第6話 幕末の恋愛事情・若き日の西郷隆盛は恋に悩んだのか。vol1
台湾と西郷隆盛の関係
現在では国籍、人種、性別に制限されることなく、本人たちの意思でパートナーを決めることが基本的にはある程度許されるようになってきています。
それはごく最近になっての事のようです。
さて、突然ですが、台湾は親日だと言われる方も多いようです。異論を唱える方も多いでしょう。けれど、個人のレベルで言えば互いに親交や友情を深めた方も多かったように思います。
もし、今日紹介するお話が真実だとしたらと考えると感慨深いものがあります。
最近、ある動画を見て南海物語(加藤和子著)を知りました。西郷隆盛の若き日の恋物語です。動画の中で、南海物語を紹介されている方は西郷糸子さんの親戚筋だとか。以下、この方をW氏と呼ばせていただきます。
W氏は西郷隆盛の長男とされる西郷菊次郎さんが次郎というのは不自然ではないかというのです。ちなみに糸子さんとの間の男子は寅太郎、午二郎、酉三となっています。さすが、西郷さん、糸子さんに対する細やかで愛情ある心遣いが感じられる命名です。
W氏は西郷さんは20歳(あるいは数えの21歳)の頃、アヘンについて探索するためする琉球から台湾に行ったというのです。
W氏は敬天愛人19号も資料として参考し考察を深めていきます。
台湾の劉家の美女との間に生まれた息子(西郷どんにとっては長男)がいるために菊太郎ではなく菊次郎と名付けられたと考察するのです。
南海物語には家系図も載っています。
台湾で生まれたとされるご子孫は孫の代で途絶えたといいます。
W氏は動画の中で多くの付箋を貼った本を手にして西郷どんの知られざる一面を力説されていました。その背後には付箋が張られて本が多く並んでいるように見受けられました。
歴史研究家の皆さんは歴史上の重大な事件に関わった前後の心情については様々に考察されます。血族や縁戚の方の熱意はそれとは少し違うように思います。興味や探求のベクトルは違います。身内びいきということが真実から遠のく考察になる傾向があるようにも見受けられます。恥ずかしながら、私自身経験したことです。W氏は研究者は取り上げないような点も細かく考察しているように思えるのです。力説される様子を見ていて真実に迫ろうとする気迫に圧倒されてしまいました。
詳しくは南海物語、敬天愛人19号を御覧になってください。西郷隆盛と検索すれば動画も出て来ると思いますので、出来れば動画も見ていただければと思います。
台湾での西郷どんの恋が真実だとすればその後西郷どんの行動や成長していく様の説明がつくように思われます。
ただ、W氏の説の中で疑問に思ったこともあります。明治6年二の丸が火事になった日付が2通り伝わっているというのは違うような気がしています。明治6年12月7日は旧暦の10月18日に当たるようなのです。
いずれにしても征韓論に敗れて西郷どんが帰鹿した頃、二の丸が火事になったのは偶然ではなさそうです。新政府としては西郷隆盛と同時に藩士達に影響力のある島津家の力も削ぎたかったのではないでしょうか。W氏の指摘で当時二の丸が火事になったことは注目すべきことだと思うようになりました。明治政府にとって精神的シンボルとなりかねない天守閣や城はなくなってほしいものだったのではないでしょうか。西南戦争直後、熊本城から不審火が出た時も兵糧など持ち出していたので、政府軍が火をつけたという説もあります。
さて、台湾で西郷どんの恋が事実であれば、彼が女性の目を引く魅力的な人物であったと想像されるのです。西郷どんの実らぬ初恋、それは彼の人格形成に影響し、その後の言動を裏付ける要因になっていると思うのです。
それについては、いずれまた書きたいです。
W氏のお話をもっと伺いたいと思うのでした。
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