13話目 五年とちょっとのカメラロール

五年とちょっとのカメラロール


 他人には言ったことのない秘密だが、私は他人の寿命を見ることができる。

 夜を詰め込んだような艶やかな黒髪に、ウサギの有名キャラクターを彷彿とさせるピンクのメッシュ、ゴテゴテの上げ底ブーツにフリフリの付いたピンクシャツ。左下に白い線でキャラクターの描かれた黒いマスクに長すぎるまつげ。それら全てをサスペンダーとスソの広い半ズボンで纏め上げて、網タイツを履いた私の彼女のうーちゃんは、現在二十二歳。残り寿命は1836日。

 年数にして、五年と少し。彼女の寿命は時折しゃかしゃかと入れ替わっては三日後になったり33200日後になったりと忙しなく伸び縮みしているが、基本的なうーちゃんのお望みは1836日後……つまりはどうやら、二十七歳の頃に死んでしまうことらしい。

 これからのことは分からない、死に方こそは分からないが、恐らく、自殺で。或いは事故で。

 二十七歳というのは、私にはえらく半端な歳には思えるが……どうやら天才だの偉人だのが統計としてその歳に亡くなりやすいらしい。

 そんな噂を眉唾物だが小耳に挟んだことがある。

 その為二十七歳で死ぬうーちゃんは、もしかすれば私の知らない途轍もない才能を秘めていて、今までおくびにも見せなかったそのフレキシブルな才能をこの五年の間で余すことなく発揮して、嵐のように過ぎ去り交通事故かなんかの不幸な偶然で華麗に散っていくのかもしれない。

 或いは大勢の喝采を浴びて、現状との急激な環境の変化の為に精神を病んで、適さない水温に耐えられず死んでいく魚のように首を吊るのかもしれない。

 ……その可能性は恐らく、限りなく低いだろうが。

 大勢に惜しまれつつ盛大に見送られる彼女の姿を頭に思い浮かべて、嫌な気持ちになっている自分を脳の端で微かに嘲笑した。自業自得だ。物の例えでそれが現実になるかどうかは分からない。

 ともあれ、私に分かることは自分の彼女がどうやら五年とちょっと後には亡くなるということ。

 実際のところ、私には彼女に訪れる終焉がどのような形のものなのか見当も付かないし私はその訪れ来る終焉が自分に食い止められるものとは思わない。私にきっと抵抗はできなくて、どう足掻いても彼女はきっと、1836日後に死んで行く。そして私はそれを食い止められるとも思い上がっていない。ただ冷淡に純粋に、彼女はそこで死ぬのみなのだ、と思うことしかできない。あくまで私には「見える」だけで、他に何ら大きな力も持っていないのだから。

 それでも私は、この力に感謝した。

 ……こう、例えると、人の人生をなんだと思っているのだと人道主義者団体から批判と壺でも飛ばされそうだとは思うが、人生とは、きっと昨今世に溢れに溢れている、ドラマや映画の映像視聴サービスによく似ていると思う。

 この映画が見たいと思ってなんとなく一ヶ月だの何日だのの無料プランに加入して、見よう見よう満喫し尽くそうと思いながら暫くしてふと開いてみた頃には無料期間はもうとうに終了して、見ることができない。それに初めて気付いた時、私はふっと息を吐いて「またやった」と思うのだ。

 それと同じように、人の人生も無料サブスクリプション契約のように終わってしまう。きっとまだあの人は無料期間の生の延長線上に居るだろう、と私達は確証もないのに信じて疑わず、ある日それが終わっていた、とふとした時に分かったその瞬間、やっと先延ばしに先延ばしにしていたトークチャットの返信をしていなかったことを、おざなりにしていた交流をその時にしてやっと後悔するのだ。

 「見ておけば良かった」と。

 そして私達はその終焉を、人生というサブスクリプション契約の終わりを、基本的には認識できない。それが訪れて初めて、知ることができる。

 そう、我々ずぼらな人間のサブスクリプション契約などこのようなものだ。

 だがしかし、類は友を呼ぶというもので私の周りでは唯の一人も見たことはないが、もしかすればこういう人も居るのかもしれない。

 サブスクリプション契約をしたその日から契約失効の一ヶ月後のカレンダーに赤くマルをつけていて、その日までに見たい映画の全てを見ることができるよう全ての休日に見る映画のセレクションをずっと前から決め込んでおく、そんなスケジューリングの鬼も居るかもしれない。そして彼らにそのようなことができるのは、彼らには我々怠惰な人間とは違って、サブスクリプション契約の終わりをきちんと確認する能力が備わっているからだ。計画性を持って、すぼらな人間達にとってはいつ来るのか分からない終焉を、確認できる実行力を持っているからだ。そして今の私が……。

 世界で唯一、その状態にある。

 私には、五年後のうーちゃんの死が見えている。歳を取りたくないと時折ぼやくうーちゃんのことだ、その三年後に迫る三十代の壁を乗り越えることなど彼女にはできまい。だからきっとうーちゃんはその三年前に死んでしまうのだ。五年とちょっとしか生きないで、生きようと思えば33200日の間も生きられる癖に、死んでしまうのだ。

 そうと分かれば時間がない。

 私は五年後、1826日後のカレンダーに丸を付けているのだ。

 この力で、この妄執で、静脈の色をした赤い丸で、今この私たった一人だけがたった今、うーちゃんの命日に赤マルをつけることができている。

 私は今きっと、サブスクリプション契約失効の三日前に居るのだ。

 決して別れは遠くない。そしてきっと、それを遠ざける力は私にはない。

 けれどもその間、何もできない訳ではないのだ。三日もあれば、二時間の映画があるとして毎日大学があっても六本は見ることができる。契約の失効までは、有り余る猶予がある。

 そのように、私は失効の日まで、できる限りの思い出のカメラフィルムを回してうーちゃんを愛し抜かなければならないのだ。

 そしてそれは、そうしなければ期日の1826日前にうーちゃんが死んでしまうからでも、うーちゃんの死をそれ以上に遠ざけたいからでもない。

 これはまさに、稲妻のような衝動なのだ。

 「そうしたい」と思う意思の介入の暇もなく、私は全身全霊でうーちゃんを愛しているだけなのだ。愛しているから、彼女と共に見たい映画が、景色があるから、契約が切れる前にできるだけの愛を注がなければならない。ただ、それだけの話なのだ。


 ……で、あるからして私は、いつもスケジュール帳を手に取って、確認している。

 私のではない。うーちゃんのだ。

 うーちゃんのスケジュール帳は、基本的にうーちゃんがいつも肩に掛けている、黒くて高級感とツヤのあるコンパクトなブランド鞄の中に静かに収まっている。

 ピンク色の手帳の表面には指の表面で押すと柔らかい感触を跳ね返してくる厚みのあるウサギのキャラクターのクッションシール。そしてギラギラとしたラメの眩しいイチゴのシールがいっぱいに貼られていて、中身は多少開閉が不自由な程にぎっしりと詰まっている。

 小学校のオトモダチの書いたプロフィールなんかも大学生になっても未だに挟まっていて、うーちゃんは私と違って今より過去をとても大切にする気質にあるようだ。

 そう思いながらもスケジュール帳をぺらりと開けば、今日の頁に真新しい文字が書き込まれていた。

 6/27「ヨド川のパパ 18:30~」

 うーちゃんは、パパ活をやっている。その数多のパパの中でうーちゃんがとりわけ気に入っているのが「ヨド川のパパ」らしい。ヨド川のパパは聞けば「オオサカクヨド川シ」出身らしく……。うーちゃんの言っていることだから恐らく正しくは「大阪府淀川区」の覚え違いだとは思うが、とにかくそれで「ヨド川のパパ」なのだとうーちゃんは言う。

 ヨド川のパパはとにかく金払いが良く、時には競馬場なんかにも連れて行ってうーちゃんの選んだ馬券を買い与えてくれる程気持ちの良い浪費癖の持ち主らしい。馬券が当たった賞金は山分け、昼から夜まで食事もショッピングも好きなだけさせてくれる、プライベート事情には踏み込んでこないデートが好きなだけの陽気なパパ。そんなうーちゃんの話を聞く限り、うーちゃんがヨド川何某を気に入るのも納得だった。

 ……私もバイトはしているが、うーちゃんの好きなコスメやブランド物の服を好きなだけ買ってあげるとなるとどうしても今のシフト数ではお金が足りない。そうなってくるとシフトを増やすしかなく、需要に応えてシフトを増やせばうーちゃんに会える時間が足りなくなってしまう。だから私は私がうーちゃんのことを満足に養えない以上、うーちゃんのパパ活を咎められない。うーちゃんはなかなかの浪費癖の持ち主で、その浪費癖さえ治れば、私の貯金を切り崩してパパ活などせずとも私の貯金だけでうーちゃんを養うことができる。

 けれども、パパ活をして好きなブランドのカバンやコスメ、服なんかをめいっぱい買って、それでうーちゃんが幸せになってくれるのなら、それで、いいのだ。

 そう思いながら、私は自身の黒、白、赤、青しか色の見当たらない簡素なペンケースの中から、おおよそ似つかわしくないピンクのラメペンを取り出した。

 6/28「0:00 恋人の家」


 うーちゃんは、一応私と同居している、のだと思う。何故「のだと思う」という不確かな認識なのかといえば。それはうーちゃんがこの家に帰ってこなくなったからだ。最後に帰ってきたのは確か、三ヶ月前だったか。

 私たちは付き合い初めの頃、二人で膝を突き合わせて話し合って、そこで初めて同居することを決めた。

 その頃のうーちゃんは、固定の家を持たずに複数のパパと絶え間なく会い続けることで食事代を賄って、その日の住居であるホテル代はパパに出して貰っていた。「男の人にホテル代を出して貰う」決していかがわしいばかりの言葉ではないが、如何にも一部の人からは誤解を受けそうなワードだ。実際うーちゃんも何人かそのような意図に取ったパパに会ってきたらしい。

 それを心配した私が「ここに住んだらいいよ」と言うと、うーちゃんは「うん、そうする」とメイクで血色無く白く見える顔をぱっと明るくして、可愛らしく笑った。付き合いたてでうーちゃんが恋人らしいことをしたい盛りの気分の絶頂にあったのもあっただろう。うーちゃんが頷くのは早かった。

 かくして私たちは同居することを決めたのである。

 だがしかし、暫くは健気に家に帰ってご飯を食べていたうーちゃんだが、彼女はそのうち家に帰らなくなった。食事も外で摂るようになり、荷物も日を経るにつれ家から減っていった。

 深くは追求しなかったが、うーちゃんは家で出る肉じゃがや白いご飯、いんげんのスープなんかの健康的な食事よりはギトギトの油を手や口にいっぱいつけて健康に悪そうな甘いタレに漬け込まれた手羽先なんかを食べる方が余程好きらしい。その為うちで出る食事はうーちゃんの口には合わず、そして寂しがりではあるが人好きではないうーちゃんに、常に居住区まで見知った人間の居る空間は「なんかイヤ」だったのだろう。

 うーちゃんは、ホテル暮らしを再開した。

 うーちゃんは私のプレゼントしたコスメや服も含めて、細々としたメイク類は信頼できる独身のパパ達の家に所々分散させて置いているらしい。彼女はふと見る度にメイクを変えている。

 今日のメイクはウサギの目元のように涙袋をうるうると赤くさせたジュレメイク。個人的にはケーキ屋なんかで見るぷるぷるリンゴのケーキに似ている。

 ……本当なら、服や化粧品は私の家に置いておけば良いのに、そう思わないこともない。ないが、うーちゃんは私の家には物を置かない。パパの家だけに物を置いて、私のところへは寄り着かない。そうしているのはきっと、うーちゃんが私のところへ持ち物を置きたい、とは思っていないからだろう。

 だから私は、うーちゃんにそのことを言わない。

「うーちゃん、今日も可愛いね、ウサギの赤ちゃんみたいだ」

 そう私が言うと、返事こそ返さなかったがゆらゆらと機嫌良さげに頭を揺らして、うーちゃんはネイルの続きを塗り始めた。

 ネイルの赤が、けばけばしく光っている。

 うーちゃんが死ぬまで、あと1825日。

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