14話目 鹿男

※この小説は一文目、二文目をTwitterのフォロワー様にご提供いただいた上で続きを書いたものです。

※この小説はフィクションでしょうか……?




 それはどう見ても鹿だった。

 『ラッキーアイテムは男性用Tバックです!!』

 と誰がどう考えてもポケットから見つかればアンラッキー待ったなしのニュースが渋谷109の大スクリーンから流れている……。そんなこともどうだって良いくらい、鹿だった。

「あっどうも鹿です」

「喋るんだ……」


***


「あっミルクショコララテ、トッピング抹茶味噌パウダーたっぷりでお願いします」

「気持ち悪いトッピング……アップルパイとコーヒー」

「あの、おじさんも生きているので……あっアップルパイは分けてくださらなくて結構です」

「一人称おじさんなんだ……」

 傷付きます、と言った鹿男はずごごごご……といっそ気持ちの良いくらいの音を立ててミルクショコララテ+抹茶味噌パウダーを啜った。

 私は渋谷エリコ、二十八歳爬虫類ショップ蛇担当。何の因果か大都会渋谷で鹿を拾った。

 ……鹿、と言っても人間の肩から上にそのまま鹿の首と頭のついた何の得もしないキメラであるが、一人称おじさんのキメラは一点の曇りも無く鹿と自称しているので、彼は鹿とする。そんな鹿男はどうやらこの世界でただ一人私にだけ見えているらしい。

 正確には、ただ一人私のみが「彼が異端である」と認知している。否……私も気を付けていなければ彼が異端であると断言出来なくなりそうな程、彼はこの渋谷という土地に馴染んでいた。

「おじさんは宇宙人なの?」

「純日本鹿です」

「国産なんだ、ツノ触ってもいい?」

「あなた蛇普段触るんですよねあれ嫌いなんですよ触らないでください」

 食べても美味しくないですよ!と腕を鹿の首の前で交差する鹿男に「どこからどこまでが人間でどこからどこまで鹿か分かんないので遠慮します」と言うと鹿男はそれはそれで不満そうにミルクショコララテ+抹茶味噌パウダーの底を音を立てて啜った。

 鹿男との出会いはつい先刻、たった十分前のことである。渋谷スクランブル交差点の真ん中で、それはもうコンクリートから金持ちの家にあるような剥製が生えている!と思った程に見事に仰向けに倒れていた。忙しなく人の行き交う、油断していれば向こう岸に辿り着くのさえ青信号の内には困難な交差点で道端の鹿を揺り起こす余裕など社会人には本来ならばない。けれども何か、予感のようなものが働いて、少しだけでもその道端に倒れている鹿に働きかけなければならない。そんな気持ちで私は鹿の首をすれ違い様にハイヒールの爪先で軽く小突いた。

 毛並みがある割に柔らかさとは縁遠く、筋肉質な硬い肉。その感触を靴越しに爪先が感じ取った時、私は静かに悟ったのだ。

 鹿だ……、と。

 そう、この日本は開拓が進んで完全に自然と人工物の分割が為されており、都心や住宅街に元々居た筈の動物達が少し現れるだけで大パニックが巻き起こる。なのにも関わらず、この鹿は鹿であるにも関わらず、人々に何の抵抗もさせず受け入れられ、スクランブル交差点の中に投げ込まれても放置されているのである。そして私も、つい先程まで、それに驚かなかった一人であった。

 何かがおかしい。この鹿は人々にどうして受け入れられているのか。それが知りたくて、私は目覚めた鹿を、呼び止めたのだ。鹿のお気に入りであるという一杯の無駄に高いチェーンカフェの代金を支払ってまで。

「で、お嬢さんはおじさんに興味がある訳ですねぇ」

 こうして知らない女の子と一緒にカフェに居ると幼女趣味みたいで気が引けますね、とくすくすと笑う鹿男。二十八歳を幼女呼ばわりは界隈者からの大バッシングを免れない。

 鹿男の言うことは正しいながらもそのまま肯定するのも何だか気持ちが悪くてコーヒーを飲みながら鹿男を睨んでいると、シャイなんですねと鹿男は微笑んだように見えた。

「大丈夫ですよ、じきにあなたも分かります」

 そう鹿男は黄金色の透き通った瞳を細める。

「誰にでも僕達を理解する素養はあるし、僕達は誰の中にも棲んでいて誰のことをも乗っ取ることができる、人間である限り僕達と共に在る、そういうものなんです」

 その言いようがまるで地球侵略でも目論んでいるかのようで、しかしそれにしては彼の口ぶりがあまりにも暢気で、ゾッとした。

 この鹿は、ただの陽気な中年なんかじゃない。

「おじさん……あなたは……。あなた達は、何が目的なんですか」

 寄生虫やウイルスみたいに感染したり脳を食ったりするんですか、人類を全滅させるのが目的ですか、と言えば鹿男は首を横に振った。

「そんなそんな、食べたりなんかしませんし、感染力も……いやあるっちゃあるんですかね?でも感染するのは元から私達を脳味噌と心に飼っている方、多少なりとも開花させている方達ですよ、それに言ったでしょう」

 『僕達は人間と共に在る』と。

 そう太いストローで底に滞留したショコラの塊をガシガシと掻き集めながら、鹿男は言った。

「マ、人間である限り僕達から逃げることはできませんよ。後ろ髪は引かれることになっても、僕達の手のひらで視界を覆われない方法ならありますが」

 とそう言った鹿男に私がハッと目を輝かせると、鹿男は邪悪に嗤った。

「たとえばそちらの、りんごの実」

 鹿男はフォークで乱暴にアップルパイの中の果実を潰すような勢いで突き刺し、パッとフォークから手を離した。

「それさえなければ、とっくのとう。人類は私達そのものでしたよ」

 ねぇ馬さん。

 そう鹿男が肩越しに誰かに声を掛けるのを私は、呆然と聞いていることしかできなかった。

「あぁ臭い臭い、蛇の臭い。あの忌まわしい果実に導いた、不届者の眷属の臭い」

「さぁお食べなさい、人間さん。さぁ学びなさい、人間さん」

「「私達から、逃れなさい」」

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