第25話

 そう言うと、琴葉は瑞貴の目の前にシャーペンをぶら下げる。


「例えば、こういうことです。今見ている光景に、別の何かを重ね合わせる。その場所に、それがあると想像してください。その遠竹君の認識を元に、こちらにそれを引き寄せるんです。この場合、出来るだけ正確に想像してください。実際に向こうに無いものを引き寄せる事も不可能です」


 つまり、瑞貴の想像の中だけにあるものは引き寄せられないということだろう。 茜が瑞貴に死体を引き寄せられないといったのも、そういう理由なのだろう。

 何故なら瑞貴はそんなものを見た事はないし、何よりも、正しくそれを想像できない。


「僕が見た事のあるものしか引き寄せられない……ってことですよね」

「イエス。ボクと茜さんの場合は縁で結ばれていますので、遠竹君の妄想での引き寄せも可能でしたけど。それは例外と考えていいです」


 聞けば聞く程、使い方が限定された力だと瑞貴は思った。

 ダストワールドで実際に見たものは、あまり多くは無い。

 それはつまり、現時点での瑞貴の力の限界にも繋がってしまう。


「差異はありますけど、こちらにあるものは大体あちらにもあると考えていいです。例えば、ほら」


 琴葉が指し示すのは、瑞貴の部屋のゴミ箱だ。

 その中に入っているものを思い出し、瑞貴は気付く。

 そう、失われたドラゴン柄のパンツだ。

 こちらの世界のものは無くなってしまったが、ダストワールドのものならば無傷だろう。

 つまり、それを引き寄せれば引き裂かれる前のパンツが瑞貴の手元に戻ってくるということだ。


 ガッツポーズをとる瑞貴に、しかし琴葉は冷ややかな視線を浴びせてくる。


「いや、遠竹君のトンデモパンツは向こうにはないと思いますよ。私が言ってるのはゴミ箱なんですけど」


 この状況で、ゴミ箱だなんて思うもんか、と瑞貴は心の中で文句を言う。

 どうやら、琴葉は嘘にならないギリギリのラインで人を虐めて楽しむクセがあるようだ。

 崩れ落ちる瑞貴に、琴葉は手を叩いて促す。


「さ、始めましょうか。今言ったやり方で、ゴミ箱を引き寄せてみてください」


 そう、やらなくてはならない。

 時間は無限ではないし、いつ赤マントがやってくるかも分からない。

 一刻も早く、この力をモノにしなければいけないのだ。


 瑞貴は部屋の隅に立ち、見つめる。

 本棚の前。

 例えば、ここにゴミ箱があったなら。


 仮定する。

 仮定した光景を、瑞貴の目に映る部屋に思い描く。

 毎日見ている、黒いシンプルな円筒状のゴミ箱。


 瑞貴の目に映る世界を写真のように意識に固定し、そこにゴミ箱を一つ多く描き出す。

 余計な音を意識から遮断し、目に見える光景だけに、瑞貴は全神経を傾ける。


 想像する。

 ゴミ箱がここにある風景を。

 今、ここにあるこの場所に幻視する。


 そして、視界が歪んでいくのを瑞貴は理解する。

 世界が遠くなるような。

 世界が近くなるような。

 世界が混ざり合うような。


 けれど、それは一瞬。

 その一瞬の間に、瑞貴の目の前にはゴミ箱が現れていた。


「ん、上出来ですよ遠竹君」


 琴葉が、パチパチと瑞貴へ拍手をする。

 その足元には、もう一つのゴミ箱。

 あれが自分の部屋のゴミ箱で、こっちが、ダストワールドから引き寄せたゴミ箱。

 試しに中を覗いてみるが、何も入ってはいない。


「では、次は弾き飛ばす練習をしてみましょうか。基本は今と同じ手順で、今度はゴミ箱がそこに無い、という想像をしてください。理屈では、それでいけるはずです」


 言われて、瑞貴は迷う。

 ここにあるゴミ箱が、無いという想像。

 それを現実に重ね合わせて見るなどということが出来るかどうか、自信がないのだ。


 迷う瑞貴に、ベッドの上でゴロゴロしていた茜がアドバイスする。


「存在の否定ってことだと思うよ。そこにあるものを、意識からも視界からも否定するの。存在を幻視するんじゃなくて、存在を完全否定した世界の幻視ってとこかな」


 理屈は瑞貴にも分かる。

 つまり、対象を透明に見るということなのだろう。

 そこに居るけど見えない、ではなくて。

 最初からそこには居ない、という認識だ。


 だが、それはとても難しい事だと思う。

 今の瞬間までそこにあるものを、その場で存在を完全否定する。

 そんなことが出来るのかどうか、瑞貴には分からなかった。


「……ミズキには無理じゃないかな」


 ごろん、とベッドに仰向けになった茜は、瑞貴に視線を向ける。

 その視線は、諦めや蔑みではなくて、悲しそうな色を含んでいる。


「存在を否定できるっていうのは、褒められることじゃないよ。相手の存在を否定していい奴なんて、いるわけないんだから。確かに使えれば強力だけど。出来なくてもいいと、私は思う」


 それは、茜の心からの言葉だ。

 結論から言えば、人間にはそれが出来る。

 たとえば、嫌いな誰かを最初から居ないように扱う人間が居る。

 それは、その人間を自分の認識から消すか、意図的に遠ざける行為だが……そこまで酷くなくても、大なり小なり、人間は嫌なものを見ない。

 つまり……人間は、他の誰かを拒絶し、否定して自分の世界から追い出す素質をもっているのだ。


「茜さん、遠竹君を甘やかさないでください」


 琴葉が、瑞貴と茜の間に立ち塞がる。

 琴葉の視線は瑞貴に向いていて、それは何処となく怒気を含んでいるものだった。


「遠竹君。引き寄せるだけで、茜さんを守れると思いますか?」

「狐、ミズキにまた妙な事を!」

「茜さんは黙っていてください。ボクは遠竹君に聞いているんです」


 琴葉が怒っている理由は、瑞貴にも分かっている。

 瑞貴が、一瞬諦めようとしたからだ。

 茜を守る何かになりたいと言ったくせに、茜の優しさに甘えようとした瑞貴に、琴葉は怒っている。

 それが分かるから、瑞貴は自分の誓いを確かめる。

 茜の為なら、なってはいけない奴にだってなってみせると、固く誓う。


「いいえ、それでは茜を守れません。だから、やってみせます」

「いい答えです、遠竹君」


 琴葉は、そう言うといつもの優しげな笑みを浮かべて。


「もう知らない。ミズキのバーカ」


 茜はそう言うと、布団を被ってベッドに潜り込んでしまう。

 その様子を横目で見ながら、琴葉は困ったような笑顔で頬をかく。

 その様子を見て、なんとなくではあるが耕太が超のつくレベルのシスコンになってしまう理由が、瑞貴には分かってしまった気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る