第20話
瑞貴達が耕太の家の玄関を出ると、屋根の上で影法師が忙しそうに何かをしているのが見える。
「食事してますね、あれは」
僕がそれを見上げているのを見つけると、琴葉さんがそう教えてくれる。
「食事……ですか」
「見るのは初めてですか?」
適当に頷くと、瑞貴は茜の背中を追って歩き出す。
影法師が食べるのは、罪悪感だ。
恐らくそれは、茜から出たものなのだろう。
なら、茜は……何を隠しているというのか。
一体何に、罪悪感を感じているというのか。
ループする思考から抜け出せないまま、
瑞貴達はすぐに家に着く。
電気のついたままのリビングに入ると、茜はソファーに腰を下ろす。
テレビのよく見える最正面。
茜が来てから、そこが茜の定位置になっている。
瑞貴は、その隣に。
琴葉は、近くにあった椅子を引っ張ってきて座る。
「……ミズキ」
「何?」
「綾香のこと、どう思う?」
「え?」
予想外の名前に、瑞貴は驚きの表情を浮かべる。
「綾香は、幼馴染だよ。僕と耕太と、綾香。3人一緒の大切な友達だよ」
だが、茜の真剣な表情を見た瑞貴は、誤魔化さずに答える。
「綾香はミズキのこと、好きだよ」
茜は、変わらぬ口調でそう口にする。
……冗談のようには瑞貴には見えない。
だが、それが何の関係があるというのだろう。
それに、茜はどうしてそんな事を知っているのか。
「確認しますが。綾香さんに悪い、とか。そういう意味ではないんですよね?」
「その程度だったら、とっくにミズキをさらってる」
琴葉の質問に、茜は一切の迷いなく答える。
言っていることは物騒だが、そういう意味ではないのなら、一体どういうことなのか。
「私が私になった始まりは、綾香だから」
「茜が、茜になった始まり……?」
「違う。赤マントが私になった、始まり。ミズキのおかげで、私は紅林茜になれた。でも、私の始まりは……綾香だから」
それは、瑞貴と出会う前……ということなのだろう、と瑞貴は思う。
「レモン味のクリームパンの話、覚えてる?」
「あ、うん。自覚しない恋心……とか」
「そう。殺意っていうのは色んなものが混ざりやすいけど。特に恋とか愛とか、そういうのは混ざりやすいんだ。大抵はそっちのほうが強すぎて、ドロドロしたジャムみたいなのになっちゃうんだけどね」
それも、前に話していたのを瑞貴は覚えている。
フッと通り過ぎるような感情がクリームになる。
茜は確か、そう言っていた。
「殺したい程愛してる、じゃダメ。嫉妬は成り立ちが似てるけど、全然違う。沸き起こる一瞬の殺意の理由が、恋だと自覚した瞬間。その時にだけ、それは出来るんだ。だからとても、生まれにくい」
「学校という空間は最適ですね。その手の感情には事欠きませんから、確率は少し上がるでしょう」
琴葉がなるほど、と頷いている。
その言葉の意味を、瑞貴もじっくりと考える。
それは、つまり。
「私が1個だけ食べた、レモン味のクリームパン。綾香から、出来たんだよ」
「え……それって……綾香が、僕を?」
その衝撃だけで、瑞貴は思考がループしてしまいそうだった。
だが、ここでループしてはいけない。
綾香が瑞貴を好きだということは、茜の理由ではない。
茜自身が、さっきそう言っていたのだから。
「それが、あんまり美味しかったから。私、それからずっと綾香を見てたんだ。でも、出てくるのは他のものばっかり。一番多かったのはレモンかな」
レモンが何を指すのか聞いたことはないが、ここまでくれば流石に瑞貴にも大体分かる。
そう、レモンとはつまり恋心のことなのだろう。
「だから、考え方を変えたんだ。綾香じゃなくてミズキか耕太を見てれば、またアレが食べられるんじゃないかな、って」
「それで、僕のところへ?」
「うん。それからずっと、ミズキを」
「ちょっと待ってください」
突然、琴葉が瑞貴達の話を遮る。
「それじゃあ、まだ足りません。肝心な所を誤魔化しましたね」
「え?」
瑞貴が思わず琴葉の方に振り向くと、琴葉はイライラした顔をしていた。
「なんで誤魔化すんですか。それじゃあ話が繋がらないじゃあないですか」
「こ、琴葉さん。茜が何を誤魔化してるって」
「足りないんですよ。赤マントが1度決めた行動を達成せずに次に行くなんて、有り得ません」
「でも、茜は普通の赤マントじゃ」
「黙りなさい、遠竹君。ボクは貴方より赤マントを知ってます。今の茜さんになるには、もう1段階必要です。言いたくないならボクが言いましょうか」
「ちょっ」
「貴方、レモンも食べましたね。この食いしん坊」
茜の顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。
初めて見る茜の表情に瑞貴は、少し得したなあ……などと考える。
「それなら説明がつきます。レモン味を求めるあまり、そっちにまで手を出したんですね。レモンは恋心の塊。レモン味のクリームパンとの相乗効果で、殺意の理由という核になっちゃったんですよ。方向性の無い恋心なんて無いですからね。方向性の無い赤マントが摂取したなら……そりゃ……ねえ」
「狐っ! なんで勝手に言うの!」
「貴方が誤魔化そうとするからでしょう。自分の嗜好以外のもの食べるなんて前代未聞ですよ、この食いしん坊」
「なっ……」
口をパクパクとさせていた茜を、琴葉は一瞥する。
「大体、そこが一番重要なんでしょう? 貴方にとっては」
琴葉の言葉に、茜は黙り込んで瑞貴のほうを見る。
茜が意外と食いしん坊らしいという事くらいしか瑞貴には分からなかったが、その視線の意味を考えて茜を見つめ返す。
茜は、瑞貴のほうをチラチラと見ては口をパクパクさせる。
「茜……?」
「ミズキ、あのね」
「うん」
「その、ね」
珍しく言いよどむ茜に少しドキドキしながら、瑞貴は頷く。
「恋心にはね、方向性があるんだ」
「うん」
それは、ついさっき琴葉が言っていた事だ。
「私の中にある方向性は、ミズキに向いているけど。でも、それは」
そこまで聞いて瑞貴は、ようやく理解する。
茜の核になった、茜の恋心。
それは茜から生まれたものではなくて。
「……でも、それは。綾香のだから。私のじゃない」
「茜……」
「私はミズキが好きだけど。でもそれは、私の気持ちじゃない。私の中にあるこれは、綾香のなの」
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