11話目 首斬りロマンチスタ

 この国には、「首斬りロマンチスタ」と呼ばれる処刑人が居る。しかしながら、彼は処刑人の職と地位を持ちながらも、一度として人を殺める為に自らの手を下したことはない。

 ……そう、彼は一度として、人を殺そうと思って、明確な殺意を抱いて殺したことのない、ただの青年なのだ。

 だがしかし、生前の行いを見て死後の行き先を決めてくれると噂の神様は実のところ、人間の性質の善悪になど興味はないらしい。善人である筈の彼は、実に数奇な運命を背負っていた。

 ロマンチスタは、絶望的までにも「人を見る目がない」

 ……いや、もうここまで来るならロマンチスタに見られた人間が悪魔に堕ちる、と言っても過言でないだろう。

 そう、首斬りロマンチスタの恋した相手は、いつでも必ず「悪人であり、最期は必ず首を落として死ぬ」のである。

 そしてそれは唯一の例外を除いて、常に運命的に引き起こされる天命的な偶然であった。


 ロマンチスタは五歳の頃、初めて恋に落ちた。

 優しく真っ直ぐな瞳をした慈愛深い修道女。勿論敬愛する神にその愛の全てを捧げる彼女のことだ。この恋心を告げたとして、清廉潔白な彼女はこちらに見向きもしないだろう。そんな相手に恋をするなど罪深いことはできない……。そう思いながらもロマンチスタは恋心を抑え切れず、せめてこの想いは告げずとも、と秘めやかな恋心と共にその修道女に小さな花束を捧げた。

 ……その翌日、修道女は亡くなった。

 何でも彼女は教会に訪れた身寄りのない子供の臓器を売って聖職者に有るまじき贅沢暮らしをしていて、その日得た報酬の札束を数えることを日課としていたらしい。

 彼女は死んだ。数えていた札束が窓から突然吹き込んだ一陣の風に攫われて、追い掛けた彼女は窓から真っ逆さまに落ちた。人命を売るほど執着していた金束と共に地に散って、彼女に恋した少年の頬と同じように赤く染まって、終わっていった。

 そしてその一陣の風が神から彼女に与えられた罰であることは人々とって最早疑いようもない話であった。

 彼女の首は、落ちていた。彼女の亡骸が発見された時、その時既に、彼女は処刑台で裁きを受けた悪人のように、まさにごろりと転がっていたのである。

 そして、それは殆ど偶発的に引き起こされた。

 風に攫われた大切なものを追いかけた窓から落っこちた彼女の落下点には偶然、薪割りに使われていた斧が横たわっていたのである。そしてそれは置き方が悪かったのか全くの偶然にぐらりと傾いで、ロマンチスタが彼女に見た彼女の心根のように、真っ直ぐ上を向いていたのだ。

 偶然としか言いようもなく、彼女の首は落っこちた。白くて細い首は地面が林檎の瑞々しさを欲するが如く斧の鈍い刃に吸い寄せられ、その遺体が発見されるまでの長い長い時間をかけて刃の奥の奥まで沈み込み、遂には真っ二つに寸断された。

 ……これが、ロマンチスタの初恋である。

 このように、ロマンチスタの想い人はロマンチスタが恋心を抱く度に何らかの偶発的な事象ですっぱりと首を落とされた。これこそがロマンチスタに付いた「首斬り」の異名の由来であり、神に与えられ給うた天命であり、彼を人殺しに貶め続ける悍ましい呪いなのである。

 このロマンチスタに与えられた呪いを知った正教会はすぐさまロマンチスタの保護を決め、それに伴う準備を急いだ。

 ロマンチスタの天命は人を殺す理不尽を孕んだ力で、見ようによっては悪魔的であるとも言える。しかしそんなロマンチスタに対する処刑処分が為されずその処遇が「保護」に留まったのは、これまでの彼の「恋」に裁かれてきた人間全てに「悪人」と断言できる重い咎があった偶然が作用しているのではないか、と学者達の間では噂されている。

 人々の間では正教会はその裁きの中に神の面影を見出し、ロマンチスタを神子と担ぎ上げようとしているのではないか、または危険分子として正教会はロマンチスタを保護下に置くことで正教会の権威をアピールしたいと目論んでいるのではないか、など様々な憶測が忙しなく飛び交ったが、恐らくその真相が明かされることはないだろう。

 ロマンチスタは処刑人になった。

 しかし正教会に直接雇われた処刑人であるのにも関わらず、これまでロマンチスタは正教会の本部はおろか支部にすら招かれたことがない。また、処刑場で日夜首を落とす仕事をして本部などに行く暇がないのかと言われれば、やはりそうではない。彼は用意された屋敷で水と果物だけが食事として提供され、決まった曜日だけ外出の許される殆ど幽閉されているような生活を送って、自身の存在意義を見出せずにいた。

 偶の任務があっても、彼はそこで何をしろと告げられることもない。ただその場所にぽいと放り込まれて立ち尽くし、何をすれば良いのか分からないままぐらぐらと揺れ動き、やっと落ち着いたと思った頃にそこでできた想い人を偶発的に死なせて労われ、任務は終了だとまた元の屋敷に戻って来る。彼はそんな風に、仕事とも言えない指令を淡々と、しかし恋心だけは殺せないまま殺人を繰り返し、誰も居ない広い屋敷に戻っては毎日死んだように生きているのだ、と言っていた。

 そんな人との触れ合いに飢えたロマンチスタが週に一度の解放日にやって来るのは、専らうちの酒場だ。

 うちの酒場は水曜日は本来ならば休業日なのだが……まぁ、うちも人情商売だ。しっかり金も落としてくれることだし、その厄介な性質を持った厄介な常連客だけには特別に、「CLOSE」の札の掛かった水曜日の扉を押し退けることを許すことにしている。

「やぁブランシュ、久しぶりだね、元気してたかい?」

「一週間だぞ」

「一週間だよ、あぁビール頂戴」

任務がなければ天井の模様を見るくらいしかない生活の流れの遅さを親愛なる君にも是非体感して欲しい、とニッコリと笑うロマンチスタにうんざりとした顔を向ければ、ロマンチスタはもう既にこちらから視線を逸らして後方のメニューを見ていた。

「くっちゃべりたいなら飯の一つも注文しな」

「どうしよう、自信あるやつある?」

「全部頼め処刑人サマだろ、こんな安っちい酒場でケチんな」

「処刑人様だよ。そっか全部かぁ」

お金はあるんだけど如何せん胃がさぁ、とぼやきながらロマンチスタはメニューに目を落としていたが、その視線はどこか定まっていないようで、彼が別のことを考えているのは目にも明らかだった。

「スープとパン」

「やっすいもん頼むなよ」

「たっかいもん僕には重いんだもん……ねぇ」

スープとパンか、と小さく復唱をして食糧庫の方へ引っ込もうと背を向けた時、ロマンチスタがもごもごと口籠もり、何か物言いたげに声を発した。

「ブランシュ、君は兄さんのことが嫌い?」

時間が止まる。


「…………同い年だぞ」

そう擦り切れた声にようやっと同じような声で返すと、「僕の方が背が高い」と間髪に入れずに声が返ってきて、「いや」とすぐに彼はそれを撤回した。

「ブランシュ、実際僕達のどっちが早く生まれたか、どっちが兄さんかどっちが弟かなんて関係ないんだ。重要なのはそこじゃない。どっちがどっちでも、僕にとってブランシュ、君は僕の家族には違いがないんだ、僕の聞き方が悪かった」

「……誕生日も分かりゃしないんだ。もしかしたら母親も違うかもしれない、だったら他人だ」

「違う、違うよ、僕たちは家族だ……」

そう彼は絡まった糸を指を差し込んで一つ一つ丁寧に解くように辿々しく想いを口に出しながら、こちらを真っ直ぐに見た。

「もし父親だけじゃなく、母親も違うんだとしても、ブランシュ、君は僕の弟で兄だ。……家族なんだよ」

 僕は僕の家族の君に、会いたいんだよ。そう言って、彼は泣き笑いのような顔をした。

「ねぇブランシュ、もし……君に嫌われているのだとすれば、いやきっと嫌いだろうけれど……。でも僕は君を逃してやれないんだ。僕は君が好きだ、愛したいんだよ。だから君が嫌なら逃してやりたいけれど、無理なんだ……。寂しくて仕方がないんだよ。君だけなんだ」

僕が恋をせずに愛せると思えるのは。とその唇が震えるように続けて、泣きたいのはこっちだ、と思った。


 首斬りロマンチスタは……否、ロマンチスタ・アーレンは恐らく自分の……ブランシュ・アーレンの腹違いの兄弟である。

 恐らく、というのは、ロマンチスタ・アーレンが自分と異母兄弟であるという証拠が微々たるものしか残っていないからだ。

 父の死後、ロマンチスタの母である女がロマンチスタと家にやってきた。女の紫色の唇は噛み締められていて、強く震えていた。

 その時ロマンチスタの母の凍るように硬く握り締められた拳の中には父の遺産であるペンダントが埋まっていてそこには二枚の写真が入っていた。それだけだった。その写真を見比べると目にも明らかに、自分とロマンチスタは似ていた。母親譲りのツリ目やロマンチスタの優しい目元は似ていなかったが、瞼の重さや雰囲気、そうしたものは父親の遺伝子を継いだのか、似ていた。それくらいのことしか、自分達が異母兄弟であることを示すものは……ない。自分達が兄弟であるとは、限らない……。

 いや、いっそのこと正直に言おう。

 ロマンチスタ・アーレンと自分の容姿は、似ていないのに兄弟であることが疑いようもないくらい似通って、そっくりだった。

 処刑人、要するに高給取りであるロマンチスタがさして大きくも店主の愛想が良くも屋敷から近くもない酒場に毎週通っている……というのはおかしな、悪巧みを疑ってしまいそうな程違和感を禁じ得ない話ではある。だがしかし、その真相が分かってみれば何のことはない。自分の家族がそこに居る、だから通う。ロマンチスタにとっては、ただ、それだけ。それだけの話なのだ。

 ……そう、ロマンチスタがこの酒場に脚繁く通うのは、自分が家族でかつ、同性だからだ。

 ロマンチスタは自身の「恋」を自覚して処刑人として拾い上げられて以降、自身の育ての母親達には「もう会わない」と文を認めて彼女らから自らを遠ざけた。それは正しく、育ての親への愛故の行動であったとも、臆病な彼の万が一への恐怖心の表出の結果であるとも言える。

 万が一の話ではあるが、異性である母親達に恋をしてしまって殺してしまったら、とロマンチスタは己のことを恐れている。そしてそれと同じように、ロマンチスタはいつでもどこでも付き纏う、自分でない相手の死の可能性に怯えている。「恋」の可能性に怯えている。彼にとって、「恋」に落ちる可能性のある相手は全てに於いて、「脅威」でしかない。故に彼は常に全方向から剣を差し向けられているような恐怖で思考を凍り付かせている。

 けれど彼は今この場所……この自分の前だけでは、その強張りから逃れることができるようだった。

「あぁこのところ、できるだけ女性には近付かないようにしてるんだ。恋をしたくてしてるんじゃない、したくないと思っていてしないでいられるなら僕はもう人を殺していない筈だからさ。だから、近付かないようにしてる。でもそうして男の群れの中にばかり居ると今度は男の中にも良いところを見つけてしまって、あり得ないのにうっかり恋をしてしまいそうになるんだ」

 馬にも恋をしたくらいだからさ、僕はきっと恋をせずに居られないんだ。焦がれずに居られないんだ、と言いながら、ロマンチスタはこちらを見て、ふにゃりと笑った。

「でもブランシュは違うよ。僕は、自分のことを好きで居て、褒めてくれる人が好きだけど君は褒めてくれないから。要するにタイプじゃない。だけどそうで居てくれる君が大好きなんだ、君は僕に厳しくて、甘やかしてくれないから好きにならない……というか、君に対してはこういう冷静な分析ができるくらい、好きって衝動が少しも湧かないんだ。兄弟だからかな」

 君はいつまでも僕の愛しい家族さ、と可憐に微笑んで、ロマンチスタは机に突っ伏した。

「ねぇ、ブランシュ。いつか僕の呪いは……解けるのかな」

 そう小さく呟いて、それきりロマンチスタは口を閉ざした。

 ……この恐ろしい処刑人は恋多きその心からも悟れるように、人との繋がりに飢えている。しかし飢え焦がれていながら、この処刑人はその心繋げた相手が自分の恋の為に死んでしまわないかが心配で心配で堪らなくて、誰にも頼れないで居るのだ。

 その例外が唯一の、好きになりようもない、同性の、家族。

 ブランシュは突っ伏した男から寝息が聞こえるのを確めて、一日前からとうに閉店している酒場の店仕舞いの支度を始めた。一人の客の為だけの皿を流し台に放り込み、一人の客の為だけのブランケットをその客の背中に放って、ブランシュは自分で自分が馬鹿らしくなってくしゃりと笑った。

 本当なら、今店仕舞いなんてしないでも、殆ど金にならない客をこんな日に入れなくたって、入口で追い返したって、稼ぎなんて殆ど変わりやしないのだ。ゼロよりはある、というだけで、労力で考えればプラマイマイナス。招き入れる意味がない。

 そう苦笑しながら店の電気を全て落として、ブランシュはロマンチスタの側で小さく屈んだ。

 眠る兄の唇は、思いの外苦い。

 最後の料理の食の進みが遅かったのは胃の小ささではなく酒が彼好みではなかったせいか。とそんなことを思いながらブランシュは唇を軽く舐めた。

 彼が悪人だけを裁くなら、悪人だけに恋をするのなら、子を成せない同性の兄に恋をした自分だって、神に叛いた自分だって、悪人の筈なのだ。彼が恋に落ちる相手の条件は満たしている。だから後は、彼が自分に恋に落ちるだけ。たったそれだけの話だ。

 なのに未だこの首は、二十五年の間繋がったままでいる。そしてこの首が落ちることは永遠にない。だからこそ自分はあの男の、誰よりも愛しい唯一なのだ。

 その親愛が憎く、何より、それが醜い自分を照らして浮き彫りにするのが悍ましい。嗚呼。

 この首が細く、白く透き通っていれば。そんなことを考えながら、ブランシュは繋がったままの頸を撫ぜた。

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