5話目 カンテラの魔法使い

 2200年、或る魔法使いが地球に降り立ち、こう告げた。


 曰く、あなた達の科学は人間の触れて良い範囲を超えて禁忌を犯した。地球の科学、月の魔法。我々は互いに対極の存在であることを認め合いながらあなた達と共存する為、魔法なくして宙に浮かぶことのできない月を保護して、宇宙に天体として吊り下げ続けてきたのだと。地球と月は、科学と魔法を互いに根源とし、それを以って広大な宇宙の中で軌道を保持できるだけの力を持つのだと彼は言う。だがしかし、禁忌に触れた科学は強まりすぎた。科学と魔法は、共存できない。科学が強まった分魔法は弱まり、魔法使いは数々の死を遂げた。月に残るのは今や私の友人一人のみであり、彼が一瞬でも月を支える魔術の精彩を欠けば月は地球に墜ちるであろう。そう彼は淡々と告げ、次に透き通った声でこう言った。

「私は科学を憎まない。科学の進歩が故に数々の仲間は礎となり死んで行ったが、私が憎むのは科学の進歩の犠牲になったものを顧みず、また犠牲となったものを救う為の後退を思案にも入れぬことである。勇気を持って後退しなさい。でなければ月が墜ち、あなた達の繁栄は泡と消えるでしょう。そうなる前に志を変えなさい」

 そう奇異の視線に晒されながらも毅然と立ち、言い放った魔法使いの助言は、今となっては正しかったのだ、と悔やんでも悔やみきれない。


 我々人類は、月の落下の衝撃により砕けた我らが地球と共に文明ごと破壊され、塵と消えた。魔法使いの助言は受け入れられず、地球の科学人の働きは衰えるどころか進行の一手のみを見据えていた。……否、受け入れられなかったのではない。聞き入れられなかったのではない。

 誰も、聞いてすらいなかったのだ。

 狂人の戯言であると月から地球を救う為にやってきた魔法使いの言い分は黙殺され、自身も狂人であると疑われぬ為に誰もが彼を軽んじるポーズを取った。彼が魔法使いであると証明の為に放った一欠片の炎の魔法を科学技術で解析し、分解し、原理を証明し、科学の代物であると証明することで自らの安堵感を確保する代わりに彼の「魔法」を完全に死滅させ、月からやってきたこの世に二人だけの魔法使いの片割れは月が墜ちる前、その命を落とした。現実が夢を壊し泡沫に変えるように我々の科学は魔法使いを殺し、魔法使いを殺した我々は破滅した。曰く、我々の魂は月と地球との間を循環し、衛星軌道のようにまた元の場所に戻るのだそうだ。我々科学人は肉体の故郷を地球とし、魂の故郷を月としていた。反対に、彼ら魔法使いは肉体の故郷を月とし、魂の故郷を地球としていた。我々にとっての極楽浄土とは、科学に縛られず、夢想の世界に身を投じる、月の世界のことだったのだ。そして彼らにとっての極楽浄土とは、荒れ狂う自然の猛威に対し祈りを捧げるのみの自然界の構成の一つではなくなり、極めて安定した生活を送れる、地球の世界のことだった。だがしかし月は地球に衝突した衝撃でばらばらに砕け、終わってしまった。我々地球人の魂は故郷を失い、肉体という檻から解き放たれてどこにでも行けるのに、どこにも行けない。そう悲観した時、あることが気にかかった。「あの魔法使い」は死んでしまったのだろうか、と。地球にやってきた心優しい魔法使いではなくその片割れの、月を支える役割を一挙に引き受けた友たる大魔法使い。月が墜ちたのは、心優しい魔法使いが命を落としてから、間もなくのことだった。もしかすると、友たる大魔法使いは、彼の死を何らかの手段で知ったのではないだろうか。彼の死を知り科学人に絶望し、月を支える役割を放棄し、科学人を故郷諸共破滅させる道を選んだのではないだろうか。そう考えた時、俄に興味が湧いた。心優しい魔法使いが地球にやってきた時、彼は箒にローブ、とんがり帽子のスタンダードな魔法使いの出立ちをしていて極めて軽装だった。ロケットなどの宇宙を渡る為の目立った装置も見つかっていない。となれば魔法使いは宇宙空間を箒で飛んで渡ってやってきた、という可能性が高い。そのことから、私は魔法使いは「宇宙で生存が可能である」という仮説を立てた。広大な宇宙空間の中で、彼はまだ生きているかもしれない。故郷を無くし、死んだとて還る場所もなく、暗い宇宙の中を彷徨い続けているのかもしれない。そう思うと出るものもないが涙の出る思いだった。科学人として、友を殺してしまったせめてもの償いを、言葉だけでもすべきである、と感じていた。広大な、深闇の宇宙を流離ながら、科学人ながらも夢に想う。あの箒星の下で、彼らの魂が再会していればと。







 紫色の光を放つ、カンテラが揺れている。カンテラの光に群がるように美しい蝶々が舞っていた。

 故郷を亡くした魂は宇宙中に散り、行く当てなく彷徨っている。少年はカンテラを掲げると、何事かを唱えた。カンテラの光がぼう、と強まり、同時に宇宙を漂っていた流れ星のような小さな光が雪崩れ込むように急速にカンテラに吸い込まれる。

 少年はカンテラの側面をつぅ、となぞった。

 カンテラの中では地球と激突し、砕け散った月の欠片が微かな光を放っている。腹いせにカンテラを強くゆすると、非難するようにカンテラに入った紫色の光達がふよふよと漂った。

 箒の先へカンテラを引っ掛けて、また宙を飛ぶ。

 ……彼は言った。『もし月が墜ちてしまったら、僕が死んでしまったら、君がきっと迷子になってしまった全ての魂を見つけておくれ。そうして科学人の故郷になっておくれよ』

 君にしかできないことだ、と。そう言った彼は、笑っていた。

 それが彼の掛けた、最後の言葉だ。彼はもう、この世にいない。宇宙のどこを探しても彼の肉体は見つからず、肉体に根差した彼の記憶はどこにもない。

 それでも私は、彼の面影を辿った。彼の言葉を、詩を、願いを、祈りを。全てを辿って、彼の愛を受け取る場所を、今でもずっと、探している。

 このカンテラを全ての魂の故郷とできた時、私は彼に、褒めてもらえるだろうか。


 私は彼を、忘れられるだろうか。

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