珈琲頂戴 【一話完結】

大枝 岳志

珈琲頂戴

 実家を離れた息子は時々、仕事先の倉庫で出た余り物の珈琲を我が家へ持って来る。

 買ったらそれなりに値段のするもので、賞味期限もまだまだ余裕があるのに「倉庫に置き場がないから」と従業員に配ってるそうだ。

 あぁ、なんという孝行息子なんだろうと珈琲好きな私と主人は感謝していたものの、我が家の方でもそろそろ在庫を捌き切れない程の量が貯まって来てしまった。


 珈琲は嫌がられる事があまりないから、近所にお裾分けする事にした。

 こうなって来ると、倉庫に置き場がなくて困るという理由も私なりに段々と分かって来る。なんとも贅沢な話だけど、捨ててしまうよりは配って飲んでもらった方が絶対良いに決まってる。

 我が家の在庫もようやく減って来たものの、それでもまだ封を開けていない段ボールが五個もあった。パックでザッと五百杯分にもなる。

 お店でも始めようか、なんて主人と冗談を言い合っていると、窓の外に手押車を押して歩くお婆ちゃんの姿が見えて来た。


「あら、宮崎さんにもあげようかしら」


 配る相手もそろそろいなくなり掛けた矢先、近所であまり評判の良くない宮崎さんが目に入ったからそう言ってみたものの、主人はあまり良い顔をしなかった。


「うーん、あの婆さんはやめた方が良いんじゃない?」

「あまり評判良くないけど、物をくれるっていうなら喜んでもらってくれるでしょ?」

「いや、関わらない方が良くないか? 村山さん家なんか庭の花が綺麗だって話してたら、鉢ごと持って行かれたそうじゃないか」

「でも、みんなで嫌ってたらあのお婆ちゃんだってそのうち自殺しちゃうわよ。私、行ってくる」

「あんまり深入りするなよ……」

「はーい」


 そうそう、あまり深入りしなければ絶対に大丈夫。変に話を聞いちゃったりするから後が大変になるんだものね。私はその点、大丈夫。あっさりさっぱり。それが私の唯一のいいところ。

 住宅街をのろのろと歩く宮崎さんの後姿に声を掛けてみると、とってもスローな動きで振り返ってくれた。


「はいー……?」

「宮崎さん、珈琲飲む? 良かったら、これ貰ってくれない?」


 私がドリップコーヒーのパックを差し出すと、宮崎さんは返事をする前に私の手から奪うようにしてパックを手に取った。

 そして、まじまじとパッケージを眺め、眉間に皺を寄せながら痰の絡んだ声を出した。


「あー……これ、賞味期限がまだ先じゃない」

「うちの息子がね、仕事でもらってくるのよ。置き場がなくて困っちゃってるから、貰ってくれない?」

「あら……良いのかしら? 本当、これもらっちゃっても良いの?」

「うん、いいのいいの。飲んでくれたらうちも助かるから」

「あらぁー……ありがとぉ。悪いわねぇ」

「いいえ、うちもかえって助かるからぁ」


 あら、これは予想外。初めはちょっとびっくりしたけれど、話してみたら案外普通のお婆ちゃんじゃない。なーんだ、変に気合い入れて損したわーと思っていた私だったけれど、それから一週間後にとある出来事が我が家へやって来た。

 ピンポーンとインターフォンが鳴って、私は相手をろくに確認せずに玄関に急いだ。

 最近は珈琲のお礼を持って来てくれる人が増えたから、きっとまた誰かが何かを持って来てくれたのかなー? ラッキー! くらいに考えていたのだけれど、玄関を開けるとそこに立っていたのは手ブラの宮崎さんだった。


「あら、こんにちは。どうしたの?」


 宮崎さん、何かお礼を持って来てくれたのかなぁーと思っていると、私の度肝を抜く一言を宮崎さんは発した。


「山口さん、まだ珈琲あるかしら?」

「えっ?」

「いっぱいあるって言ってたわよねぇ? まだ、ある?」

「あー、はいはい……珈琲ね、あるわよ。ちょっと待ってねー……」


 お礼を持って来るどころか、珈琲をたかりに来るなんて、あの宮崎さんは噂通り随分と図太い神経をしているのねぇ。

 まぁ、流石にこれっきりにしてくれるわよね? そうそう、二度も三度も強請りに来る訳がないわよ。

 そう思って渡してしまった私が甘かった。


 それからさらに一週間後にも宮崎さんは珈琲をたかりに我が家へやって来た。


「ごめんねぇ、もう終わっちゃったのよ」


 玄関の横に積み上がっている段ボールに百均で買って来た布クロスを急いで被せながらそう答えると、宮崎さんはぐいっと玄関の中へ一歩足を踏み入れて、こんな事を言い出した。


「じゃあ、次はいつ入って来るの?」


 まぁ! なんて厚かましいクソババアなの!? うちは無料コンビニじゃないっつーの!

 私はその言葉をグッと飲み込んで、胃の奥へ奥へと押しやって、愛想笑いを必死に浮かべた。


「息子が仕事で持って来るものだからね、分からないのよぉ。ごめんねぇ」

「そうなのね……次入って来たらまた声掛けてね? 約束よ?」

「わ、分かったわよ……それじゃあ、また」


 なんで私が借金の催促にあっているような気分にならなければならないのだろう。

 こんなの、理不尽だわ。


 それから二日後の夜。主人と宮崎さんの図太さを愚痴り合っている所で我が家のインターフォンが鳴らされた。

 用心の為にディスプレイを確認してみると、噂の本人の宮崎さんが立っていた。そろそろイライラして来るなぁと思いながらドアホン越しに話してみると、今日はお礼をしに来たのだと言うではないか。

 なるほど、あんな人でも一応は人の心があるんだなぁと思って扉を開けて、私は驚いた。


「これね、珈琲のお礼よ。うちでずっと大切にしていた品だからね、山口さんに大切に可愛がってもらおうと思って」


 そう言って宮崎さんが差し出して来たのは土産物でよくある木彫の熊だった。しかも、あちこち傷がついていて相当古い物だと見た瞬間に分かった。新しくても、こんなの要らないけど。


「うちは置く場所がないからなぁ……これは宮崎さんが可愛がってあげて、ね?」

「……何よ」

「え?」

「何なのよ!」

「ちょ、ちょっとどうしたのよ」

「要らない珈琲を置く場所はあるっていうのに、うちのゴローちゃんが置けないなんてどういう事なんだい!? えぇ!? あんた一体どんなつもりで言ってるんだい!?」


 前触れなしに突然激昂したものだから、私が驚くよりも先に主人がすっ飛んで来た。


「どうした!?」

「あの、これを宮崎さんが……」

「なんだ、このゴミ?」


 主人がそう言って木彫の熊に目を落とした瞬間、宮崎さんの突き刺すような金切り声が狭い玄関に短く反響した。


「ゴミって何だ! 謝れ!」


 一瞬肩をビクッとさせた主人だったけれど、すぐに頭に血が昇ったようで玄関から宮崎さんを押し出しながら怒鳴り声を上げた。


「ゴミは要らないからゴミって言うんだよ! 帰れ! 警察呼ぶぞ!」

「ゴミじゃないゴローちゃんだ! このボンクラ男め! 謝罪しろ!」


 必死に叫ぶ宮崎さんを、私達は玄関を無理やり閉めて追い出した。宮崎さんはその後も何やら叫びながらうちの周りをウロウロしていたけど、三十分経つ頃になってようやく帰って行った。

 あぁ、なんて気持ち悪い人なんだろう。

 もうあんな人に関わるのは二度と御免だ。

 そう思っていた翌日、息子がまたしても満面の笑みで大量の珈琲を我が家へ持って来た。

  

 玄関から段ボールに入れられた珈琲を家の中に運んでいる最中、私は遠くの方から視線を向けられている事に気付いた。

 曲がり角の手前の電信柱の横でジッとこっちを見つめていたのはやはり、宮崎さんだった。

 表情は確認出来なかったけど、きっと卑しい顔でいつタカろうか考えているのだろう。トンビやハイエナと全く同じだ。

 私は家の中に珈琲を運び終え、息子が帰るのを見送ると段ボールに入れられた珈琲をすぐにゴミ捨て場へと運んで行った。  

 

 まさか、という思いと同時に、そうであれ、という気持ちがごちゃ混ぜになって、私はゴミ捨て場に珈琲の入った段ボールをぶん投げてカラス避けのネットを掛けた。

 家の影からしばらく眺めていると、辺りを警戒しながら小走りになってゴミ捨て場へ向かう宮崎さんの姿が見えて来た。

 私はスマホでその様子を動画撮影しながら、ゆっくりと彼女のもとへ近付いて行く。

 宮崎さんはネットをめくり上げ、段ボールをその場で開けて中身を確認している。


「あ、珈琲泥棒がいるー」


 私は動画を録りながら宮崎さんに声を掛けると、彼女は急いで段ボールの蓋を閉じ、私の方を振り返った。

 そして、目を真っ赤にしながら声を震わせてこう言った。


「放っておいて頂戴……これは、私が拾ったんだから、私の物なのよ」


 段ボールを拾い上げると、宮崎さんは私から逃げるようにして小走りでゴミ捨て場を後にする。


「珈琲泥棒さーん。これでうちに置く場所がないって、分かってもらえましたかー?」

「…………」

「あれー? 珈琲泥棒さーん、この前の勢いはどうしたんですかー?」


 宮崎さんは私の言葉に何の反応も見せず、振り返りもせず、プリプリと肩を怒らせて住宅街を進んで行く。


「珈琲泥棒さーん、分かってもらえましたかー?」

「うるさい! 私に構うな!」

「うちに木彫りの熊……じゃないや、ゴミを置けるスペースなんかないんですよー。分かりましたかー?」

「……うるさい! うるさいうるさい! 黙れ!」


 宮崎さんは振り返りもせず、ボロボロの一軒屋へ入って行く。

 インターフォンを押してまで追い込むのはどうだろう、と思ったけれど気付いたら私はインターフォンを押していた。けれど、宮崎さんが応答してくれる様子は無かった。


 あれから一ヶ月が経った。

 息子が珈琲を運んで来ても、最近は何故か貰ってくれる人が少なくなった気がする。

 誰もが遠慮がちな笑みを浮かべ、医者に止められてるとか、胃が悪く控えてるとか、そんな言い訳ばかりするようになった。

 あともう一つ。

 これは誰にも言っていないけど、一週間前からゴミ捨て場に監視カメラを置くようになった。

 パッと見では絶対にバレない場所に設置してあって、カメラの映像は私の家のリビングのテレビに映し出されるからいつでも確認可能だ。

 息子が珈琲を持って来た。

 さぁ、今週は一体どこの誰がすぐにバレる嘘をつくんだろうか?

 今からそれを探すのが楽しみで、私は仕方がない。

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