第10話
「おはよう、ミズキ」
「あ、おはよう茜」
朝、瑞貴が1階に降りると瑞貴のパジャマを着た茜が、テレビのニュースを見ていた。
どうやらテレビの扱いには、もうすっかり熟練したようだ。
そういえば、と瑞貴は思う。
茜は昨日何処で寝ていたのだろうか?
「どこって。普通にベッドでだけど。私用の部屋も、普通にあるしね」
昨日言っていた、世界のなんとかってやつだろうかと瑞貴は考える。
確かに。
泊っているのだから、部屋くらい用意されてないとおかしい。
瑞貴は何となく納得したような気になって、ソファーに座ってニュースを見る事にする。
「ミズキ、朝ご飯は?」
「食べる?」
「私はこれがあるから」
その手には、例のクリームパン。
瑞貴は栄養のバランス……と言いかけて、そういう普通の食べ物では無かった事を思い出す。
「人の心配より、ミズキは自分の食べなよ。朝を抜くのは良くない」
実を言うと、瑞貴はちょっとだけ期待していた。
もう朝ご飯が用意されている、さながら青春真っ盛りな光景を。
けれど、そんな様子は微塵も無い。
「甘いよ、ミズキ。世の中、そんなに甘くないから」
そんな容赦のないツッコミが、瑞貴の心にグサグサと突き刺さる。
トーストと、コーヒー。
簡単な朝食をテーブルに運ぶと、茜はソファーで瑞貴のスマホを何やら一生懸命弄っていた。
「それ僕の……」
「ん」
意外にもあっさりと瑞貴へスマホを返す茜。
イタズラされてないか見てみると……アドレス帳から綾香の名前が消えている。
まさか、昨日綾香のアドレスが消えてたのも茜の仕業だろうか……と瑞貴は茜をじっと見る。
いやいや、まさか。
そう考えつつも、瑞貴はその疑問を口にする。
「あのさ、茜。スマホのアドレス消してるのって、もしかして……茜?」
「まぁね。だって、私以外の女子のアドレスなんていらなくない?」
「そんなことないよ……」
操作覚えるの苦労したよ、とやり切った顔で言う茜だが、別に自慢することでもない気がする。
今日学校に行ったら、綾香にまたアドレス入れてもらわないと。
そう考えて瑞貴は溜息をつく。
何と言い訳したものか、今から気が重くなってくるのを感じる。
「あと、そのパジャマも僕のなんだけど……」
「返そうか?」
上着のボタンを一つ外してみせる茜に、瑞貴は首をぶんぶんと横に振って否定する。
その反応も織り込みずみなのか、茜はニヤニヤと笑いながら自分の胸元を指さす。
「下は誰の着てるか、聞かないの?」
齧りかけのトーストが、テーブルに落ちる。
いや、まさか。
いくら茜が人をからかうのが好きだからって、そこまでは。
そう考えながらも、瑞貴は茜の胸元を凝視する。
そんなところを見たって何も分からないが、指し示されたら見てしまうのが人の習性というものだ。
「ミズキ。下着の柄にはもうちょっと、気を使ったほうがいいと思うよ」
背伸びする茜のズボンからチラリと見える獅子の顔。
あまりにも見覚えのありすぎる柄に瑞貴は、ガクリと肩を落とす。
瑞貴のお気に入りのトランクスに間違いなかった。
「返そうか?」
ニヤニヤ笑いを強める茜に、瑞貴はもう返事する気力すら無い。
父さん、母さん、ごめん。
僕の真っ白だった純情は今日、赤い悪魔に穢されてしまいました。
心の中でそう懺悔すると、瑞貴は深い溜息をつく。
「まあ、それはさておき。ミズキ、学校行ってる間は気を抜かないようにね」
「あ、うん」
反射的に返事してから、瑞貴は今言われた事を思い返す。
今言われた事は、もしかしてとても重要な事ではないのだろうか。
言葉の意味を瑞貴が考えていると、茜が立ちあがって手をパン、と叩く。
「ぼーっとしてたらダメだよ、ミズキ。ほら、歯磨いて。さっさと着替える!」
「え、僕まだ食べ終わってないんだけど」
「さっさとしないと、私はミズキの制服着るからね」
「ちょっと、それじゃ僕は何着ていけばいいのさ!」
「私の着ればいいじゃない。あ、いいなソレ。皆に嫌われて、私だけのミズキになれるよ?」
やりかねない、と瑞貴は思う。
そんな事をされたら、瑞貴の青春は確実に終了するだろう。
「冗談だよ、ミズキ。一割くらいは」
ほとんど本気なんじゃないか。
冷や汗を流す瑞貴を、茜はニヤニヤと見守っていた。
そして、何とか無事に男物の制服を着る事の出来た瑞貴と茜は二人で並んで家を出る。
学校は、瑞貴の家から少し歩いた場所にある。
「ミズキ」
「何?」
「電柱の陰に何がいるか知ってる?」
通学路で、ぴったりと瑞貴の隣を離れずに歩く茜が突然そんな事を口にする。
「なんだろう。何かのクイズ……とか? 電柱の陰にいるようなもの。いるっていうんだから生き物だよね」
犬とか、猫ではないだろう。
わざわざ聞いてくる辺り、相当捻くれた答えが用意されているのだろう、と瑞貴は思う。
「ストーカー?」
「半分正解」
半分、と言われて瑞貴は顔に疑問符を浮かべる。
「残りの半分って?」
「影追い」
影追い。
昨日の影法師の仲間だろうか、と瑞貴は思う。
そんな瑞貴の表情を読み取ったのだろうか。
茜はニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「影に潜むのが好きな連中でね。憧れとか、そういうのを食べてるらしいよ。洒落た連中だよね」
「そうかなあ……影に潜んでる時点で、そういうのとは程遠い気がするんだけどなあ」
瑞貴は試しに、電柱の陰に目を向けてみるが……誰も居ない。
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