瞳から何かが溢れた。


何故、必死に足掻くのか。

何の価値もない『私』を救おうとするのか。

何度、絶望して打ちのめされたのだろうか。


(…………私には、なにもない。なにも)


魔法も使えない。

地位も名誉も愛も最初から何も持っていなかった。

自由を失い、地べたに這いつくばるようにして生きてきた。

ディストン侯爵夫人の言葉が頭をよぎる。

『こんな子……生まれてこなければよかったのに』

心の奥深くの扉が開くように、傷を抉るように耳元で囁く声が聞こえた。


鏡の中の自分と目が合うと、真っ赤な唇が弧を描いていた。

そんな時、よくシャルロッテに嫌がらせをしていた侍女が恐る恐る背後から声を出す。

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