私のヒモの鶴守くん

私は家で一匹ヒモを飼っている。

 鶴守泉。セン、と読んで泉の珍しい名前に体長178cm体重69kg、オス。一房の青の入った黒髪で両目ともをすっぽりと覆い隠した、恐らく綺麗な顔立ちをしているんだろうな、という容姿のよく食べよく寝る至って健康体の人間年齢にして27歳、そして精神年齢にして7歳を自称する可愛いペットだ。

 そんな我が……いかん。愛犬、だとか愛猫みたいに表そうとすると愛人になってしまう。どうにもならないので同居人としよう。そんな我が同居人の口癖は、「楽な方でいいよ」である。それが彼の口から飛び出したのは、同居を始めた初日のことだった。


***


 ザァザァ降りの雨の中、彼は一人、道端に座り込んでいた。……正確に言うと、彼はザァザァ降りの雨に降られながら、『拾ってください』と書かれた段ボールの中に座り込んでいた。

「…………」

 私と同い年か年上くらいに見える人間が、体育座りをして『拾ってください』と書かれた段ボールの中でギチギチに詰まっている。二度見したし、悪夢かと思った。目を擦ったし、頬も抓った。夢じゃなかった。俯き加減の顔は前髪に隠れて詳細が見えず、どれだけ雨の中呆けて座り込んでいたのか羽織ったスタジャンは余すことなくびしょびしょに濡れている。

 何を思ったか、その日、私は人間のオス、26歳を道端で拾った。





 彼はどうやら幼い頃に殺人犯に父と母を奪われたらしい。父と母の葬式には列席したが、その時の彼はどうにも幼すぎた。彼は両親の死を理解できず、居なくなってしまった両親を探す為に親戚の家から脱走。そのまま行方不明という扱いになってしまったらしい。

「家に戻らないの?」

 そう聞けば、彼は出せるものもないけど、と取り敢えず出した林檎をもしゃもしゃ齧りながら言った。

「いや、もう諦めてると思うけどね。それに割と楽しいよ。警察に追われて犯罪者気分」

 もう時効になって探されてはいないだろう……と言おうとは思ったが、プリズンブレイクって感じだよね、と言った彼が如何にも呑気なので「知ってるよ」と言われそうでやめておいた。

「何で段ボールに入ってたの」

「飢え死にそうでさ、そしたらあの段ボールに猫が入ってて、誰かがその猫を拾っていくのが見えたから」

「はぁ」

「それ頭いいなと思って」

 ……まるで猫がペンを握って自分で箱に「拾ってください」とでも書いたかのような言い分だ。馬鹿らしい……とは思ったがその猫を倣った馬鹿らしい計略にまんまと引っかかった人物に思い当たって馬鹿らしいと思うのはやめた。優秀な策略家だ彼は。現に私が引っかかった。

 そんな顳顬の痛みに眉間を押さえていると、ずい、と彼がこちらに顔を出した。

「犬とか猫好き?」

「うーん、まぁ……」

 動物は、積極的に飼おうとは思わないが見る分だとか、友達のペットのおこぼれに預かって撫でたりだとかする分には好きな方だ。自身で飼う責任を持てる程好きだと自信は持てないが……。


「好きですよ」


そう答えると、彼はぎゅっと私の手を握って捲し立てた。


「ねぇ、僕を飼ってよ、いい子にするよ。トイレもその辺にしないし病院に連れて行かれても爪を立てないし食い荒らして床にぽたぽたご飯落とさないよ。犬猫よりずっと便利だし飼いやすいよ」


初心者にオススメ。そう至って真剣な顔で末尾に付け加えるものだから、初対面の男に迫られる恐ろしさも振り切れて思わず笑ってしまった。




そんな紆余曲折あって、彼に首輪を付けることになった最初の日。その日に、彼は例の台詞を言い放ったのだ。


「楽な方でいいよ」と。


夕飯は何が良いか、カレーかシチューどちらが良いか、そんな質問をした時のことだ。どうでもいい。旦那に晩御飯を何にするか聞いた時イラッとする言葉の典型例だ。


「私はどっちが良いか聞いてるんだけど」


「あー、ごめんね言い方が悪かったかも。楽な方『が』いい」


微かに苛立つ私に彼はあくまで呑気に返した。そういうことではない。シチューとカレーに楽な方も何もあるか、そう思いながら彼を睨め付けると、彼はその視線を感じ取ったのかソファの上でごろつきながら言った。


「……僕はご飯にそんな拘りないんだ。昨日の晩御飯は覚えてられるけど、一昨日の晩御飯は忘れてる。そんなもんでしょ。それにペットのご飯いつも犬に「何にしますか?」って聞くの君は。……例えば、料理工程は勿論だけどシチューならパンでしょ。パン屑こぼれてめんどくさいから、カレーの方がいいとか。洗う時に何となくスポンジ汚れる感じするからカレーよりシチューとか。例えば君がカレーが嫌いでシチューが大好きならカレーは食べる時にシチューより労力と時間がかかるでしょ。そういうの全部ひっくるめて、君にとって効率の良い食事にして、僕は拾ってくれた君が好き。だからどうせなら、僕は拾ってくれた君をできるだけ苦しめない食事が好き」


そういうことだよ。と彼はまたソファの上でごろつき始めた。


夕食はシチューになった。


***


……これが私の、傲岸不遜ペット様である。


それから同居人は何か問いかける度件の発言をして、のらりくらりと追及を交わす。恐らく、心の底からどうでもいいことを聞かれているから「強いて言えば君の望む通りが良い」と言っているのだろう。初日にシチューを食べてから彼はシチューがお気に召したようで、カレーとシチューの二択なら件の発言はせず「シチューが良い」と言うようになった。こちらが良かれと思って選択を委ねているのに「どうでもいいから君が選びな」と言われることには今でも少しだけ腹が立つが、……まぁ、猫に言われたことにして気にしないでおこう。確かに、犬猫に何が食べたいですかとは聞かない。


これが私の悪いところで、私は俗に、ちょろい人間である。一回「確かに」と丸め込まれてしまうと「そんなもんか」と思って────





やる気が失踪行方不明なので書きたかったエピソードだけ

書きたかった話


「今日は帰ってこないかも」


そう言うと、彼ははさりと手に持っていたタオルを取り落とした。


「どこ行くの」


「合コン」


「だめだよ」


「何で」


「合コンって彼氏作る場所でしょ。そこで彼氏ができちゃったらどうするの。週に三回は会って少なくとも月に一回は帰ってこなくなるでしょ。旅行なんて行ったらもっと。ねぇ、そんな帰ってこなかったら僕死んじゃうよ。君はペット飼ってるんだよ。一緒に住むことになったらどうするの。僕が寂しくなって犬みたいに寝室に潜り込んだらセックスやめて二人で撫でてくれるの?できないでしょ、責任持てないなら駄目だよ。彼氏作る場所なんて行っちゃダメだよ」


「もし帰ってこなくても生活費はあげるよ」


「そういうことじゃないよ。ねぇ、ペットって触れ合いが減りすぎると孤独死しちゃうんだよ。分からないの。君は行っちゃだめだよ。君を動物愛護法の違反者にはしたくないよ。それも僕は人間だから僕を殺すと殺人罪になるんだよ。僕を飼ったならその責任を取って僕と居てよ。合コンなんて行かないでよ。僕は君のペットで君は飼い主、君は僕のペットじゃないから君に首輪はつけられないんだよ。ねぇ、できることなら今ここに君をぐるぐるに縛り付けて首輪を飼いに行きたいくらいなのに」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る