第6話

「おはよう、ミズキ」


 瑞貴が目を覚ました時、冷たいものが瑞貴の目の上からどかされる。

 濡れタオルを持った茜が、瑞貴の顔を覗き込んでいた。


「……おはよう。あの2人は?」

「綾香は下でおかゆ作ってる。耕太はサッカー見てる」

「そっか」


 丁度いい、と瑞貴は思った。

 聞きたいことが、瑞貴にはたくさんある。瑞貴は起き上がると、茜の顔を見つめる。


「聞いても、いいかな」

「何?」


 少し考えた後。

 瑞貴はまず、最初の疑問を口にする。


「どうして、此処にいるの?」

「ミズキが呼んだからだよ」


 茜は、あっさりとそう口にする。


「私とミズキの縁は、こっちとあっちを繋げてる。ミズキが向こうに行けるように、私もこっちに来る事ができるんだよ」


 それはつまり。

 瑞貴がダストワールドに行っていたのは、茜が僕を呼んだからなのだろうか、と瑞貴は考える。

 だが、それでは説明できない事がある。

 茜はダストワールドの人間であって、こちらの世界の人間ではない。

 なのに何故、耕太や綾香は茜の事を知っているのか。

 それは、二つの世界の移動という事象と関連しているとは瑞貴には思えなかった。

 そんな瑞貴の考えを読み取ったのか、茜は肩をすくめてみせる。


「世界は矛盾を許さないからね。私のような異物でも、入り込んだらそれを最初からあったように組み込もうとするんだよ。向こうに帰った時にどうなるかは分からないけど。たぶん、全部なかったことになるのかもしれないね?」

「でも、茜はここにいるよ」

「今は、ね」


 向こうに帰ったら茜はまた、あの場所に居るのだろうか、と瑞貴は考える。

 あの無音の世界に、一人きりで。

 そう考えた時、瑞貴の口から自然と言葉が飛び出していた。


「ねえ、茜」

「何? ミズキ」

「よかったら、ここにいないかな」


 驚いたような顔をする茜。

 初めて見る表情に、瑞貴はドキリとする。

 やはり、向こうに帰ってしまうつもりだったのだろうか。

 そう考えると、瑞貴の中に正体不明の焦りにも似た感情が生まれる。


「君はそうじゃないのかもしれない。でも、やっぱり1人は寂しいものだと、思う。だから」

「ここに居てほしい……って言うの?」

「うん。茜が嫌じゃなければ、だけど」


 茜は天井を見上げると、目を閉じて何かを考える素振りをみせる。


「いいのかな。私が何だったか忘れた?」


 怪人赤マント。

 確か、そう言っていたと瑞貴は思い出す。

 でも、瑞貴にとって茜は、茜だ。

 他の事なんて、何の関係も無い。


「そっか。ミズキ、ありがとう。とても嬉しいよ」


 茜はそう言うと、唐突にあのニヤニヤ笑いを浮かべる。


「ところでね、ミズキ。今、ご両親いないよね」


 そう。遠竹家の父親は海外赴任していて、母親もそれにくっついて行っている。


「さて、問題です」


 瑞貴の耳元に唇を寄せ、茜は小さく囁く。


「私は今、何処で暮らしている設定になっているでしょう?」


 何処で暮らしているのか。

 それは当然の疑問だ。

 世界が矛盾を許さないというのならば、矛盾の発生しないような場所であるのは間違いない。

 ならば、現状で一番矛盾無く茜が存在できる場所。

 そして、茜がこういう言い回しでわざわざ瑞貴に聞いてくるといいう事。

 それはつまり、一つの事実を指し示す。


 遠竹家に茜は住んでいるということになった。

 つまりは、そういうことだ。


「さて、それを踏まえた上で。今の台詞、事情を知らない人が聞いたら、どう思うでしょうか?」


 開け放たれたドアの向こうで、綾香がぼうっとしているのと。

 耕太がすごい顔をしているのが瑞貴には見えた。

 裏切り者を見る目だ、と瑞貴は感じた。


 瑞貴は素早く現状を整理する。

 つまり、茜と瑞貴は同居している。

 そして、甲斐甲斐しく世話をする茜と、ベッドの上で此処に居てほしい、という瑞貴。

 茜が嫌じゃなければ、という言葉。

 聞きようによっては、非常に不味い意味にも聞こえる言葉だろう。

 だが、茜が一言フォローを入れれば解決する程度の状況でもある。


「ち、違うよ! ねえ、茜」

 

 瑞貴が一縷の望みをかけて見た、茜の顔には……あのニヤニヤ笑いが浮かんでいる。


「嬉しい! 私もミズキと一緒に居たい!」


 そのニヤニヤ笑いが2人にバレない角度で、瑞貴に抱きついてくる。

 更に状況が悪くなったことを、瑞貴は確信する。


「許せねえ……これがモテ・ディバイドってやつかよ……許せねえぜ」


 血の涙を流しそうな勢いで、耕太がキレる。

 この状況をモテ格差と呼んでいいのか瑞貴には疑問の余地が残るところだったが、綾香はまだ固まったままだ。

 茜からのフォローが一切期待できない以上、綾香をどう納得させて誤解を解くかは苦労のしどころだ。


「自分から受け入れたこと、忘れないでね。これから苦労するよ、ミズキ」


 もう苦労してる。

 瑞貴はそう言いたいのを、ぐっとこらえて。

 発言の意味を違う方向にとった耕太の怒りのボルテージが更に上がる。


「……ひょっとしなくても、わざと誤解される言い回ししてるよね」

「何の話?」


 瑞貴が茜をジト目で見ると、茜はニヤニヤ笑いを一層強めてみせる。

 瑞貴は、怪人赤マント……紅林茜という人間像が、少しだけ理解できた気がした。


「瑞貴。ちょっと、分かりやすく説明してくれる?」


 その時、フリーズしていた綾香が再起動した。

 誤解を解くにはどうしたらいいのか。

 瑞貴は必死で頭の中で言い訳を組み立て始める。


 そのまま必死の言い訳を続ける事、数時間。


「おい瑞貴、俺ぁまだ納得してねえからな」


 夜になっても、まだ耕太は納得しきれていない様子だった。

 玄関口で、まだしつこく追及してくる。


「だから違うってば」


 瑞貴が何も言わないでよ、と目線で茜に視線を送ると茜は顔を赤らめて、視線をそらしてみせる。

 余計なことはしないでよ、にするべきだった……と瑞貴が後悔しても、もう遅い。

 般若みたいな顔になる耕太の肩を、溜息まじりの綾香が掴む。


「だからアレは茜の冗談だってば」

「納得できると思ってんのかよぉ、あぁ?」


 どうしたものかと瑞貴が考えていると、助け舟は意外な方向からきた。


「もういいよ。帰ろ、耕太」


 綾香が溜息をつきながら、頭をかいている。


「よく考えたら、茜ってイタズラ好きだし。いつもの冗談だよ」

「そりゃそうだけどよ……」

「そもそも瑞貴にそんな甲斐性ないってば」

「まぁな」


 納得するなよ、と言いたくなるのを、瑞貴はぐっとこらえる。


「おやすみ、瑞貴。念の為、今晩はしっかり寝てなよ」

「茜にイタズラすんじゃねえぞ」

「大丈夫。イタズラするのは私だから」


 冗談だと思って笑う耕太と綾香を見ながら、瑞貴も乾いた笑いを浮かべる。


「うん、おやすみ2人とも」

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