第26話

 琴葉を無事に送りだすと、瑞貴は玄関のドアのカギを閉める。


「ふう。疲れたなあ」


 終わったらシャワーを浴びようかと思っていたのだが、それすら今の瑞貴には億劫に思えた。

 まだ痛む目をさすりながら、瑞貴は思案する。


「よし、寝るか」


 大きく伸びをすると、瑞貴は階段を上がって部屋へと戻る。

 すると、そこでは茜がゴロゴロと寝転がったままだった。


「茜、そろそろ寝るから自分の部屋に」

「しばらく、此処が私の部屋だよ」


 気にいられてしまったのだろうか、と瑞貴は苦笑する。

 幸いにも見られて困るようなものは隠してあるが、今日は父親の部屋で寝るしかないかもしれない。


 瑞貴が身を翻して出ていこうとすると、茜の声が瑞貴を引きとめる。


「どこ行くの、ミズキ。ミズキの部屋は此処でしょ」

「いや、でも茜が使うんでしょ?」

「ミズキも此処だから」


 瑞貴の思考が一瞬停止しそうになる。

 茜の真意を探って、疲れた頭を瑞貴は必死で働かせる。

 この部屋にはベッドは一つしかない。

 まさか、茜は一緒のベッドで……とか言い出す気なのだろうか、という考えにいきついて、まさかと頭を振って否定する。


「ミズキが思春期なのはミズキの勝手だけど。ミズキは床だから」

「……だよね。それだったら僕は父さんの部屋で寝たいんだけど」


 そんな瑞貴の抗議の視線を受けて、茜は盛大に溜息をつく。


「ミズキ。赤マントがいつ、どこから来るか分からないのは分かってるよね」

「うん、それは分かってるけど」

「だったら、私がミズキから離れない理由も、分かるよね」

「……うん」


 そう、茜が瑞貴を守ってくれている事は瑞貴にも分かっている。

 いつ出てもおかしくない赤マントに、殺されないように……その恐怖に、瑞貴が潰されないようにだ。

 茜が側に居てくれるだけでその恐怖から逃れられると。

 そんな安心感すらある。

 それは、茜の赤マントとしての強さにではなく、遠竹瑞貴という一人の人間の事を思ってくれる、その優しさに対する依存。

 だから、そんな茜の隣に立てるようになりたいと瑞貴は思う。


「ありがとう、茜」


 だから瑞貴は、そう言葉にする。今は、それしか返せないけども。


「ん」


 茜は、それだけ答えて布団に潜り込む。


「おやすみ、ミズキ」

「おやすみ、茜」


 電気を消して、瑞貴は床に腰を下ろす。


「確か、納戸に予備の布団があったよな」


 それを取りに行こう。

 そう考えて瑞貴が立ちあがろうとした時、布団から起き上がった茜が自分を見ているのに気がついた。


「ミズキ。目、大丈夫?」

「え? あ、うん」


 立ちあがろうと浮かせた腰を床に下ろして、瑞貴は茜に向き直る。

 ベッドから出た茜は、中腰になって瑞貴の目を覗き込む。


「私は、ミズキが心配。ミズキの気持ちも、覚悟も分かった。だから、余計に心配だよ」

「茜……?」

「今日、赤マントと正面から戦う事を考えてたよね」


 それは、赤マントの武器を弾き飛ばす事を考えてた時の事だろうか、と瑞貴は思い出す。

 確かに、そういう事態も考えていたが……そんな事にまで気付かれていたとは、瑞貴は想像もしていなかった。

 そんな瑞貴の表情から答えを読みとったのだろうか。

 茜は無表情になると、瑞貴を思い切り床へと突き倒す。

 ぶつけた頭の痛さに呻く瑞貴の上に、茜が圧し掛かるような体勢になる。


「ミズキ、もう一度約束して。絶対に、無茶はしないって」


 それは、あの時の屋上での約束だ。

 でも、無茶をする気など瑞貴には無い。


「無茶なんて、しないよ。約束したじゃないか」

「そう、だね。でも、私はミズキが心配。ミズキみたいな人は、頭より先に身体が動くから」


 瑞貴は理解する。

 茜も、不安なのだ。弱い瑞貴が、無茶をして突っ込んでいかないか。

 そして、殺されてしまわないか。


 その答えを言葉にするのは簡単だが口に出せば、どんな言葉も軽くなってしまう気がしてしまう。

 だから瑞貴は、茜を強く抱きしめた。


「茜。僕は、君と生きていたい」


 それは茜への答えで、瑞貴の誓いだ。

 絶対に死なない。茜の為に……そして、茜と過ごす日々を守る為。

 そう、自分自身の為に。


「……ミズキ、痛いよ」

「あ、ごめん茜」


 いつの間にか茜を強く抱き締めすぎていたらしい事に瑞貴は気付く。身をよじる茜から、瑞貴は手を離す。

 茜は瑞貴から体を離すようにして起きあがると、倒れたままの瑞貴を抱きかかえるように起こしてくれる。


「ごめんね、ミズキ。痛かった?」


 こういう心配をしてくれるところが、茜は本当に優しいと瑞貴は思う。

 問題ないと答えると、茜は頷いて再び瑞貴の目を覗き込む。


「ねえ、ミズキ。一緒に、寝る?」


 そして、茜はそんな爆弾発言をする。


「い、いいの?」


 瑞貴は少しの期待を込めて、そう聞いてみる。

 そのお誘いが、嬉しくないはずはない。

 けれど、まだそういうのは早いような気も瑞貴にはする。

 しかし同時に、ここで断るというのは男としてどうなのか、という気持ちも同時に持ち上がってくる。

 そんな瑞貴を、茜は見つめる。

 その茜の顔が、ニヤニヤとしたものに変わっていくのが瑞貴には分かる。


「冗談だよ、ミズキ」

「ああ、うん。そうだよね……」

「おやすみ、ミズキ。大好きだよ」


 そう言って、茜は布団に頭まで潜ってしまう。

 瑞貴はそのまま、しばらく固まっていたが……すぐに、顔が赤くなってくるのが分かる。

 いや、赤いというよりも……熱い。

 面と向かって大好きなんて言われたのは、生まれて初めてだった。

 一体どうしたらいいのか、瑞貴の人生経験では全く分からない。


「ミズキ、動きが気持ち悪い」


 くねくねしている瑞貴に浴びせられる、冷水のような言葉。

 高揚していた気分は一気に冷め、瑞貴は絶望に突き落とされる。

 たった一分で、大好きな瑞貴から気持ち悪い瑞貴にクラスチェンジ。

 寝転んだ犬のようなポーズのまま、瑞貴は一人静かに涙を流し眠りについた。


 その様子を見ていた茜は自分の手を見つめて、ぐっと拳を固める。

 確かに、琴葉の言っていた事は間違いではない。

 一瞬の殺意の槍は、明らかに弱くなっている。

 それだけではない。

 赤マントとしての身体能力も低下傾向にある事に、自分自身で気付いている。

 それは、赤マントである茜を構成する殺意の感情の減少によるものである事は間違いない。

 恐らく同族と会えば、簡単に打ち負けるだろう。

 やがて来るであろう同族に勝つには、今の自分に溢れる感情を使うしかない。


「恋心……か」


 茜は、うなされている瑞貴の顔をじっと眺める。

 こうして見ているだけで、幸せになれる気持ち。

 ふとした拍子に暴発しそうになる、抑えの効かない不可思議な感情。


「私は……この心を、信じてもいいんだよね?」


 いまだ信じきれない、この感情。

 まるで、無限に自分の中から生成されるかのような、この感情。

 茜は、それを確かめるかのように胸に手を当てて、目を閉じる。

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