花を吐く。

 馬鹿みたいな話だ。

 それが現実になる前はよく創作の題材にされていたようだ。どういう理屈かも説明無しに、そういう病気があったとしたら絵面が綺麗だよね、なんて軽率な理由で。罹ったら死ぬが、その過程を美しく花で飾る。次第に崩壊へと続く様子を耽美だと評するための舞台装置として、花を吐く病気を扱っていたそうだ。

 現代でそんな作品を出したら字義通り袋叩きに合うだろう。


 私はそんな前時代的な掌編をスワイプで放り投げて、再び馬鹿らしいと象る。

 突如声の代わりに血が溢れ、喉の奥から激痛が走り、私は私の肉をげろりと吐き出した。真っ白なベッドは500ミリのチリソースをぶち撒けたみたいに赤く染まり、私から剥離した細胞の塊がシーツを汚す。嗚咽と唾液と胃液と鼻水と涙滴とリンパ液でどろどろになったベッドの上はさながら腹を裂かれた死体のようで、酷たらしく血溜まりを作っている。

 これが現代の『花を吐く病』。

 ほら、美しいだろ。喜べよ。名も知らぬ作者に血の塊を吐きかける。


 ナースコールを押して五分。男性型の看護師が惨状に目を剥き、応援を呼んで私を運んでいく。

 今度はどの臓器が『花』になったのかを調べるためだ。


「胃の一部が剥離して、穴が開いているみたいですね」

 諦めたように淡々と言う女性型医師。私も別段驚くことなく受け入れる。

「食事は今後難しくなるでしょう。点滴と腸瘻になりますが……」

 驚いていない私にやや慄いているのか、語尾が弱くなる女医。機械の癖にこういうところは人間を真似るのが上手い。

 私は頷く。声を出す器官は少し前に剥離しているが、手話を覚えるまで生き残れるとは思わないので、会話は専ら簡単なジェスチャーだけになった。

「ご友人に連絡を取らなくて、本当に良いんですか?」

 再び頷く。

 連絡を取らないのではない。取る相手がいないのだ。


 幼少期から体の一部を口から吐き出す人間に、まともな人間関係を形成することは望めない。予兆もなしに血溜まりを作り、床や廊下を汚して回る傍迷惑な存在である。友人や恋人なぞ考えたこともなかった。

 教室では汚物扱いされ、義務教育の最中でも教師は嫌悪感を隠さない。クラスには必ず一人、私の看病をする担当の人間がいて、一週間単位で替わるそれを喜ぶやつはいなかった。それでいてメディアや教育機関は『花吐き病患者を差別してはいけない』と喧しくがなりたてる。だから電子化を選んだ人類に世話をさせず、同じ肉と骨でできたヒューマンタイプにやらせざるを得なかったのだろうと今になって思う。

 現実と理想の乖離が甚だしいのはいつの時代も同じなのだろう。


 医療技術の進歩を嘲笑うかのように対抗策の見つからないこの病は、孤独を無限に生産し続けている。

 治療方法の不在。それもそのはずで、これは種として人間が体得した死への対抗策だからだ。


 余命宣告を受けて真っ白な病室に戻された私は、いつものようにベッドに寝かされ、空白の時間を泳ぐ。私の機嫌を伺ったAIが勝手にモニターの電源を入れ、興味もないメディアがだらだらと弛緩したまま流れていく。

 横目で見るそれはいつものニュース番組で、今年一万歳を迎える第一期の老人たちが映されている。

「御覧下さい、彼らがデザイン・ヤペテの第一期生、」

 ナントカカントカさんが紹介されている。アングロサクソン系の富裕層で、典型的な金髪碧眼の白人だ。下らない。

「プロジェクトマリアグロリアも現代では一万期、つまり千年王国の十倍続いている、人類史に残る偉大な文明になったのです」

 ヒトが狩猟採集から農耕に切り替わったのが二万四千年前なので、もう少し頑張れば人類の歴史の半分を「生きた」人間が闊歩するようになる。悍ましいにも程がある。

 私は落ちる瞼をそのままに、惰眠を貪ることにした。


 ルームモニターを兼ねるAIが天井からアームを伸ばし、怒りに触れない程度の絶妙な力加減で優しく私を揺する。

 網膜の中に映る時計に意識を伸ばすと、夕飯には少し早い時間だった。来客に心当たりはない。感染するわけでもないのに事実上隔離されているし、親権はとうに手放されている。

 用事を機械に尋ねると、葬儀屋が来た、と返信が届く。

 十一次元データストレージボックスを開いて確認するがアポは無し。一体なんだというのだ。

 通しますか? と音声が脳内に響く。もう扉の前に立っているらしい。

 相手はヒューマンタイプか? と唇の動きで問う。即座にAIがYと返答。


 面白い。

 私は扉のロック解除を許可し、居住まいを直した。


「はじめまして、ワタクシ、マリアグロリア内の葬儀を一手に担う最後の葬儀屋、ルーティンサーティンに御座います」

 馬鹿みたいな名前だが、男は今どき貴重な物理名刺を差し出してきた。黒服に黒ネクタイ、今となっては古式ゆかしい喪服姿。そいつの差し出した紙は間違いなく本物で、唸るほど金のある証明だ。始めて触る感触に驚いていると、その胡散臭い男は大仰に手を振って言葉を続ける。


「あぁ、結構ですよ。フェイスリーダーのサポートで表情や身振りによる会話は可能ですから。ご無理はなさらずに」

 話の早い男のようで安心した。今どき生身なんて、よほどの金持ちかプロジェクトマリアグロリアの産物の二択しかない。私は両方だが、困ったことに病という名の寿命がある。だからだろう、葬儀屋が来たのは。

「その通りでございます。素晴らしい洞察力です。ワタクシ感動致しました」

 フェイスリーダーを付けているやつが洞察力なんて単語を使うとは恐れ入る。人の表情だけでなく身振りや呼吸、心拍数から体温まで、体表に現れる全てを検知して持っている感情を読む機械。コミュニケーションにすら補助輪の必要な人類は、栄えたのか衰えたのか判断がつかない。


 男は私を無視して続ける。

「マリアグロリアによって無寿命世代が増え、貧困層は電子化。実時間で生きる我々のみならず、オーバークロックで主観上の寿命は消失。そうなると最早自殺以外で死は訪れない。そんな世知辛い世の中になりました。が、しかし」

 しかし、と再び繰り返す男。一人舞台のように大げさ過ぎる動き。黒のスーツに黒のネクタイが滑稽さを増す小道具として利いている。

「我々には救いの道がある。病です」


 こいつも馬鹿のようだ。病が、死が救いなものか。

「なら、オーバークロックによって無限の一秒を生きれば良いのです。そうすれば引き伸ばされ続けた一瞬によって、あなたは死を迎える手段を喪失する。勿論、加速状態を解除すればそのうち死ねる保証もついてきます」

 一秒で四十億年生きた男の話を知っているか? そう表情で問う。

 有名な逸話だ。


「勿論ですとも。ワタクシも当時は新人でしたから、彼の記憶は鮮烈に残っています」

 男は言葉を切って、私を一瞬伺う。こちらに応えるつもりが無いと解ると、すぐに口から芝居じみた台詞を吐く。

「初期のオーバークロックにあった、解除までのタイムラグによる発狂。とても痛ましい事件で御座いますね。彼は当時人類の残した全ての書物を読み漁り、全ての映像を見て、全ての音楽を聞き、奏でたとまで言われています。ですが、結果的に」

 死を選んだ。時間の進まない孤独に耐えられなくなったから。

 喪服男はにんまりと嬉しそうに笑い、

「その通りで御座います」


 孤独は人を殺す、という逸話だ。実話かどうか疑わしい。ましてやこの男自身が死に関わったなど。到底信じられるものではない。


 そんな法螺話が私の病気と何の関係があるというのだろう。

「今、あなたと同じ病を、その男は抱えていたのです」

 この病気を、その男が。

「オーバークロックによって主観的な延命を施し、自分の頭蓋という揺籃の中で永劫を生きる。新たな娯楽は存在せず、蓄えた古い物語だけを延々と接種し続ける。電子上に意識のアップロードが成功した今でも、少しでも時間の速度が違えば別の世界に生きているかのように見えてしまう。誰しもが孤独を抱え、そして死ぬのです」


 ちょっと待て。

「何でしょう」

 私の病気は花を吐く病だ。自身の免疫系の異常によって引き起こされる、プロジェクトマリアグロリアの弊害。完全な恒常性を保とうとして起きたエラー。それが私の病理のはずだ。

 孤独とは、何の関係もない。


「そう、皆様そう思われるのです。ですがね」

 孤独で、人は死ぬのです。

 黒服の男はぼやけた眼光でこちらを見つめる。虚無の孔が広がる。彼に同調したのか、私の瞳孔が開いてゆく。


 それは四十億年生きた男の話しだ。私の人生はまだ十五年も経っていない。

 私は、孤独ではなく己の免疫力に殺される。

 私は、孤独ではなく、


「いえ、あなたは今、たった独りです。ですから、」

 ワタクシがやってきたのです。



 死とは、道の先にある到達点ですから。誰しもが死にます。遅いか早いかだけの違いです。

 喪服の男はそう言って去っていった。

 私の手に残されたのは、自死を承認したあと恙無く全ての財産処理が行われる保証。あとは私が生体認証を行えば、次の眠りで死ぬことができる。病苦もなく、懊悩もなく、己の身を削り取る激痛もなく、代わりに全ての可能性を失える。

 私は、


『承認しますか?』


 その禁断の果実を、口にした。

 何故って。花の後には実がつくものだろう。

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