藤の香のような初恋を。
「結婚して!!結婚しよう!!この通り!!」
「どの通りですかちょっと私には分かりませんね」
「アンタにはこの美しい女優の五体投地が見えないのかしら!?」
「ちょっと最近視力落ちて来たんで……」
「ムキー!!」
***
その藤の花のような横顔に、恋をした。
***
私が好きになった人は、世間で所謂「悪役」とされている人だった。
戦前の財閥の名残りである前時代的な成金一族の一人として生まれ、手広く悪どく商売をする「金持ち」の彼。それも一ヶ月前に自分の起こした失態で事業を一つ破綻させ、その責任を全て両親に背負わせて両親を一族から除籍処分にして財閥の恩恵から両親を叩き出し、そのまま自分が分家の当主の椅子に居座ったのだから正真正銘、恩知らずの悪人だ。
その身勝手な行いのお陰で両親は困窮しているだろうに、育ての親に援助の素振りも見せず見向きもしない。そんな彼の態度に世間は批判の声を募らせたが、彼はメディアの舞台でその声を一蹴し、更には嘲笑した。これにより、彼はお天道様の下を歩くことも認められないほどの世間様の嫌われ者になり、メディアは囃し立て、「悪役」として花道を直走った訳である。
だがしかし、何の因果か私はそんな彼を好きになってしまった。
テレビ局から出てきた、藤色の着物姿の彼とすれ違って、その美しさに見惚れてしまって、思わず声を掛けた。その振り返った眉間に皺が寄り、形の良い艶やかな唇が怪訝に歪められるのにさえ胸が弾み、気付けばこう口走っていた。
「あっ、あの、食事に行きませんか!!」
「…………食事?」
その言葉を聞いた彼はあからさまに眉を顰め、少しの考える間も持たず口を開いた。
「お断りします」
何の益にもならない相手に愛想を振り撒く程私は暇ではありません、と素気無く彼は私の言葉を切り捨て、さらりと横を抜けて去って行く。
それはまるで四月の春風のようで、私は何故だか断られたことではなく、一人でスタスタと去り行く彼の背中に寂しさを覚えていた。
***
「食事に行きませんか」
「お断りです」
「食事に行き」
「あなたの顔を見ながら食べる食事が美味しい訳無いでしょう、私の嫌いな食べ物を増やそうという魂胆ですか」
「食事に」
「しつこい人ですね」
「食事……」
「マネージャーさん!!この人食事に行きたいそうですよ着いて行ってあげてください!!」
あれから私は幾度となく彼を誘ったが、彼は私の言葉に一度も縦に首を振ることはなく、一度も食事にすら行けていない。前途多難とはこの事だ。世知辛い。非常に厳しい。
それでも私は彼を食事に誘い続けていたし、マネージャーに「やめた方が良いのでは?」と言われても彼に関わることをやめなかった。それは彼のことが好きだ、という猪突猛進とも言える一途さの表れでもあったが、同時に不思議と「私は彼に嫌われていない」という確信があったからでもある。
ある時、何故だか私は平時刺々しい態度の彼の隣に居ることに安らぎや癒しを覚えていることに気付いた。そして恐らく、私には冷たい態度ながらも彼もまた、私が側に居ることで心地良さを感じているのだ、というそんな図々しい確信があった。
きっと、彼が私の誘いに「応」と応えることは恐らくこれからもない。だがしかしきっと、彼は私を待っていて、私からそう誘われたがっているのだ。その為、私は彼の側を離れず、食事に誘い続けてその度玉砕し続けた。
「…………あなた、いい加減諦めたらどうです」
そう横目でじろりと私を見て、彼は苦々しげな顔で言った。
「私は女性と関わり合いになるつもりはありません、もし私と結婚でもして豪遊したいとお望みなら別の男の所へお行きなさい。私は……」
結婚する気はありませんので。そう目を伏せて彼は言った。三人掛けの如何にも洋風なテレビ局のソファに腰掛ける和装の彼の姿は切り貼りしたように浮いて見える。私はマネージャーにジェスチャーで「出て行って」と扉を指し示し、二人きりになった部屋の静寂を小さく声の針で突ついた。
「ねぇ」
「何です」
「結婚しましょう」
「…………しません、しないと言った筈でしょう」
すると彼は小さく目を見開いて、暫く口を噤んだ後そう言った。断りの声には、平時程の力強さは無い。
……彼はいつも、寂しそうにしていた。孤りの背中は花咲くようにしゃんと伸びているのに何処か物憂げな陰影を宿していて、悲しげで、まるで誰かに見つけて欲しがっているような、抱き締めて欲しがっているような、そんな寂しさを持っていた。なのにも関わらず、彼はいつも口では「誰も近寄るな」と言わんばかりの冷たい一言で跳ね除ける。まるで彼は、自分がどんどんどんどん壊れて行く方向へ壊れて行く方向へと突き進んで行っているかのようだった。少なくとも、私の目にはそう見えた。
だから私は、彼を引き留めたかったのかもしれない。一人ぼっちの小さな子供を、愛してあげたかったのかもしれない。
「私今、結構売れてるし散財もしないから貯金まあまああるのよ、だから男の人に頼らなくたって寄生しなくたって自分一人で生きていけるの。だから、結婚しましょう」
「……益々分からない。何が目的ですか。金じゃないなら身体ですか。私は……」
「ね、結婚しましょ」
「…………しつこい人」
そう言うと彼は思い切り溜め息を吐いて、すくと立ち上がると此方を一瞥したきり、振り返らないで部屋を出ていってしまった。彼の居なくなった部屋には彼の纏っていた香りだけが静かに残り、私は倒れ込むようにソファに横たわった。
***
「結婚しよ」
「嫌です」
「結婚しま」
「せん」
「結婚……」
「これ何罪でしょう、訴えたら裁判起こせますかね?」
そしてあれから、もはや私は食事ですらなく開き直って結婚してくれと出会い頭に求婚する程になったが一向に関係に進展は無く、彼はうんともすんとも揺らぐ気配がない。
「非常に、厳しい……」
「それもうストーカーの域じゃない?大丈夫?」
そう私がカフェのテーブルに突っ伏すと、そんな私の話を聞いた友人は運ばれてきたケーキの苺にブスリとフォークを突き刺しながら顔を歪めた。
「ストーカーではないわよだってたまたま会った時だけだもん話すの……それにテレビ局でしか会わないし……」
「いや恐怖でしかないねそれは。私だったらテレビ局に行ったら居る可能性があるんだって怯えるよ?」
「えぇでもアピールできんのその時しかないし……」
そう私が頭を抱えると、友人は「いや」と魔法のステッキのようにフォークを振った。
「私が見るにアンタそういう時に攻めるしかできないからダメなんだね、知ってるでしょ「押してダメなら引いてみろ」」
そうふふんと自慢げに言う友人に「えぇそんな古典的な……」と私が引いて見せると、友人は「いいからいいから!!」と私の背中を押した。
「古典的でも現代に受け継がれてるってことは有効なーの!!いいから次からは普通に求婚とかしないでやってみ!!」
ファイト!!オー!!と一人で盛り上がる友人の姿を横目に、私は苦笑いをしながらも彼の横顔を思い浮かべていた。
***
厳しい。率直に言って、厳しい。
あれから私は、彼のことを無視していた。
ちなみに友人からは「結婚しようとは言い出すな」と言われているだけで話をするなとは言われていない。なのにも関わらず何故「無視」という極端な結果に至っているのかと言えば、ストレートに私と彼の間に「私が彼のことを好き」以外に話題が無かったからだ。
私は彼と、所謂「普通の会話」をしたことがなかった。それ故私は思ったより彼のことを知らず、そして彼も同じように私のことをあまり知らない。それどころか話している間にあれだけ私から好き好き言ってその感情全てを跳ね返されていながらも私が彼のことを知っている情報量よりも彼がわたしのことを知っている情報量の方がまだ多いという情けない結果が垣間見えてしまう事態となり、情けなさすぎてここ話しかけることも会話に応じることもできず数日が過ぎてしまった。
これはいけない、何か話さなくてはならない。そう頭の中で読み込み中を示す水色の丸がぐるぐると巡るが、元々頭の良くない私の発火寸前の脳は1G回線。そうしてこの頃、会話のチャンスを逃す日々が続いている。
そんな折、彼はソファに座っていた私の横に淀みなくすとんと腰を下ろすと徐に言葉をかけてきた。
「あなた、今日は何か予定あるんですか」
「…………?」
その曖昧な質問に私が首を傾げると、彼はこちらを見ずに言い切った。
「私は今夜、あなたを抱きます」
***
その言葉に目を白黒させた私に見向きもせず、彼はすらすらと目の前に台本でも置いてあるかのように流暢に言葉を絞り出し、凪いだ眼で言う。
「駅の近くのホテル、あそこの十三階に部屋を取ってあります。あなたは今夜十二時までにそこの1302号室へ来て、私に手酷く抱かれるんです。何もかも分からなくなるくらい、涙さえ出ないくらい、声も枯れて出なくなるくらい。あなたがぐちゃぐちゃになるまで。そうして判断力を失ったあなたに私はペンを握らせて、婚姻届にサインをさせます。例え印鑑が無くても……いいえ、あなたは持ってきてくれるでしょうが、もし忘れてしまったのなら口約束でも私と結婚すると、印鑑を押すと約束をさせます。あなたは私と結婚をして、私が枯れるまで抱かれ続ける」
私は、その予定です。そう彼は一息を吐いて、机の上にカードキーをカタン置いた。
「私に抱かれる気があるのなら、今夜十二時までに私の所へ」
そうでないなら、マネージャーを通じてでもこのカードキーは返して下さい、とそう言い残して、彼は緩やかな足取りで去って行った。私には今日十時まで仕事が有り、明日も朝から仕事が詰まっている。十二時、と指定した時間に間に合うのはただの偶然でしかなく、きっと予定をきちんと聞かなかったのはわざとだ。
彼はきっと、終わらせたがっているのだ。上手くは言えないが、そんな予感がした。
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