第21話
茜の言葉を、瑞貴は黙って聞いていた。
「ミズキと会えた時、嬉しかった。向こうでミズキを見てた間、ずっと羨ましかったから。ミズキを呼んでも、ずっと届かなかったけど。でもあの時、私とミズキの縁がつながった時、嬉しかった。ミズキも、私を探してくれてたんだって気付いて。だから、ずっと離したくないって思った。でも、ミズキのいる世界にも行きたいって思った。ミズキが耕太や綾香と笑ってる中に、私も入りたいって思ったの」
茜の目に浮かんだ涙を、琴葉は驚いたような顔で見ている。
赤マントに、こんなに多彩な感情が生まれているというのは、琴葉にとっては理解の外だったのだ。
だが瑞貴の中には、違う感情が浮かんでいた。
「こっちに来れて、嬉しくて死んじゃうかと思った。ミズキがもっと欲しいって思った。だから、何が何でも手に入れようって思ってたけど。でも、こっちに来て綾香とも話して。私の偽物の気持ちで綾香の本物の気持ちを潰すかもしれないって思ったら、とっても苦しくて。でも、言えなかったの。だって私……ミズキを他の誰にも渡したくないんだもの」
瑞貴は、泣きじゃくる茜を抱きしめる。
「ミズキ!? ちょっと私の話、聞いてたのっ!?」
「うん、聞いてた」
「だったら!」
暴れる茜。でも、ここで離しちゃいけない、と瑞貴は感じた。
だから、瑞貴は茜をもっと強く抱きしめる。
「聞いてたから、離さない」
そうだ、離すもんか、と瑞貴は腕に強く力を込める。
琴葉は、執着だと言っていた。
殺意の方向性とか、そういうのも全部、本当なんだろうと瑞貴は思う。
瑞貴が死んだら茜が方向性を失うというのも、全部。
茜は、自分の気持ちは借り物だと言っていた。
偽物だとも。
でも、茜はこんなにたくさんの感情を持っている。
喜びも、悲しみも、憧れも、罪悪感も。
そしてそれが本物であることは、耕太の家の影法師が証明している。
例え、始まりが借り物であったとしても。偽物であったとしても。
茜は、そこから本物を生んだのだ。
赤マントが方向性の無い殺意だというのなら。
やはり茜は、そんなものとは違うと瑞貴は思うのだ。
「茜は、茜だよ」
「でも、私は」
「僕は、茜を疑わない。茜が自分を信じられなくても、僕は信じる」
茜は、もう暴れていなかった。
「でも、ミズキ。ミズキは私の何を知ってるの? 私はミズキを知ってるけど、ミズキは私のこと、ほとんど知らないよね。そんなミズキが、私の何を証明できるの?」
瑞貴が茜と会ったのは、まだ昨日のことだ。
けれど、そんなものは関係ない。
「確かに僕は、茜の事をほとんど知らない。でも、僕はきっと茜を探してたんだ。きっと、ずっと……茜と会うのを待ち望んでた。だから、僕自身が茜の証明になるよ」
「勘違いかもしれないよ? ミズキは、非日常を求めてたんだもの」
「だったら、そう証明されるまで僕の側にいてよ、茜」
「……勘違いだって証明されたら、どうするの?」
「本物にしよう。勘違いからだって、借り物からだって、偽物からだって。それは生まれるって事を証明すればいい」
「……ワガママだね、ミズキは」
「自分から受け入れたからね。苦労だってするし、ワガママだって言うさ」
「……そっか」
茜は、とても優しい顔をしていて。
瑞貴は……そんな茜が、とても綺麗だと思った。
茜と出会った日の事を思う。
そうだ、その日。
遠竹瑞貴は、紅林茜に恋をしたのだ。
「ねえ、ミズキ。恋って、難しいね」
茜の銀色の瞳が、瑞貴を見つめる。
「でも、ミズキが信じてくれるなら。私も、きっと証明してみせる。この気持ちが本物だって、誰にでも分かる形で示してみせるから。だから、ね」
困ったような、恥ずかしそうな。
そんな感情が混ざり合ったような顔をする茜。
瑞貴は、そんな茜に引き込まれるように顔を近づけて。
「とりあえず離して、ミズキ。狐が見てる」
光のような速さで、茜から離れる。
ぼふっ、という音を立ててソファーに倒れ込む茜をそのままに、思い切り振り向くと。
「……琴葉……さん?」
「なんでしょうか、遠竹君」
「あのですね」
「お気にせず、続きをどうぞ」
出来るはずもない。途端に恥ずかしくなってきて、瑞貴は顔が真っ赤になってくるのが分かる。
琴葉の事をすっかり忘れていた事を、瑞貴は激しく後悔する。
「いや、えっと、その、ですね」
「ちょっと黙ってて、ミズキ」
すっかり言葉の出なくなった瑞貴の口を、茜が手で塞ぐ。
けれど、その動作すら今の瑞貴には恥ずかしい。
茜の手から唇に伝わる感触が、とても心地よかった。
「青春ですねえ。でも押しが少し足りない気がしますよ?」
「ミズキの思春期をからかうな」
真っ赤になって、言葉もない瑞貴。
だが、次に茜の言葉から出た言葉にハッとする。
「狐、ミズキに世界を混ぜる方法を教えるつもり?」
「イエス。茜さんがそれを許すなら」
「下手に戦えると、逆に死亡率は跳ね上がる。それが分からないはずないよね」
「イエス、分かりますとも。でもボクが教えずとも、遠竹君は独学でやろうとするでしょうし。それに、ボクは遠竹君を信じていますよ」
その言葉に、茜が目に見てムッとするのが瑞貴には分かる。
「私の方が、ミズキを信じてる」
「なら、問題ありませんよね」
「それとこれとは別問題」
両者とも一歩も引かない。
茜も琴葉もタイプは違うが、自分の意見を押し通すタイプだ。
こうなれば、中々決着がつかないであろうことは瑞貴にも分かった。
「なら、どっちを選ぶか遠竹君に決めて貰いましょうか」
「ミズキ、私を選ぶよね」
「え、そんな話だっけ」
妙な方向性に話が流れた……というよりは、琴葉が流したのだろう。
「いや、僕は茜を選ぶけど。でも戦えるようにはなりたいと思う」
「両方欲しいなんて。本当にワガママですね、遠竹君」
「あの、琴葉さん。話をどこに持っていこうとしてるんですか?」
「面白い方向ですけど?」
こういう所を直してほしいなあ、と思いながら瑞貴は溜息をつく。
「茜」
「ダメだからね」
瑞貴と茜の間の問題が解決しても、やはりここは譲ってくれないようだ。
瑞貴は茜の隣に座って、再度説得を試みる。
「無茶はしないから」
「……ダメ」
「茜に心配はかけないようにするから」
「もうかけてる」
予想以上の手強さに、瑞貴は困ったような顔をする。
「今度、一つ言う事聞くから。ね?」
「買収には応じないから」
早くも打つ手がなくなってきた瑞貴は、言葉につまったように黙り込む。
泣き落とししかないかな……と瑞貴が考えていると、茜が瑞貴の服の裾を引っ張る。
「二つなら、考える余地がある気がするよ」
その言葉に思わず瑞貴が吹き出すと、茜はムッとした顔をする。
結局、後日何でも言う事を三つ聞く、という事になったのだが……そこで、琴葉が手を叩く。
「もう時間も遅いですし……明日からにしましょうか」
琴葉の言葉に瑞貴が時計を見てみると、もう夜の十時半になっていた。
瑞貴のスマホには、耕太からの着信とメッセージが幾つもある。
最新のメッセージには、姉貴に手を出したら殺すぞ、と書いてあって。
瑞貴はすぐに耕太みたいな義弟はいらないから安心しろ、と送り返す。
即座に既読がついたので、スマホの前でずっと待っていたのかもしれない。
「耕太からですか?」
「ええ。あいつ、兄弟とか大切にするタイプだったんですね」
それを聞いて、琴葉は楽しそうに笑う。
「その状況になってみないと分からない事なんて、たくさんありますよ。ボクも今日、それを知りました」
「どうでもいいから帰るんなら帰れ、狐」
「はいはい。帰りますよ。また明日、遠竹君、茜さん」
身を翻して、琴葉は玄関へと向かって行く。
「あ、送っていきますよ」
「いえ、それよりも。遠竹君は大変ですよ? 明日霧峰さんと会っても、態度変えないようにできます?」
「うっ、そういえばそっちの問題は解決してなかった。明日からどんな顔して会えばいいんだろう……」
瑞貴の言葉に、琴葉は悪戯っぽい笑みを浮かべて玄関をくぐる。
「イメージトレーニング、しっかりしといてくださいね? 問題の先送りにしかならないとは思いますけどね」
手厳しい言葉を残して、琴葉は上機嫌で帰っていく。
「……どうしよう、ほんと……」
「私がフォローするよ、ミズキ」
茜のフォローはなぁ……という言葉を、瑞貴はぐっと飲み込む。
どちらにせよ、瑞貴の問題なのだ。
こんなところで茜に頼っているわけにはいかない。
悩む瑞貴と、あのニヤニヤ笑いを見せる茜。
そこに、もう一度扉を開けて琴葉が顔を出す。
「そうそう。茜さんに一つ確認するのを忘れてました」
「こっちには無い。帰れ狐」
途端にムスッとした顔をする茜に、琴葉は気にせず話を続ける。
「槍は、まだ使えますか?」
槍。
それはあの銀色の槍の事だろう。
一瞬の殺意の槍。
その名前と威力を、瑞貴は鮮明に思い出す。
「全盛期には程遠い。満足したら帰れ」
「はいはい。お休みなさい、遠竹君。明日から頑張ってくださいね」
あれで全盛期でないなら、全盛期はどれ程の威力だったのだろうか、と瑞貴は考える。
しかし、それを想像するよりも先に瑞貴には解決すべき問題が多すぎた。
「あ、ミズキ」
悩む瑞貴の肩に、手を置く茜。
「ミズキが私を受け入れたんだからね。もう、泣こうと喚こうと……絶対逃がさないから」
茜はそう言って、満面の笑顔を浮かべる。
「それについては異存は無いんだけれど。何か致命的な弱みを握られてしまったような気がする……」
「気のせいだよ」
「そうかなあ……」
悩みに悩んで、いつの間にか寝入ってしまった瑞貴は、結局解決策を見いだせないまま、次の日を迎える。
もっとも、この手の問題に解決策など初めからないのかもしれないが……だからといって、悩まなくていいという理由にはならない。
登校中も茜に手を引かれながら唸り続け……教室につく頃には、早くも疲れきってしまったのだった。
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