第7話

 2人を見送ると、瑞貴はスマホのカレンダーを開く。


「そっか。明日も学校なんだなあ。なんだか慌ただしくて、すっかり忘れてた」


 特に理由はないが、瑞貴は何となく空を見上げてみる。

 空に浮かぶのは、綺麗な月。

 視線を下ろす、その時に。正面の家の屋根に、人影が見えたような気がして。


「え……?」


 瑞貴は、もう1度視線を上げる。

 でも、誰も居ない。

 暗闇を見透かすように、瑞貴は目を細める。

 やはり、誰も居ない。

 気のせいかと視線を下ろすと。

 視界に、黒い人影が一瞬だけ目に入る。


 何か、いる。

 あの屋根の上に、何かが。

 その何かが、何なのか。


 想像する。

 あれは、何なのか。

 何をするものなのか。


 想像する瑞貴の肩に、誰かが手を置く。

 振り返ると、そこには茜がニヤニヤ笑いを浮かべて立っていた。


「何やってるの、ミズキ」


 茜が、いつも通りの口調で瑞貴に語りかける。

 どう伝えるべきか混乱する。

 下を向く時にだけ見える人影なんて、どう説明したら。

 言葉も出ないまま正面の家の屋上を指さす瑞貴。

 その先を視線で追うと、茜はつまらなそうに鼻を鳴らす。


「ああ、影法師だね。どこにでもいるじゃない、あんなの」

「か、影法師?」


 茜の本当にどうでもよさそうな口調に、瑞貴は少しの冷静さを取り戻す。


「うん。罪悪感とかそういうのを食べてる奴だよ。最近は増えてるよ?」

「なんだか、下を向く時にだけ見えて……」

「ああ、ああ。下を向くってのはほら。謝罪に似てるからね。食事と勘違いして、姿を見せることもあるかもね」


 瑞貴の説明にもならない説明に、茜はスラスラと答えてみせる。


「でも、おかしいなあ。ミズキ、もっとちゃんと見てる? 今のミズキなら、下なんか向かなくても見えるはずなんだけど」


 その言葉に瑞貴は、ぞっとする。


「下を向かなきゃ見えないなんてのは、普通の人だよ」

「僕は、普通の人のつもりなんだけど」

「ちょっと違うね」


 茜は、すぐにそう切り捨てる。

 瑞貴の真正面に近づくと、茜は瑞貴の顔を見上げる。


「私なんか引き込んだ時点で、ミズキは普通の人から少し外れてるよ。今のミズキは、見ちゃいけないものが見える普通の人、ってとこかな」


 聞いていると、ひとつも良い点が無いように瑞貴には思える。


「ないよ」


 一刀両断、少しの慈悲もない言葉だ。


「でも」


 茜は、瑞貴の首に手を回す。

 ニヤニヤと、あの笑いを浮かべながら茜は囁く。


「でも、それがミズキの望んだ世界だ。望んだ非日常は、いつでもすぐ目の前にある。ほら、もっとよく見て」


 もう一度、あの屋根の上を。

 瑞貴は目を凝らして眺める。凝視する。


 想像する。

 もし、あそこに何かがいるのなら。

 例えば、黒い影法師。


「……見えた」


 屋根の上に、黒い人影が体育座りをしている。

 瑞貴の視線に気付いたのだろうか。

 なんだか申し訳なさそうに手を振っている。

 思わず手を振り返す瑞貴を見て、茜は満足そうに頷いた。


「ね? 見えたでしょ?」


 確かに、見えた。

 あちこちの屋根の上に、影法師が。

 正面の屋根に。

 隣の屋根に。

 更に、その先の屋根に。

 そして、瑞貴の家の屋根の上にも。

 影法師の居ない屋根なんて、見えなかった。


 どこまでも続く、黒い影の群れ。

 マンションにも、各部屋のベランダごとに影法師がいるのが分かる。

 数え切れない程の影法師が、瑞貴の視線に気づいて。

 黒い影達は、一斉に手を振ってみせる。


 目の前で繰り広げられる光景に、背筋が寒くなるのを瑞貴は感じた。

 それは今まで、こんな状況に気付いていなかったのか、という驚き。

 それは、今までの常識が非常識だったと思い知らされたが故の恐怖。


「心配いらないよ。あれは、大体は悪質なものじゃあないから」


 大体は悪質じゃない。

 それは、悪質なものもいる、という意味を併せ持つ。


「まあ、たまには悪いのもいるよ。でもそれって、人間も同じでしょ?」


 寒いから中入ろうよ、という茜に促されるまま。

 瑞貴は逃げるように家のドアを閉めた。

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