16話目 肯定者
旧友の訃報が自分のところに回ってきたのは、彼の死が発覚して三日後……。彼が死んでから、実に五日が経った時のことだった。
どうやら彼は人生に悲観して、首を括って窒息して死んでしまったらしい。室内には首を吊るのに使った麻縄と縄を首に食い込ませる為踏み台にして蹴飛ばした椅子だけが残っていて、本人によって他の家財は綺麗さっぱり売り払われていた。ここまで来れば事件性は疑えない。遺書は無いが、計画的な自殺だろうと警察には判断された、とのことで、自分もやはりきっと、彼は自殺だったと思う、と彼の兄は僕に告げた。それは如何にも口惜しそうな泣きそうな表情で、唯一人の弟に、彼は生きて欲しくて仕方がなかったのだろうと僕は思った。こうして彼のスマートフォンに入っていた唯一の連絡先を辿って僕の所へやってきたのは、誰かに共感して欲しくて共に惜しんで欲しくて仕方がなかったからかもしれない。
僕は遺族の手前、「そう……」と神妙な顔付きで頷いてみせたが、そこに驚きや衝撃があったかと言うと僕の心は森の湖畔の水面のように穏やかで、動揺は少しもそこになかった。
僕はただ簡素に、そうだろうな、ということと遺書が無いということが悔やまれる、ということを碌でもなく漠然と思っただけだった。
僕達はこの春から社会人になって、ネクタイという装飾品の形をした社会の首輪を着けて生きていくことを、生まれた頃から何か大きなものから定められていた。
だがしかし彼は意固地でプライドの高い男だったから、きっと自身もがその道筋をなぞって灰色の社会へ同化していくという未来をどうしても許せなかったのだろう。
彼はネクタイを締めて、首元を窮屈にして三百六十六日の緩やかな自殺をする前に、麻縄でその一生分の自殺を一回で済ませてしまった。たったそれだけのことなのだ。彼はきっと、賢かったと思う。この社会に縛られて首を括って死んで行く、満員電車の誰よりも。ただ、物申すとすれば、その行動の唯一惜しむらくは。
物書きになりたがっていた彼の遺書は、きっとこれまで遺されてきた書のどれよりも面白かったろう、と思うのだ。
死んで良い。自由に死ねば良い。彼の人生だ。僕の人生には、彼が死んだところで一つの波紋も落ちやしない。そう分かっているから、彼が隣で今まさに首を括ろうとしていたとして僕は特段その死を遠ざけようとは思わないだろう。死は平等だ。誰にだってあって良い。だから、その権利を彼から奪い去ろうと僕は思えない。思わないが……。
「何故書かなかったの」
墓前で僕は、ぽつりと彼を非難した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます