第14話

「コジマ、コトハ……ですか。いい名前ですね、遠竹君」

「ど、どうも」


 言いながら、瑞貴は溜息をつく。

 こっくりさんが狐という文字にこだわりがあると気付くまで、かなり時間がかかってしまっている。

 そういう事は、もっと早く教えてくれればいいのに、と瑞貴は聞こえないように呟く。


「さて、それでは向こうに帰る方法ですけど」

「あ、はい」


 何度も叩かれた頬をさすっていると、瑞貴のスマホに着信が入る。

 相手は……茜だ。

 スマホの画面を覗き込んでいた琴葉が、瑞貴に明るく告げる。


「ああ、一つはそれですよ。帰る方法」

「え?」

「縁の繋がった相手に、向こうから呼んで貰えばいいんです。もう一つは、来た時と逆のプロセスを辿る事ですけど……」

 

 まあ、早く出た方がいいですよ、と琴葉はスマホに視線を送りながら語る。

 確かにその通りだ。

 瑞貴が慌てて通話状態にすると、静かな……しかし、よく通る声が聞こえてくる。


「ミズキ」

「あ、うん」


 電話口からでも分かる怒りを感じて、瑞貴は背筋が冷えるような感覚を味わう。


「気を抜くなって言ったよね」

「ご、ごめん」


 そう、悪いのは自分だ、と瑞貴は思う。

 茜に怒られても仕方がない。

 何しろ、うっかり引き裂かれるところだったのだから。


「いいよ。ミズキが無事なのは分かってたから」

「え?」

「言ったでしょ。私とミズキは縁でつながってる。ミズキに何かあったら、私にはすぐに分かる」


 瑞貴と茜の縁。

 それは、あの名前の事だろうか。

 でも茜の言葉には、それ以上の何かを感じて。

 瑞貴がその何かについて考える、その前に……瑞貴の視界は、滲んで歪んでいく。


 揺り戻される。自覚すると、その感覚がハッキリと分かる。

 でも、何故か。

 今までと感覚が……少し違うような、そんな気がした。

 そして瑞貴は元の世界へと、揺り戻される。


「ミズキ」

「……茜」


 もう夕方なのだろうか。

 赤く染まった教室で、瑞貴は茜の顔を見上げていた。

 瑞貴が座っているのは、間違いなくこちらの世界の教室の……自分の椅子だ。


「綾香と耕太には、先に帰って貰ったから」

「そっか」


 琴葉は、瑞貴の影が薄くなる……と言っていた。

 でも、綾香と耕太は幼馴染だ。

 影が薄くなった程度で瑞貴を見失うことなんてないだろう。

 こっちの自分が今までの時間をどう動いていたのかは瑞貴には分からないけが、茜が相当にフォローしてくれたんだろう、と瑞貴は感じた。


「……ごめん、心配かけた」

「別に。いいよ」


 ふい、と顔をそらす茜。

 赤く染まった教室。

 夕日の赤が、茜をも赤く染めて。

 茜には、やっぱり赤い色が似合うなあ……と。

 瑞貴は、そんな事を考える。


「それで。向こうで、何かあった?」

「あ、うん。それなんだけど」


 どう説明したものかと考えながら、瑞貴は琴葉のことを思い出す。

 そういえば、狐嶋という苗字は読み方だけでいえば耕太と同じだ。

 偶然ではあるが……琴葉がこちらにやってきた時に、耕太はどんな事を言い出すだろうか、と考えて瑞貴はクスリと笑う。


 だから瑞貴は思わず、想像してしまう。

 琴葉が、この教室にいる光景を。

 想像した、その時。

 瑞貴の視界が、歪みだす。


「ミズキ……? ミズキッ!」


 茜の声が、瑞貴の脳の中でぐるぐると巡る。

 この感覚を、瑞貴は覚えている。

 世界が遠くなるような。

 世界が近くなるような。

 世界が、混ざり合うような。

 これは、茜が来た時と同じだ。

 だが……あの時よりも、違和感が少ない。

 瑞貴の視界は戻り……気分も、すぐに良くなってくる。


「遠竹君。そろそろ完全下校時刻になっちゃいますよ?」

「なっ……」


 瑞貴の隣に現れた琴葉に、茜が後ずさる。


「……ミズキ。向こうで狐にたぶらかされてきたの?」

「ノー。たぶらかしてなんかいませんよ。貴方が赤マント?」

「狐と話すことなんか無い。答えて、ミズキ」


 目に見えて不機嫌な茜。

 だが、やましいことなんて何一つしてないという自信が瑞貴にはある。


「僕と茜の関係について話しただけだよ」

「イエス。遠竹君は貴方を信じてると言いました。だから確認しに来ましたが……貴方は、ボクの知ってる赤マントと随分違うみたいですね」

「納得したなら帰れ狐。ミズキに余計な事を噴きこむな」


 茜がみるみる不機嫌になってきているのを瑞貴は感じる。

 だが、昨日茜が自分は特殊だって言ってた事を瑞貴は思い出して……琴葉の反応を見るに、どうやら想像以上にそのようだと瑞貴は感じる。


「ノー、帰りませんよ。可愛い双子の弟が出来ちゃいましたし」


 弟。

 その言葉に、瑞貴は嫌な予感を感じる。

 まさか、と先程の自分の想像を思い返す。


「縁って、実に複雑怪奇ですね。まさかボクと遠竹君の結んだ縁が、こういう風に繋がるなんて思いませんでした」


 その意味を瑞貴が測りかねていると、廊下をドカドカと走ってくる音が聞こえてくる。


「姉貴!」


 入って来たのは、耕太だった。

 まさか、が確信に変わるのを瑞貴は感じる。


「何やってんだよもう……また瑞貴に絡んでんのか?」

「イエス、だって遠竹君って、からかうと面白いんですよ」


 狐嶋琴葉……が琴葉の名前のはずだ。

 でも、まさか。

 グルグルと瑞貴の中を考えがループする。

 しかし、そう考えるのが一番状況に合致している。


「あの、琴葉さん」

「何ですか? 遠竹君」

「ちょっと、ここに名前書いて貰えますか」


 瑞貴がカバンからノートとシャーペンを取り出すと、琴葉はサラサラと名前を書く。

 小島琴葉。

 どうやら世界は、狐嶋を小島に変換して琴葉を受け入れたようだ。


「遠竹君」


 琴葉は瑞貴の視線に気付いたのか、ノートを閉じながら笑ってみせる。


「ボクが狐嶋琴葉であることは、遠竹君だけが知ってます。だから、それを忘れないでくださいね」

「何言ってんだ? 姉貴」

「耕太には関係ない事ですよ。さあ、帰りましょう」


 瑞貴の返事を待たず、琴葉は耕太の背中をぐいぐいと押していく。


「また明日、遠竹君」


 どうやら、琴葉も同じクラスらしい。

 着ているのは……男子の制服のようだが。


「ちょ……ま、おい瑞貴! 古沢もお前の事気にしてたぞ! ちゃんとフォローしとけよ!」

「え? う、うん」


 押されるまま教室を出て行く耕太を見る瑞貴の視界を、回り込んだ茜が塞ぐ。


「ミズキ」


 茜が、今日一番の不機嫌な声を出す。


「な、何? 茜」

「私に心配させといて、自分は狐なんかと縁結んできたの?」


 目に見えて不機嫌なオーラを出す茜に、瑞貴は思わず後ずさる。

 茜に必死で言い訳をする中、瑞貴には一つの疑問が浮かんでいた。

 私の知っている赤マント……と、琴葉は言っていた。

 茜じゃない赤マントが、この近くにいるのだろうか? 

 少なくとも、琴葉の行動範囲内に居るか、あるいは居た、ということになる。


 赤マントは、普通は人を殺す。

 あの時茜が、そう言っていた事を思い出す。

 もし、赤マントがこの近くにいるのなら。

 耕太が……綾香が、狙われるかもしれない。

 ただの通行人Aにしか過ぎない瑞貴には、その脅威と恐怖に対して……一体、何ができるというのだろう。

 赤マントどころか、その赤マントである茜が一瞬で葬り去った四時四十四分の死神にすら敵わないのが瑞貴の現実だ。

 知らずに何も出来ないのと、知っていて何も出来ないのとでは大きな差がある。 どうすれば、何かを出来るのか。

 瑞貴とて、茜が強いのは分かっている。

 けれど、だからといって自分が何もしないというのも違う、と瑞貴は思う。

 漠然とした願いではあるが、何かが出来る自分でありたい。

 瑞貴は、強くそう思う。


「ミズキ。説明して、全部。黙秘権があると思ったら、大間違いだから」


 そして、瑞貴は思う。

 そんな未来の恐怖よりも先に対処すべきものが、ここにある。

 目の前の脅威と恐怖に対して、一体どう対抗すればいいというのだろう。

 本当に怒られるような事など何もしていないというのに。


 説明しても、それでもまだ疑り深げな茜をなだめながら、それでも二人並んで家に帰る。


「全くもう。授業が退屈なら私を見てればいいのに。ちょっと目を離すと、ミズキはすぐダメダメになるんだね」

「そ、そうかなあ。あの、ところで、手……」


 しっかりと茜に掴まれた手の暖かさと、くすぐったさ。

 何となく居心地が悪いような気すら感じて、瑞貴はそっと手をほどこうとする。


「ダメ。逃がさないから」


 茜は瑞貴をキッと睨むと、少し強く手を握って。

 瑞貴は、赤くなる顔を隠すように夕日を見上げるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る