助けて私の王子様!

今となっては何の間違いでそうなったのか記憶にないが、私は三年前から王子様と付き合っている。


あ、勿論「王子様」は比喩表現。今日日リアル王子様と私めのような庶民が付き合える訳もなく……と、その理論で行くと今の彼氏ともどうして付き合えているのだという話にもなるが、まあとにかくリアル王子様よりは比較的手の届く場所に居る、会いに行ける王子様。それが私の彼氏だ。


その容姿は王子様と言うにまさしく相応しく、168cmの身長を持つ私がヒールを履いても全く見劣りしない186cmの高身長に爽やかでいて甘いマスク。シンプルにワイシャツとスラックスでも着せてそこらの海辺へ放り出せば瞬く間に映画のワンシーンを切り取ったような情景の生まれる、疑いようのない超絶美形。ああ己の語彙が虚しい。とにかく、綺麗な顔立ちをしていることだけ分かって欲しい。唯一悪い所と言えば外に出なさすぎて肌が白い私にはあまり映えない白い小物や服を送ってくれがちで、物としては可愛くても私に対する贈り物とするにはセンスが非常に残念なお方だが、とにかく、顔は綺麗なのだ。


そんな王子様と平々凡々痩せこけたまな板、自分で言っていて悲しくなるまでもあるが「有象無象から一人適当に取り上げたら居るかもしれない」程度の女がどうやって交際するに至ったのか……。いやぁシンデレラストーリー。飽きる程過程を聞かれた。だがしかし冒頭で言った通り、私はその過程の全てを何故だか記憶の中からすっぽ抜かしていて、何一つ覚えてはいない。これが「いつか王子様迎えに来てくんね〜かな〜」とか言いがちな楽観主義の私の、数少ない内の一つにして最大の悩みだ。


記憶を飛ばす何かがあったのだとすれば現実的に考えると酒だろう。私と彼は偶然にもサークルが一緒だ。そうとなると酒の席……飲み会か何かで彼と何かがあって何かがあってもおかしくはない。しかし、肝心のその「何か」が分からない。しかし諸君。聞いて欲しい。彼氏に「私達なんで付き合ったんだっけ?」と素面で聞ける人間が居るか?少なくとも、私はそうじゃない。私は酒癖が悪いので、十中八九彼に迷惑をかけて何某かやらかして、下手したら半ば脅して告白だとかもしているかもしれない。そうしたらどうして「覚えていない」と初期段階で言わなかったのか、王子の青春をお前はこの何日間食い潰したんだぞと責め立てられかねない。そして罷り間違って万が一向こうから勇気を出して告白されてこちらが酔いの勢いでオッケーしたのだったとすればぬか喜びさせて申し訳ない。結局口を開けばどっちにしろ申し訳ない方向性に転がる。そんな訳で、私は何を契機に始まったのか分からない交際に何の異も唱えることはできず、気付けば三年が経過していた。


……失礼、王子様のスペックを顔と贈り物のセンスしか記載していなかった。幾ら顔が綺麗だからとは言え、一応彼氏。三年もお付き合いした相手のことを少しも知らない訳があるまい。いざ、彼について記さん……と思った瞬間、物凄い勢いで筆が止まった。ぴたりと。これが車のブレーキだったらこの世の中に交通事故なんてないだろうと思えるくらい、即座に。


私は嫌いな人間と付き合って、週に三回家から出て外でご飯を食べて、軽く酔って家まで送ってもらって「今日はありがとう」と手を振って嫌いな人間を送り出そうとできる人間ではない。一度「嫌いだ」と思った瞬間とことん関わりを避けて相手の中で自分の存在を徐々にフェードアウトさせて逃げる、卑怯でいて狭量な人間だ。


だから少なからず私は彼のことを好意的に捉えていて、嫌いな相手とは思っていない。だがしかし、彼の好きなものは嫌いなものは性格は、と聞かれた瞬間、とんと言葉が出ない。


まず一に、紳士的だ。スマートで、レディと言い難いこんな私にもレディーファーストの精神を欠かさず、段差があればまるで騎士みたいに手を差し伸べてくれる。微笑みは柔らかく、まるで聖母様。だけれどそれは私には、彼の個性ではないように思える。何だか薄っぺらく、酷く表面的。私には、彼は華やかな容姿に相反して、無機物に話しかけているような温度を感じさせない、まるで人でないもののように感じさせられた。


そんな彼に違和感を抱き始めたのは、今から二ヶ月前。友人の彼氏に会った時のことだった。彼はラグビー部に所属していて、山のようなどっしりとした巨軀……であったが癒し系で、サークル内のあだ名は「くまさん」優しくておっとりとした喋り口も相まってすっかり絆されて、終いには私も「くまさん」と呼ぶようになった。


そんなくまさんと会って暫く立ち話をしていて、一つ気付いた。


首が痛くならない!!


前述の通り、くまさんは巨体だ。横にも広ければ縦にも長い。だがしかし、首が痛くならない。これは私にとって、壮絶なカルチャーショックだった。というのも私は自分よりもほぼ20cm背の高い彼氏が居るので、毎度毎度天を仰ぐ形になって首凝りが慢性的な悩みだった。だがしかし、くまさんは王子様より背が高い。横にも広いからあまり背は高く見えないのだけれど、192cmあるのだそうだ。なのにも関わらず痛くならない……これは単純な話だ。


くまさんが、私の目線に合わせて屈んでくれていたのである。これに関しては申し訳なく思ったし楽にしてていいよとも焦って言ったが、「慣れてるから大丈夫だよ」とくまさんはほんわり笑顔で返してくれた。そのお陰で私は首を痛めることなく、その日はルンルンで首元も軽く帰宅することができたのだ。そこではたと気付く。


彼氏、屈んでくれたことねぇぞと。


だがしかし、贅沢になってはいけない。あれはくまさんが善意でやってくれたことだ。その善意を何の関係もない王子にまで「何でやってくれないんですか?」と言うのは違う。幾ら王子様でも、そこまで気が行き届かなかった、というのはあり得ない話ではない……。


が。


人はなろうと思えば幾らでも強欲になれるものである。屈んでくれない、首が痛いこと。そしてその首の問題を解決しようとヒールを履けば今度は足が痛いこと。そして私がヒールを履いていても、王子様は普段と変わらないペースで歩くこと。王子様本人には何の罪もないが、私の中にはそんな不満が降り積り、同時にそれを抱いてしまっていることの罪悪感で何度も押し潰されそうになってスマートフォンが彼からのメッセージで鳴るのが怖くなった。自分がそのメッセージに苛立ちを覚えてしまうのが、一番怖かった。だから私は漸く三年経って、当初言うべきだったことを口に出した。


別れましょう、そうしましょう。あなたは私と付き合うべきではありません。別れましょう、そうしましょう。


その言葉を聞いた時の彼は酷く驚いたようで、目一杯に透き通るような真白の瞳を見開いて、それでも美形が崩れないのがいっそ憎らしかった。私はこんなに醜く成り果てた。お前のせいだ。なのにお前はずっと美しいまま……いや、彼のせいではない、ないと分かっている……けれど。その王子様ヅラが憎い。ずっと綺麗なままの彼が憎い。分かっている。あなたの王子様の人格に、偽りなんてない。本物だって、私が幾ら爪を立てたって傷一つ入らないってとうに分かっていた。だけれど……。


「そっか、僕と別れたいんですね……」


そう王子様は静かに俯いて、目を伏せた。いつもはフェードアウトで関係性を断ち切る私がこうして直接彼に別れを告げたのは、私なりの敬意だ。三年間も、鮮やかな蝶達に口付けを強請ろうと思えば、遊ぼうと思えば幾らでも遊べた大学時代の三年間を私の為に砕いて、棒に振ってくれた。その恩返し……じゃないけれど、それに対する敬意を払いたかった。そして、三年間も宙ぶらりんでまともに異性としても彼を見られず「王子様」として他人事のように扱っていたことへの贖罪も兼ねて。


敬意と感謝と、憎しみと。持たざる者から持てる者への理不尽な憎悪が口からまろび出てしまわない内に、と私は最後の一押しを口にした。


「ありがとう、今まで楽しかったよ。できれば……」


「で、何で?」


これからもいいお友達で居たいな、と言いかけた私の言葉を、とびきり低い声が制した。


え?誰の声これ。


「何でだって聞いてるんだけど?」


そう言い放ったのは、目の前に立つ、王子様……だった筈の長身の男。酷く冷えた声は暖かい春のような柔らかい木漏れ日の音色を忘れ、まるで凍える北の大地。瞳の奥はぐらぐらと煮えたぎり、何か粗相をすれば一太刀に斬り伏せられそうな殺気の色に燃えていた。そんなあまりの光景に面食らって口を開けないでいると、彼は上機嫌に笑った。


「そうだよねぇ、何も言わないってことは理由はないんだ。安心して、君は俺の元から離れていかないよ。だって」


にぃ、と白い瞳が肉食獣のように細められる。


「君を迎えに来る王子様になれるのは、俺だけだよ」


そう言って彼は、その瞳と揃いの色の髪飾りを愛おしげに撫ぜた。

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