最終話 「必要なのは金と顔」

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 10万円を、いつもの口座に振り込む。

 それが終わったら、適当に散歩を始める。


 毎月のこの行為にも、随分と慣れたものです。


 初めての時は手が震えて、満足にタッチパネルを操作することすら出来ませんでしたが……今となっては遠い昔のように感じられます。


 胸の痛みも、あの日よりずっとマシになりました。



 取り返しのつかないミスというものは、挽回もできないのに、人生で何度かは経験することになりますよね。

 その度に私は、ここで人生が終わるのだ。どうにもならないのであれば、死んでお詫びするしかない。……と、思ったものです。


 1度だけ、実際に死のうとしたこともあります。

 それほど大きな失敗をしたのです。

 結果的には、死ななかったんですけどね。

 邪魔されたんですよ。

 偶然か、必然か……あの日、スナックに現れた葵によって。








 今日にでも、死のう。

 コップに入った水の中から、彼女が好きだと言っていた顔が俺を見ていた。

 そんな顔、しないでほしい。

 俺だって、好きでこうなったわけじゃないのに。


 横を見ると、テーブルの端に空のコップが置かれている。

 彼女のものだ。


「お客様、大丈夫ですか?」


 水をかけられたからか、俺に死相でも見えたからか、店員が心配そうに声をかけてきた。


「ああ……はい」


 何をもってして大丈夫だと言えばいいのだろうか。

 分からない。

 けど、まあ、大丈夫だということにしておこう。


 これ以上、ここにいる理由もない。

 そう思い、俺は席を立った。



 会計のところまで行くと「もう支払われていいますので……」と、困ったように言われた。


 彼女が払ったのだ。

 彼女らしいといえば、らしい。


「お客様ー!」


 店を出たところで、店員に呼び止められた。


「これ、忘れ物です」


 手渡されたのは指輪だった。

 婚約指輪だ。

 半年前に俺が買って、彼女にプロポーズをした時、渡したものだ。


 これ、俺のじゃないですよ。

 そう言おうと思ったが、実際にどんな返事をしたのかは覚えていない。

 大人しく礼を言ったのかもしれないし、何も言えなかったのかもしれない。


 婚約指輪は受け取っていた。

 これを捨ててしまえば、彼女と本当に別れてしまうような気がしたのだ。


 外は暗闇に包まれている。

 ファミレスに入った時間は、夕方だったはず。

 ……彼女と、そんなに長く話した記憶はないんだがな。


 歩いていると、人気のない場所にぽつんと建つスナックを見つけた。

 営業はしているらしい。

 丁度いい。

 ここで酔った後、近くの海で死のう。


 扉を開けると、「あんら~、イケメンさんじゃなぁ~い!」と変態が身体をよじっていた。


 無視して、店内を見渡す。

 客が誰もいない。

 おそらく、この店は繁盛していないのだろう。


 スナックの場所が悪かったな。

 人通りが多くて目立つようなとこにいなきゃ、必要とされないんだよ。

 虚しいな。

 俺も、この店も。


「ここ、座りなさいな~」


 変態が何か言っていたが、目についた一番奥のソファに腰かける。


「ちょっと! そんなとこいたらメニュー分かんないでしょ!」


 ここは落ち着くな。

 日本人ってのは、どうにも端っこが好きらしい。


 ああ、そうだ。

 最後に一服するか。


 胸ポケットから煙草を取りだして、ライターで火をつける。

 ……焼死と溺死なら、俺は溺死の方がいい。


「うちは全席禁煙なのよ!?」


 そろそろ、酒を頼むか。

 メニュー表……は、近くにないな。

 適当でいいか。

 確実に酔うことができれば、それで。


「1番強い酒を持ってきてください」

「…………はいはい」


 ポケットからスマホを取り出す。

 LIMEには、彼女の連絡先がある。

 死ぬ前に、何か送ろうか。

 謝罪の1つでも……いや、やめておくか。


 やめておく理由が、彼女に罪悪感を抱かせたくないとかいう、紳士的なものだったら……どれだけよかっただろう。

 実際は、そんな気力がないだけ。

 俺は最後まで、呆れるほど身勝手だ。


 いつも自分のことに必死で。

 夢も、彼女のことも……全部、全部、自分の幸せのために必要だったから、手に入れようとしていただけだ。

 不必要なもの、邪魔なものは容赦なく捨ててきた。

 思いやりの欠片もない人間。

 そりゃ、愛想だって尽かされるよな。


 思わず苦笑する。


「ひっどい顔ね」


 酒を持ってきた変態が、そんなことを言った。


「そうですか。顔にだけは、自信あったんですけどね」


 一気飲みして、「おかわり、お願いします」と言う。

 今度はすぐに来た。


 でも、そうか。

 酷い顔か、今の俺は。


 自分勝手で血も涙もない、薄情な人間だと言われてきた俺だったが、顔だけはいつも褒められていた。

 勿論、彼女にも。

 俺の夢も、顔が良かったから望むことが出来たんだ。


 唯一の取り柄も、なくなったか。

 無念だな。


 再度一気飲みをして、次を催促する。


「よぉ、随分といい飲みっぷりじゃねぇか」


 銀髪に真っ赤な目の男が、俺の正面に座った。

 誰だよ。

 そう言ってやろうとしたが、寸でのところで思いとどまる。

 誰かが居た方が、酒が進むと思ったのだ。



 なあ、知ってるか?


 心の中で、男に話しかける。

 声に出す気力はない。


 さっきまで、俺の正面にはな、可愛い女性が座ってたんだよ。

 性格はきつめだけど、面倒見が良くて……誰からも頼りにされるような人でさ。


 プロポーズしてからというもの、会うたびに結婚式や将来設計について、和気あいあいと話し合ったもんだ。

 ……一緒に幸せになろうって、何度も何度も言い合った。


 ああ、勿論ファミレスじゃない。

 ちゃんとした、お高めのレストランだ。

 彼女の前ではかっこつけたくて、無理して何度も高級な場所に連れて行ったんだ。


 男心っていうのは、厄介だよな。

 金は無くなっていくのに、彼女のためだと思えば、それが幸せだと思ってしまうんだから。


 俺は、幸せの絶頂にいたんだ。

 仕事で辛いことがあっても、報われなくても、生きていける。

 そう盲目的に信じられるくらい、心が彼女で満たされていた。


 それが、今はどうだ。

 彼女には水をかけられ、こんな、よく分からない野郎に絡まれて。

 不幸のどん底だ。

 …………情けないよな、本当に。


 いつの間にか置かれていた酒を、また一気に飲む。


 あんなに優しかった彼女が、俺に水をかけたんだ。

 人に水をかけるなんて、信じられないよな。

 彼女、常識人なんだよ。

 しかもさ、とんでもないお人好し。

 …………そんな彼女に、俺は水をかけさせたんだ。



 最後、彼女はどんな顔をしてたんだろうな。

 覚えてない。

 服装すら思い出せない。


 ……きっと、見てなかったんだ。

 一生懸命、何かを訴えていた彼女の言葉を、俺は沈黙で拒絶した。


 その結果がこれだ。


「俺が悪かったのか?」


 唇を噛むと、血の味がした。


「夢の為に必死なのは、彼女だって分かってた。たかが上司と身体の関係を持ったくらいで……今更、怒ることじゃないだろ」


 頭が痛い。


「使えるものは何だって使う。きれいごとじゃ、やっていけない世界なんだよ。どうしてそんなことも分からないんだ?」


 口が馬鹿みたいに回った。

 なんだこれ。

 誰が喋ってるんだ。


「付き合う前に、俺は何度も忠告した。きっと辛い思いをさせるって、そういう仕事だからって」


 俺が、俺じゃないみたいだ。


「あの女、“私がいなきゃ”って言って自分から俺に近づいてきたくせに、あっさり手のひらを返したんだぞ? 外道だろ、いや本当に」


 誰か。


「顔だけで寄ってくるから、傷つくことになるんだよ」


 頼む、誰か。


「あいつの自業自得だな。ざまあみろ」


 誰でもいい。


 強がりで、

 泣くのが怖くて、

 本気で愛した彼女を冒涜し続けるこの口を、止めてくれ。


 俺の願いとは裏腹に、震える口は次の言葉を吐き出す。


「あんな女だって分かってたら……俺は、最初から――」

「もういい」


 肩に手が置かれる。

 正面に座っていたはずの男が、いつの間にか横に立って、俺を見ていた。

 彼女が、俺に水をかけた位置だ。


 なあ。

 ……彼女も、そんな顔をしていたのかな。


「本気で、好きだったんだろ」


 彼の言葉を聞いた瞬間、俺の目から涙が溢れた。


「……っ、俺だって、辛かったんだよ」


 震える声を情けないと思う間もなく、言葉を吐く。


「だけどさ、夢だったんだ。これさえ乗り切れば、また1歩、夢に近づけたんだよ」


 なんで、ここにいないんだよ。

 なあ。


「俺は、どうすればよかった? どっちも諦めたくなかったんだよ。どっちも、同じくらい大切だったから……」


 なんで、答えてくれないんだよ。

 ようやく言えたのに。

 どうして、ここにいてくれないんだよ。


「………………愛して、たんだよ」


 脳裏に過ぎるのは、幸せそうに笑う彼女。

 都合のいい脳だな。

 きっと、泣かせてばかりだったのに。


 ……謝らないとな。

 そう思うと同時に、俺は眠った。







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 目を覚ますと、葵さんの部屋――拠点として使っているボロマンションの一室で寝かされていました。


 後から聞いた話ですが、彼はスナックの客を自分の部屋に連れ込むのが常だそうで。

 当時は驚いたものです。


 とにかく、葵さんがあの日、あの時間、あの場所で、あの言葉をかけてくれたおかげで、私は生きることを選択出来ました。

 彼には感謝してもしきれません。

 そういうことがあったので、敬語は、彼への感謝を込めて使っています。


 はい。

 めでたしめでたし。



「ここ、嘘じゃん」


 宇宙そらさんが、画面を指さして指摘する。


「敬語のとこ、キャラ付けだって言ってたよね?」

「……こういう話は、多少盛った方がいいんですよ。おこちゃまの宇宙さんには分からないでしょうが」

「あ、今の言葉、一生覚えておくからね。

 っていうか、どうしてこんな動画を作ったの?」

「単純な理由ですよ」


 眼鏡のレンズを磨きながら言う。


「あの時のことを忘れないように、こうして記録に残しておくんです。Itube活動がマンネリ化した際、スパイスとしてこの情報を開示しようと思っているので」


 私の言葉を聞いた宇宙さんは「季楽きららしいね」と苦笑した。

 それはどうも。


「今じゃ考えられない話だなー。まず、言葉遣いにびっくりしたよ」

「季楽になる前は、顔の良いただの一般成人男性でしたから」

「ふーん、顔は普通って言わないんだ」

「ええ。当時もこの顔で食ってましたし。

 世の中、金と整った容姿さえあればいいんですよ」

「うわ、寂しい人生……季楽ってば幸せが分からないんだね」


 わざとらしく、目元を拭う宇宙さん。

 蹴り飛ばしましょうか。


「けどさ、あと1つ忘れてるんじゃない?」

「何ですか」

「ボクと葵って仲間も、季楽の人生には必要じゃん」


 ニヤニヤとした目線を受けて、ため息を吐く。

 この人は本当に……。


「で、どうなのさ。季楽はお金と顔だけあればいいの?」

「それだけあれば、何とかなりますからね」


 ただ……。


「あえて付け加えるのであれば、季楽としての人生を彩るために、仲間も必要です」


 そう言うと、宇宙さんが抱きついてきた。


「ちょ、く、苦しいです。殺す気ですか」

「いいじゃん! ちょっと抱きついただけで大袈裟だって」


 ちょっとの許容範囲を超えている気がするのは、私だけでしょうか。


 前から思ってましたが、宇宙さんの力、強すぎません?

 私や葵さんより力持ちですよね?

 少しは加減を覚えるべきなのでは……。


「帰ったぞー……って、マジか」


 ちょうど帰ってきた葵さんと、目が合う。

 タイミング……タイミングが悪すぎます!


「俺らは無しって、お前が言い始めたよな……」


 案の定、蔑むような目を向けられた。


「違いますから。断じて」


 本気なのか冗談なのか分からないトーンで言うの、やめてください。


「葵ー! 写真撮ってー!」


 愉快そうに宇宙さんが言う。

 一生いじられるネタが、今まさに完成されようとしている。


「やめ、やめてください……ぎゃああああああああ」


 カシャッ


 シャッター音と共に、黒歴史が更新された。





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 仲間って、本当に必要なのでしょうか。

 この日のことを思い出す度、そう自問しています。



✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼



次回 2023年1月16日18:00

番外編 〜ユージ、一日帰省編〜

第1話 「2年ぶりの実家」



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