第5話
「なぁ、瑞貴」
瑞貴の隣の席でシャーペンの分解作業をしていた耕太が、そう瑞貴に話しかけてくる。
「何?」
「スプリングがどっか行っちまったんだけどさ。そっちに転がってねぇ?」
「知らないよ。そのうち帰ってくるんじゃない?」
「スプリング少女か。いいなそれ」
幸せそうなので、瑞貴は答えずに放っておくことにする。
筆箱の中で光っているのはスプリングに思えるが、あえて耕太の夢を壊す事もない……という瑞貴なりの優しさだ。
「瑞貴―、ついでに耕太―」
「聞いたかよ瑞貴。俺はお前のオマケらしいぜ?」
やってきた綾香に、耕太は大袈裟な手振りで悲しみを表現してみせる。
「バーカ。さっさと帰ろうよ」
「ん、そうだね」
「おう」
瑞貴達が荷物をまとめて立ち上がろうとした、その時。
瑞貴のズボンのポケットから、スマホが滑り落ちる。
転がり落ちたスマホは、くるくると回転しながら綾香の足元へ滑っていく。
「おっと」
「あ、ごめん」
拾ってくれた綾香から瑞貴がスマホを受け取ろうとすると……何故か、綾香はその手をペシンと叩く。
何だか、さっきも同じような目にあった気がするな……と瑞貴が考えている間にも、綾香がカチカチと音を立てて瑞貴のスマホの操作を始めている。
「ちょ、僕のスマホ……」
「相変わらずアドレス増えないわねー」
なんて奴だ、と瑞貴は戦慄する。
綾香は、スマホのアドレスチェックをしているのだ。
プライバシーの侵害という言葉を恐れぬ行為に瑞貴が戦慄している間にも、綾香は慣れた手つきでスマホを弄り続ける。
「あれ? 知らない人の名前だ。女の子?」
「ちょっ!」
瑞貴は、綾香の手から慌ててスマホを奪い返す。
表示されていた名前は、紅林茜。
「なんだよ、お前もついにエア彼女持ちか?」
瑞貴の横から耕太が、スマホを覗き込んでくる。
「何、エア彼女って」
綾香の不審そうな顔に、耕太は得意げに指を振って見せる。
「説明してやろう。家族しかアドレスが入ってねぇ寂しい男の為に生まれた奇跡のシステム。勝手なアドレス入れて、それっぽい名前を入れればあら不思議」
「瑞貴、アタシのアドレス消えてるんだけど」
「あれ?」
「ちょっと貸して、もう一回入れるから」
綾香は瑞貴のスマホを奪い取ると、カチカチと操作し始める。
消した記憶は無いのに、いつ消えたのだろうか、と瑞貴が考えていると……綾香はふう、と息を吐く。
「よし、出来た。もう消さないでよ」
そう言うと、綾香は満足そうな顔で瑞貴にスマホを渡す。
「おい待て。俺に説明させといてスルーかよ。女性向けにエア彼氏ってのもあるんだぜ?」
「アタシは今の耕太をエア幼馴染にしたいんだけど」
「マジか。俺を胸一杯に吸い込むつもりかよ」
想像すると、瑞貴は急に気持ちが悪くなった。
そんな汗臭い空気はご免こうむりたい。
「耕太、気持ち悪い」
綾香の素直な感想に、瑞貴は心の底から同意した。
「それより、瑞貴のエア彼女のことだけどよ」
「なんでエア彼女って決めつけるのさ」
「え、ほんとに彼女なの?」
耕太と綾香に、瑞貴は違う、という意味を込めて手を振る。
「違うよ」
瑞貴がそう答えた、その瞬間。スマホが、鳴りだした。
表示された名前は……紅林茜。
「私は違わなくてもいいんだけどな」
瑞貴が通話アイコンを押した途端、電話の向こうの声はそう言った。
「え? あ、茜?」
瑞貴は思わず、そう聞き返す。
不思議な、此処ではない何処かの世界。
そう感じていた向こうからの電話。
それは一気に、茜の存在感を濃厚にさせた気がしていた。
そう、それはまるで茜がこの場にいるかのような感覚。
……もし、茜がこの場に居たのなら。
そう考えた、その瞬間。
瑞貴の中で何かが、ガチリという音を立てて変わった気がした。
そして、瑞貴は見た。
耕太の机の上に居る、少女の姿を。
間違えようも無い、赤い服と銀の髪。
茜が、こちらに背を向けて座っている。
携帯を耳元に当てた茜が、瑞貴へと振り向いて。
嬉しそうに、顔をほころばせる。
その光景に瑞貴の心臓が、大きく飛び跳ねる。
思わず瞬きをすると、そこに居たはずの茜の姿はかき消える。
「ど、どうした瑞貴」
いつの間にか、電話は切れていて。
耕太が、心配そうな顔で瑞貴を見ている。
「ちょっと、何その汗。すごいわよ?」
瑞貴の体を、大量の汗が流れ落ちる。
なんだろう、と瑞貴は考える。
今、何かが決定的に変わってしまった気がした。
視界が、世界が。何かが変だった。
此処にあるのに、目の前にあるのに。
声も、姿も。いつもより遠く感じる気がするのだ。
視界が歪む。
世界が、遠くなる。
いや、違う。
世界が、近くなる。
世界が、混ざり合う。
「おい、瑞貴!」
揺さぶられて、瑞貴はハッとする。
あの変な感覚は、体の中から消えている。
「あ、ごめん。なんだか、疲れたみたいだ」
「しっかりしてよね……心配するじゃない」
「うん、ごめん」
綾香や耕太に心配をかけてしまった事を、瑞貴は素直に反省する。
先程見えた、あの姿。
瑞貴は、それを鮮明に思い出す。
想像する。想像してしまう。
例えば、茜がこの教室にいるのなら。
例えば、クラスメイトであったなら。
「念の為、家まで送っていったほうがいいかもね」
「そうね。耕太、万が一の時は頼むわよ?」
「げえ、俺一人でかよ?」
瑞貴の前で三人が、そんな事を話している。
「やだなあ、皆で送っていくけどさ。私と綾香じゃ力仕事は無理でしょ?」
「そりゃ茜には無理かもしれねえけどよ。綾香は意外とげぅっ」
綾香に蹴られてうずくまる耕太と、それを見てニヤニヤと笑う茜。
いつも通りの、その光景に……瑞貴は、戦慄した。
「あ、茜……?」
「何? ミズキ」
どうして、茜が此処に居るのかが瑞貴には理解できなかった。
茜は、此処には居ないはずだ。
それに、綾香も耕太も、茜の事は知らないはずだ。
なのに、どうして。どうして、この光景を。
瑞貴は、いつも通りだと思ってしまったのか。
「おめでとう」
隣に立っていた茜が、瑞貴の耳元でささやく。
「望んだ世界が、ミズキの前に現れる。銀幕はもう、ミズキと世界を隔てない。その他だった立ち位置は、通行人くらいにはなるかもしれない。正直、想像以上だ。私は、すごく嬉しいよ」
「な、何を……? どうして……」
どうして、ここにいるのか。
どうして、瑞貴と同じ学校の制服を着ているのか。
どうして、耕太や綾香と親しく話しているのか。
全てが、瑞貴の理解の外だった。
この中でこの光景をおかしいと感じるのが自分一人である事が瑞貴の混乱を更に加速させていく。
「君の望んだ世界へようこそ、ミズキ。そしてありがとう。この時を、ずっと待ってたよ」
瑞貴の視界は、暗転する。
耕太と綾香の、慌てた声を遠くに感じながら。
瑞貴の意識は、そのまま暗い場所へと沈んでいった。
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