第23話

 時間が制止したような感覚を、瑞貴は味わった。

 予感しなかったわけではない。

 予想しなかったわけでもない。

 もう一人の赤マント。

 それがこっちに来る可能性は、当然あった。

 だが、こんなにも早く。

 瑞貴の頬を、汗がつたう。

 赤マント、古沢夕の行方不明。

 まさか、という考えが瑞貴の中をよぎる。


「落ち着いて、ミズキ」


 瑞貴の手を、茜が握る。

 それだけで、震えが少し収まる。


「まだ、大丈夫。アイツはまだ、こっちに来れてないから。狐が確認した。赤マントの匂いはあるけど、途切れてる。だから、まだ大丈夫」

「分からないよ。赤マントがまだ来てないっていうなら、どうして」

「神隠し。こっちから偶然あっちに迷い込むように、あっちからこっちに迷い込むことがある。でも、こっちにそういう風に来た奴は、すぐ揺り戻されるの。だから、今は此処には居ない」


 その意味を、瑞貴は考える。

 そして、思い出す。

 昨日琴葉が言っていた……こっちに来る、「偶然」の手段。

 神隠しという名の偶然。

 だが、それはすぐにあっちへ揺り戻されてしまう程度のもののはずだ。そうだ。赤マントが現れた事と今朝の話のことは、まだ繋がっていない。

 いくらなんでも、そんな偶然があるはずない。


「古沢夕は、あっちに連れていかれたみたい。たぶん、揺り戻しに巻き込んだんだろうね」


 繋がってしまった。

 古沢夕は、赤マントに連れて行かれた。


「こっちに来てすぐ……古沢さんを……?」

「偶然だろうね。たまたま迷い込んだ場所に出くわしたんだと思う」


 偶然。

 偶然でこっちに来た奴が偶然赤マントで、古沢夕が偶然出会ってしまった。

 それは、あまりにも理不尽だ。

 古沢夕は、なにひとつ悪くない。


「……助けなきゃ」


 瑞貴の中を、その思考が埋め尽くしていく。


「そうだ。僕は、あっちに……ダストワールドに行くことが出来るはずだ。まだ、古沢さんが死んだと決まってなんかいない。あの世界で逃げてる可能性だってある」


 瑞貴はそう考え付くと、古沢夕を連れ戻すべく意識を集中する。


「ダメ、落ち着いてミズキ。ミズキがダストワールドに行ったって、何にもならない」

「でも、助けなきゃ……そうだ、世界を混ぜて古沢さんを連れ戻せば!」


 そうだ。呼べばいい。

 瑞貴が琴葉の言っていたように、世界を混ぜて引き寄せる事ができるなら。

 古沢夕をこっちに連れ戻す事だって出来るはずなのだ。


「ミズキ、古沢夕は死んでいる。生きてる古沢夕を幻視する限り、引き寄せるのは無理だよ。万が一引き寄せられたとして……ここに死体がある状況を、なんて説明するの」


 死んでいる、と。

 茜はハッキリとそう言った。


「死んでるなんて、なんで」

「影追いが見てた。狐からの又聞きだけど、連れ去られる時点で古沢夕は瀕死。そんな状態でダストワールドに連れていかれたらどうなるか、分かるよね」


 当然、逃げられるはずもないだろう。

 なら、古沢夕はもう死んでいて。

 こっちには、戻ってくることはできない。


 茜の言う通りだ。

 瑞貴にはもう、何もできない。

 いや、もし瑞貴がその場にいたとしても。

 一体何ができたというのだろう。

 まだ弾き飛ばすどころか、引き寄せる方法すら分かっていない瑞貴に。


「ミズキ。赤マントは必ず、こっちに来ようとするよ。直接の殺人の味を覚えたなら、今度は揺り戻されないように、自分の意志でこっちに渡ってくる。そうなったら……」


 そうなったら、被害はもっと拡大する。

 更に広く……更に酷くなるのだろう。

 赤マントは、方向性のない殺意。

 そんなものがこっちに来たら。


 瑞貴は、想像してしまう。

 真っ赤な血の赤に染まった世界を。

 悲鳴の響く、最悪の光景を。


 小さく震える瑞貴の腕を、茜がそっと掴む。

 ただそれだけの事で、震えは止まってきて。

 心配そうな顔で見つめる茜に、瑞貴は精一杯の笑顔を返す。


「ミズキ、これからは、出来るだけ私から離れないで」

「……うん」

「特訓も、中止したほうがいいと思う。ミズキの事を、悟られたくない」

「ダメだよ、茜」


 瑞貴は、茜の言葉を遮る。


「特訓しなきゃ。僕は、茜の足手まといになんてなりたくない」

「ミズキ……! そんな事言ってる場合じゃない。あっちから向こうは見えるけど、こっちから向こうは見えないんだよ!? 赤マントがこの近くを見てるなら、ミズキが世界を混ぜれば絶対に気付く。世界を混ぜられるなんて知られたら、きっとミズキを狙いに来る!」

「どっちにせよ、その赤マントが来るんなら……最悪の事態は考えなきゃ。少なくとも、時間を稼ぐか逃げ切れるくらいの力がなくちゃ、生き残れない。それに……僕を狙ってくれるなら、他の被害は出ないよ」

「……犠牲になるつもり?」


 睨む茜に、瑞貴は首を横に振って否定する。


「犠牲になんかならない。僕が世界を混ぜる事で、弾き飛ばす事だって出来るみたいだし。それなら、赤マントを弾き飛ばす事だってできる。何度来たって、そうして逃げ続けられるよ」


 茜は、迷うような……苦悩するような表情をみせる。

 ……瑞貴は自分のことを、酷い奴だと思った。

 茜は本気で心配をしてくれているのに。

 理由をつけて自分の意見を押し通そうとしている。

 嘘はついてない。

 そうしないと生き残れないと、本気で思っている。

 そして、もし綾香や耕太が狙われたなら……無力なままの自分では、何もできない。

 そして何もできない遠竹瑞貴のままでは、その身勝手の分まで茜に負担をかけることになってしまうかもしれない。

 茜に余計な重荷を背負わせたくはなかった。

 好きな子に頼り切って影に隠れてるだけの情けない自分には、なりたくなかった。

 だから、少しでも強くなりたい。

 茜の隣に胸を張って立てる、そんな自分になりたい。

 だからこそ瑞貴は、自分を押し通した。


「……茜、ごめん。でも、僕は」

「分かってる。ミズキの気持ちは、昨日聞いたもの。でも、一つだけ約束して」


 茜はそう言うと、瑞貴に指きりのジェスチャーをする。


「何があっても、無茶はしないって。約束して」

「……うん、しないよ。約束する」


 茜の小指に、瑞貴は自分の小指を絡める。


「……それと。ミズキは赤マントを弾き飛ばす機会なんて、こないよ」


 茜が小指に込める力が、強まる。


「そいつは、私が倒すから」


 茜の背中に、一瞬だけ……あの時見た赤いマントが翻って。

 けれどそれは、風に溶けるように消えていく。


「ミズキの憤りも、悔しさも。全部私が晴らしてあげる。ミズキを悲しませるものは、一つ残らず私が貫いてあげるから」


 小指の力は緩み、茜は瑞貴の小指から小指を離す。


「……さ、指きった。もうあんまり時間ないけど。食堂、行く?」


 昼休みが終わるまでは、十分程といったところだ。

 今から食堂に行っても、まともに食べる時間が残っているとは思えない。


「茜は?」


 クリームパンを掲げて見せる茜。

 そういえばそうだった、と瑞貴は思い出す。


「じゃあ僕も、今日はパンにしようかな」

「そっか。でも、まだ残ってるの?」

「……コッペパンくらいならあるんじゃないかな」

「栄養が偏るよ」

「お腹が鳴るよりはマシじゃないかなあ」


 瑞貴と茜は、並んで屋上をあとにする。

 風は、少しずつ黒い雲を運んできていて。

 この後の雨を、瑞貴に予感させていた。

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