第5話 西郷どんの聖書・ラストサムライは聖書を読んでいた!
敬天愛人、西郷隆盛の書の代表作だと私は思っています。
「敬天愛人」フレーズが、イエスの教えそのもののように言われることがあります。
津本陽先生の「西郷隆盛」(全3巻)では、一家を支える下級武士として、動乱の時期を苦悩しながら生きた一人の男性の姿が垣間見えるような気がします。
津本陽先生が記した正確な史実を私が曲解している点は否めないと思いますが、鹿児島県民が尊敬する西郷隆盛は決して、完全無欠ではない人物のように思うのです。
取りあえず、私の隆盛像はいまだ判然としません。
せごどんの聖書が実在するという事は新聞にも取り上げられたようです。
「ラストサムライが聖書を読んでいた。」
事実であれば、ハリウッドもびっくりするでしょう。
西郷は欧米行きを切望していたとも言います。
クリスチャンであったかは別として、彼がキリスト教について分析しないはずはないと思うのです。
新聞で子孫の方のコメントも読ませていただきました。
子孫のコメント、子孫であるから研究者さえ知らない事実をご存知かもしれません。
話は変わりますが、先日,久々に兄と会食した時のことです。
父が牛肉嫌いだったという話題になった時、祖父が牧場をしていたから、牛肉が嫌いになったと兄はいうのです。
昭和18年、敗戦を予感した祖父は公職を退いて牧場を始めます。もともと農業に従事していたわけではないからか、牧場の経営は失敗に終わったようです。
私は父から、「学徒動員で兵隊さんのための牛肉の大和煮の缶詰工場で働かされ、毎日牛を食べさせられた。それも、缶詰できない頭の部分だった。」と聞かされていました。
父は2度と牛の臭いはかぎたくないとのことで、すき焼きをするときは、一人食卓に背を向けていました。母は父のために年に1、2度位しか牛肉を食卓にのせませんでした。
ちょっと、脱線しました。(笑)
子どもといえど、こんな風に伝わる話が違うのです。
口伝の信ぴょう性が低いのは当然かと思いました。
果たして、ラストサムライはクリスチャンだったのか?
何だか、ロマンを感じるテーマかもしれません。
ちなみにせごどんの聖書を所蔵している大学があるとか。
諸説あり、という事で、ひとまず筆をおきます。
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