第9話

 勿論、そんなニュースを瑞貴は聞いた事がない。

 そんなショッキングなニュースが流れたら覚えているはずだ。

 だが、影法師が普通見えないように、赤マントも普通見えないとしたら。

 そうだとしたら殺されても、それが赤マントの仕業だとは分からないのではないだろうか。


「ない……けど」


 だが、聞いたことが無いものは存在しない、なんて理屈はない。

 そんな瑞貴の考えを見透かしたのだろうか。茜は、大きく溜息をつく。


 茜はリモコンを拾ってテレビの画面を消すと、瑞貴に此処に座れというジェスチャーをしてくる。

 促されるままに、瑞貴はソファーに……茜の隣に、座る。

 すると茜は真剣な表情のまま、瑞貴の疑問にこう答える。


「赤マントは、普通は人を殺すよ」


 ガタリと、音がする。

 それは、瑞貴がソファーから落ちた音。


 赤マントは、人を殺すのが普通。

 それは、つまり。

 一つの事実を指し示しているように瑞貴には思えた。


「茜も……人を殺すの?」


 瑞貴は、自分で言った事と。

 茜の言葉の意味を反芻する。

 だとすると、茜は。

 遠竹瑞貴を殺すのだろうか。

 それが普通だとするならば、瑞貴は。


 背筋に氷を差し込まれたような感覚。

 それが恐怖だと気付くのに、然程時間はかからない。


「どう思う?」


 茜は、今まで見たこともないような冷たい視線で瑞貴を見下ろす。


「私は。ミズキを。殺すかな?」


 瑞貴は、想像する。

 茜が、瑞貴を殺す光景を。

 瑞貴には、想像できない。自分を殺す茜が、どんな顔をしているのか。


 瑞貴は、想像する。

 茜が、瑞貴を殺す姿を。

 その姿が、顔が……瑞貴には、想像できない。

 瑞貴の創造する想像の世界に、瑞貴を殺す茜が居ない。


 記憶の中の茜を辿り……瑞貴は、思い出す。

 あの時、最初に茜と会った、その時を。

 目を離せなかった、あの姿が思い浮かぶ。

 あの瞬間から、まだ1日だって過ぎてはいない。

 茜の事を、瑞貴はそのくらいしか知らない。でも、それでも。


「殺さないと……思う」

「なんで?」


 理由なんて、いくらでもつけられる。

 今まで瑞貴を殺すチャンスなんていくらでもあった。

 殺すつもりなら、看病なんてしなかったはずだ。

 あの冷たいタオルの感覚だって、瑞貴は覚えている。

 でも、そんなものは、関係ない。


「僕が、そう思うから」

「ふぅん?」


 茜の目は、冷たいままだ。

 それでも、瑞貴は構わず喋り続ける。

 そうしなければならないと、瑞貴は感じていた。

 自分の思いを、考えを。

 整理できないままに瑞貴は茜にぶつける。


「言ったよね。僕の望む世界が現れるって」

「言ったね」

「僕と、一緒に居てくれるって言ったよね」

「そうだね」

「だから、茜は僕を殺さないと思う。殺したら、一緒にはいられないもの」


 茜は、いつの間にかニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 ひょっとすると、からかわれたんだろうかと瑞貴は考える。


「どうかな、死後の世界でずっと一緒っていうのもあるよ?」


 それは考えつかなかったな、と瑞貴は苦笑する。

 だが。


「でもやっぱり、茜はしないと思う」


 何度想像しても、そんな茜は瑞貴の中に出てこない。


「そっか」


 茜はそう言うと、床にへたり込んだ瑞貴に手を差し出す。


「立てる?」

「あ、うん」


 瑞貴は茜の手を借りて立ち上がろうとして。

 そのまま、強く引き寄せられる。


「大丈夫。私はちょっと特殊なんだ。ミズキを殺したりは、しないよ」


 顔を近づけて、茜は囁くように瑞貴に警告する。


「でも、他の赤マントを見つけたなら。近づいちゃダメだよ。会話しようなんて思ってもいけない。死にたいと思うんなら、話は別だけどね」


 茜の綺麗な銀色の髪が、瑞貴に触れる。

 他の赤マント。

 茜が前に言っていた、もう一人の赤マントの事だろうか、と瑞貴は考える。

 しかし、瑞貴に触れる銀色の髪の感触が、瑞貴の思考を麻痺させていく。


「言っておくけどね、ミズキ。怪談話で凶悪とされてる連中なんてのは、大概ロクでもないのが揃ってる。火の無い所に煙は立たないんだよ。赤マントは、特にそう。人を誘拐して殺すなんて噂されてる奴、どう考えてもイイ人とは程遠いのは分かるよね?」

「う、うん」


 レモンの香りのする吐息が、瑞貴の鼻をくすぐる。


「何度でも言うけれど。ミズキは一般人Aだ。そういうのに出会えば、真っ先に殺される。自分の立ち位置を、忘れないで」


 生きていたいならば、余計な事に首を突っ込むなと。

 茜は、そう警告してくれているのだと瑞貴には分かった。


「うん……分かった」


 そう瑞貴が答えると、茜は瑞貴から手を離す。

 なんだかちょっと、残念な気がして。

 瑞貴は慌ててその考えを振り払う。


「あと、ね。これはお願いなんだけど」

「お願い?」


 振り向く瑞貴を、茜は悲しそうな顔で見つめる。


「私を、信じて。ミズキに疑われるのは、とても辛いから」


 そう言う茜に、瑞貴は言葉が出ない。


「……ごめん」


 瑞貴は一瞬でも茜が人を殺すんじゃないかと疑った自分が、とても汚い生き物であるかのように、思えてきて。

 それでも、そう言うだけが、瑞貴には精一杯だった。


「……ごめん、茜」


 屋根の上で影法師がカラカラと笑う声が聞こえたような……そんな気がして。

 瑞貴の顔を覗き込んでいた茜は、その声を聞いて天井を見上げる。


「ねえ、ミズキ」

「何? 茜」

「今から私、酷い事するから」


 言うと同時。

 茜の手の中に、細身の銀色の槍が現れて。


「だから、嫌いにならないでほしいな」


 そのまま槍を、上に投げる。

 投擲された槍は天井を貫き、更に幾つかを貫く音を立てる。

 やがて頭上からギィッ、という耳障りな悲鳴が響く。

 カラカラという笑い声が、消える。

 それがなんだろう、という疑問を瑞貴が抱く暇はなかった。


「あのね」

 茜の背中に、赤いマントが現れて。

 着ている制服が、赤く染まった衣装に変わっていく。

 その手の中には、再び槍が現れている。

 投げた槍が戻ってきたのではない。

 新しい槍がその手の中にあるのだと瑞貴には分かった。


「今更ながら告白するけど。赤マントってね、すっごい嫌われ者なんだ」


 その言葉が終わると同時。

 辺りからカラカラと、音が響く。

 響く音は、やがてガラガラという耳障りな音に変わっていく。


 それは、窓の外から。

 ドアの外から。

 壁の向こうから。

 家の周りを車輪が回り続けるような、そんな音が響く。

 けれど、それは車輪の音ではない。

 車輪の音に良く似た、何者かの声。

 たくさんの何者かが、家を取り囲んでいる音だった。


「勿論、赤マントが恐れられてるのもあるけど。それ以上に、性格的なものがあってね?」


 窓の外を埋め尽くすかのように、黒い何かがへばりついている。

 影法師。

 先程瑞貴達が見たソレが、家の周りを覆い尽くしている。

 窓の外に、ドアの前に、屋根の上に、床の下に。

 隙間無く家を包み込むように、影法師は家を包囲してガラガラという声をあげる。

 それは、慟哭。

 それは、怨嗟。

 理不尽に殺された仲間を想い、影法師達は叫んでいた。

 そう、先程の茜の一撃は……屋根の上の影法師を殺していたのだ。


「気に入らないものが、どうしても許せないんだ。例えそれが、取り返しのつかない事態を招く結果になったとしても……ね」


 まるで散歩でもするかのように軽い足取りで、茜は窓に近づいて。

 より一層強い声をあげる影法師を、涼しげな顔で見つめる。


「例えばね。影法師は仲間意識がすっごく強いの。仲間がやられたら、格上相手につっかかってくるくらいにね」


 茜は影法師で埋め尽くされた窓を、ガラリと開ける。

 その途端に、怨嗟の声をあげながら影法師達が溢れ出るように家の中へとこぼれ出る。

 夜の色のように黒い手を伸ばし、影法師達は茜を取り囲み。

 けれど、それを銀色の一閃が薙ぎ払う。


「ごめんね、仲間を殺して。でもね、そっちが悪いんだよ? ミズキは私のモノなのに、勝手にミズキの罪悪感、食べたりするから」


 一言ごとに、槍が突き出されて。

 槍が突き出されるごとに、影法師の姿が霧散していく。


 それは、戦いとすら呼べない光景。

 虐殺と呼ぶのもまた、違うだろう。

 例えるなら、煙を手で払うような……そんな光景に似ている。


「ダメじゃない、ミズキに手出したら。ミズキは、私のものなの」


 黒く染まっていた窓から、外の光が入ってくる。

 窓の外に居た影法師は、その全てが霧散している。

 そのあまりにも圧倒的な力の差に他の影法師も脅えたのか、窓に近寄ってはこない。


「ねえ。私ね、ミズキに嫌われたくないの。この辺りでやめにしない?」


 茜はそう言うと、槍を窓の外へと向けなおす。


「これは一瞬の殺意の槍。人間の殺意は通り抜けるだけだけど、赤マントの殺意は最速の槍となって具現化する。影法師如きじゃあ、どれだけ集まってもムダだよ。分かるでしょ?」


 ……例えば、遠くからの一瞬の殺意を感じる人間がいるという。

 感覚が鋭敏と言ってしまえばそれまでの話だが、それは一つの事実をも示唆している。

 つまり、殺意は遠くからでも一瞬で届く感情。

 それが現実の槍となったならば、それは一瞬で相手に届く最速の槍となる。

 茜の持っている銀色の槍は、それを体現したものなのだ。


 影法師達も、それを悟ったのだろうか。

 家の周りからガラガラという音が離れていくのを瑞貴は聞いていた。


 しばらくの時間がたって辺りから影法師の声が完全に消えたのを確認すると、茜は窓をカラリと閉めて振り向く。


「私、結構独占欲強いほうなんだ。覚えといてくれると嬉しいな?」


 さっきの悲しげな顔を浮かべていた茜とは、まるで別人のような茜の姿。

 それを見ても瑞貴は、怖いと思う事はなくて。

 そんな茜の姿がとても眩しく愛おしいものに見えていた。

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