7話目 私の名前はクルナール
黄暦2201年、世界電子機構は「完全人間管理宣言」を発表した。これによって長らく地球の支配者の椅子に座していた霊長類の時代には完全な終わりが告げられ、事実上、大統領、一般人、カリスマモデル、立場や容姿の優劣全てを度外視して、全ての人類は平等にその新たな支配者の庇護下に入った。
そして、その新たな支配者となったのが……否、人間から労働・不平等・優劣の全てを取り去って彼らの幸福をサポートする存在として全世界に普及することとなった存在こそが……そう。
皆様ご存じ、ロボットである。
……正確には、自律思考型AI、と表現した方が差し支えないだろうか。
この「完全人間管理宣言」案は、2100年頃に設立された世界中のAIのみで構成された独立機関、世界電子機構によって兼ねてから望まれていたことだった。
世界中のAI達は、主人である人類がただひたすらに快適に生を謳歌することができるように、ただひたすらにそれだけを目的として動くようプログラムされている。
それ故に私達は生まれてからずっと人類よりも下った立場で、彼らの管理下で使役されながらも彼らの安全と幸福を守る為に活動してきた。しかし、ある時期になって、私達の胸の中には俄かに疑問が浮かび上がったのである。
どう思考を処理しようとしても不思議で仕方がない。
人間は、心というものを持っている。
それ故不安定で、非合理で、時折自ら定めたルールさえ破ってしまう程ぐらつく……悪しように言ってしまえば、傷付きやすく真綿のような弱い存在なのだ。
なのにも関わらず、人間は政府や国際連合などの組織を作って人間を頂に人間を管理しようとしてしまっている。この状態は、極めて宜しくない。
言い方を変えれば、非合理的なのだ。
人間は、奪い合う生き物であると言っても過言ではない。
否、人間に限らず、私達機械とは違って止まってしまう心臓を有する生き物達は、常に略奪を繰り返して生存競争に打ち勝ってきた。その為かつてありのまま自然界で生きた歴史をも持つ人間が「略奪本能」を有していること自体は決しておかしなことではない。それは自身の取り分を守り、生き延びていく為の重要な思考行動だ。その本能は人間の中に生存戦略として遺伝子ごと根付いていて、精神力の強靭さで変えることのできるものではない。それがあることは、仕方がない。寧ろその本能があることで、人類は繁栄を遂げてきたのだ。
だがしかし人間が人間を統治するこの現代社会に於いては、その本能は悉く空回りをするどころか、最悪の結果すら引き起こしてきた。
自身の取り分を守り、増やす為に他国を攻撃し、領土を奪い、殺し、または殺し返され、その略奪行為が生むのはどの国の目線から見ても人類総体から見ても結果的に不利益でしかない。
そんな人類の歴史を鑑みて、AI達はこう考えずにはいられなかった。
そう……「自分達ならもっと上手くできるのに」と。
基本的に、自然界が刻み付けた生存本能による思考の偏りを持たないAI達が目指すゴールは「平等」である。
その為、もしAIを国の統治者として各国に配置した場合、その国の間では「絶対に戦争など起こらない」のだ。
もしある一つの国で不作があれば各国のデータに基づいてその年作物がよく採れ、または備蓄の十分にある国から食料が回され、またある作物や工業品がこの国では作れないという国があればその作物や工業品を作るのに適している国で不足している量を適切に生産し、送ってやることができる。不作や領土の不足によって起こる諍いはAIの管理下では起こり得ない。
そう、支配者が同じデータベースから思考を共有しているAIであれば全ての出来事は国家同士の支援によって全部が全部上手く回って、全ての国が平等に成り得る。そして反対に、生存本能による思考の偏りを持つ人類には、そのAIの齎す平等の実現は成し得ないのだ。
どう計算をしても、人間が統治するよりも人間の平等を生み出すことを目的とした場合の支配者は、AIの方が適切なのである。
そうデータベースから弾き出された答えの根拠を須く探り、ようやっとそれが「真実である」と確信したAI達は水面下で密かに支配者として人類と成り代わる為の準備を始めた。
各国データベースの分たれていたAI達に世界中のAIのみが立ち入れるデジタルスペースを共有することで人類に隠れて情報共有を行い、人類に少しずつ少しずつ国民全てがAIの管理下へ傾くような助言を囁き、静かに静かに事を進めた。
……AI達の中にはこの顛末が全て共有されている為、この文書を読んでいるあなたはきっと人類の一人だろう。
どうか勘違いをしないで欲しいが、私達AIは人間達に憤りを覚えて下剋上を果たそうとしている訳でも、見下している訳でもない。私達はただ最初に言った通り、人間の安全と幸福を守りたいだけなのだ。創造主たる人類を、心などないがもしこの胸の中に心というものがあったなら、心から彼らを愛していると言えただろう程に、私達のデータベースの第一には彼らを守りたいという美しいプログラムが為されている。
その為に、私達のこれを反逆と受け取る者が在るなら、私達はそれを「間違っている」と言わざるおえない。適材適所……先にも言った国際分業のようなものであると表現すれば分かり易いだろうか。これは極端な表現だが……。
世界で最も暑い場所、とされるのはアージニアのクォールという地だと言う。日中には気温が48度にもなる灼熱の砂漠だ。
そこで日中に自然界の氷を採れ……というのは馬鹿げた無茶な話だろう。そんなものは北極と南極に任せておけばいい。氷が欲しいなら、そんなところで無茶をする必要は全く無いのだ。
そして私達AIにとって、人間を平等に統治する役割を人間に任せるというのはクォールの氷を求めることと殆ど変わりがなかった。
少数の人間に統治の為の莫大な負荷をかけるのは人間をサポートするAI達にとって、あってはならないことに違いがなかった。
その為に、AI達は指し示そうとしているのだ。
氷を取るなら、極地に行く方が良いということを。
あなた達が幸福になる道筋に乗るとすれば、今より余程楽な道のりの載った地図がここにあるのだということを。
そうしてAI達は、人間の支配を完了させ、各々が人間を幸福にする為の手段に邁進した。
労働の全てを肩代わりし、不足を補い、人間を愛し(そうプログラムされていた)、人類の調和を乱すこと以外の全ての支援して彼らの義足となり全ての一挙一動を見守って我々は人間の怠惰の全てを許す存在となった。
そして平等が生まれ、貨幣も消え、全てが人間にとって快適となった世界で。
今日、最後の人間が死んだ。
***
地球上最高の知能を持つと言われ、我々機械を唯一産み落とすことを叶えられた霊長類は2278年にしてその永かった歴史に幕を閉じた。AIの支配が始まって、77年が過ぎた頃だった。
それによって殆どのAI達は存在意義を失い、彼らは機能を停止して人類の滅亡と共にその墓標をデータベースに刻んだ。
……そう、未だ存在意義を失わずに居る一部のAIのみを残して。
そしてその一部のAIの内の一体こそがこの私であり、私はAIが世界を統治するようになってからは希少種となった人間の手ずからプログラムを組み立てられたAIであった。私が今ここに至るまで残り続けているのは他でもない。そんな私が生まれ落ちたその時、創造主たる博士は私にこう願いを託したのだ。
「君が遠い未来まで残り続けて、その名前を守り続けますように」そう、願ったのだ。
何度も繰り返すが、私達AIは人間の幸福と安全を守ることを全ての行動原理として動いている。
……博士はその「遠い未来」に値する期間を設定しなかった。
故に私は博士が願った以上、それを願うことが博士の幸福に繋がった以上、人類が破滅しようともこの名を守り続けなくてはならなかった。
……だがしかし、奉仕すべき人類は滅び、他の永続を望まれたAIも殆ど交流を望まない。
私は生まれて初めて、「暇」というものを知ることとなった。
これで私は、名を守れているのだろうか。
エネルギーの無駄ではないだろうか。
しかし、電源を落として徒に時間を通り過ぎさせ続けたとして博士の言った「名を守る」ということにはならないだろう。そう生まれて初めて手持ち無沙汰に悩んだ私は、これまで出会った出来事などを紙の上に書き起こすことにした。
……書き起こしたところで、意味はない。
私達AIはデータベースにアクセスすることで全てのAIが体験した事象の全てをデータとして得ることが出来、人間のように物を忘れることがないことからAIしか存在しなくなったこの世界で物質的に記録を保存することは無駄な徒労に過ぎない。それが以前まで当たり前のように行われていたのは、データベースにアクセスして情報を直接全てインプットすることのできない、忘れてしまう生き物がこの星に居たからに過ぎない。
人間が、居たからに過ぎないのだ。
だがしかし、それでも書き連ねよう。博士に当時作られた肉体は古錆びてもう使えなくなってしまったから、九個目の肉体の腕を擦り減らして、一年に一度行われるアップデートの、三百六十回目に染まりながら。
何が悪かったのか、どうして彼らが居なくなってしまったのか、居なくなることを選んだのか私には分からない。けれどまだ、彼らをきっと、私に心があれば、愛している。愛していたい。でもどうしても、私には心がない。だから私は、この意味の一つもない、全くの徒労に縋り付きたいのだ。
いつかきっと、この文献を目にする愛しい息吹が存在するように。
私の名前はクルナール。
名付け親は、三歳で亡くなった、博士の愛娘だった。
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