第21話

【五年前Ⅲ】そして【三年前】

 結局、あの日わたしたちは観覧車にたどり着けなかった。

 理由はなんと、車のガス欠。

 いい調子で車を走らせていたわたしたちだったけど、出発から五十分を過ぎたあたりから、何となく車体がガタピシ言いはじめた。そして海沿いの国道の途中で、ついに動かなくなってしまったのだった。幸いにも路肩が広くて、渋滞や二次災害を引き起こすような場所ではなかったけど、自分たちでは、にっちもさっちもいかない状態におちいった。

 わたしはガードレールの外側に避難して、道端に座り込んだ。熱にあぶられたアスファルトのひび割れから雑草がはみ出していて、草いきれを嗅いだように感じた。潮の香りがそれと混じる。波の音が間近に聞こえた。隣では母さんが、スマホでロードサービスに連絡をしていた。

 修平さんも母さんも対応に大わらわで大変なのはわかっていたけど、(今思うと申し訳ないながら)小学生のわたしにとっては、心密かにワクワクする、エキサイティングな経験でもあった。それまで聞いたこともなかった単語を耳にしたのも新鮮だった。ハザードランプとか、発炎筒とか、停止表示器材とか。普段ならまず人が立つことのないだろう車道の中ほどに修平さんが走っていき、赤い筒から火花と白煙が噴き出している光景は、非日常感が半端じゃなかった。

 自動車から少し離れて(追突されても巻き添えにならない位置で)みんなで、ロードサービスがやってくるのを待った。折あしく大忙しの日だったそうで、電話を変わった修平さんが必死になってスマホに頭を下げても、救援はなかなか来なかった。

 修平さんはすっかり恐縮し、しょげかえってしまった。わたしと母さんはこっそりと、(人が悪い顔つきで)ニヤニヤ笑い合った。それから三人でコンクリートの護岸に腰かけて、お弁当を食べた。唐揚げが、いつも以上においしく感じられた。

 太陽に焼かれたガードレールにうっかり触ったときは熱かったけど、テトラポッドの向こうにのぞく夏の海を眺めて、わたし的には充分満足だった。

 肝心なところが抜けてるのよね、修平くんは、と母さんの口元はゆるんでいた。その久しぶりの笑顔に、わたしも嬉しくなった。

 

□□□

 夏休みのうちに、修平さんとわたしたちはドライブのリベンジを果たし、それから修平さんは、たびたび我が家をおとずれるようになった。母さんと三人でお茶をすることもあったし、母さんが仕事中のときは、修平さんとわたしだけでおしゃべりをして過ごすこともあった。

 修平さんと話をするのは、楽しかった。

 彼はヘンなことに詳しく、美味しい奈良漬のつけ方とか、紙飛行機の滞空時間を最大にする方法とか、葛城かつらぎ磐媛いわひめが仁徳天皇の浮気を絶対許さなかったエピソードなどを教えてくれた。でも、わたしが一番、興味を惹かれたのは、本の話だった。

 特にミステリの大まかな歴史と、サブ・ジャンルと、様々な名探偵の肖像を聞いてからは、わたしの愉しみは、霧とガス灯のロンドンとか殺人鬼の跋扈するニューヨークを、物語の登場人物になりきって渉猟することになった。

 色んな話の合間に、修平さんは、父さんの思い出をぽつぽつと語ってくれた。

 三人は同じサークルに所属していて、学童保育みたいに子どもたちと遊んだり、勉強を教えたりするところの指導員をしていたという。それまであまり聞いたことのなかった学生時代の父さんや母さんの思い出話は、少し気恥ずかしかったけど、なんだかキラキラしていて、わたしはエラそうに、青春だねぇ、などと言って修平さんの苦笑を誘った。

 一度、好奇心で尋ねたことがあった。

「ねえ、お母さんや修平さんたちって、あれじゃなかったの? なんだっけ、サンカクカンケイ?」

 いま思い返すと、冷や汗が出るくらい恥ずかしい。けど当時は「サンカクカンケイ」が、マンガで仕入れたばかりのニュー・ワーズだったのだ。それにそこには、すでに彼をひとりの異性として意識した気持ちが、混じっていたと思う。

 修平さんは、一瞬、虚を突かれたようになった。ずっと彼のことを見続けていて、ちょっとした動揺や心の動きを感じられるように、わたしはなっていた。少なくとも、そう、うぬぼれていた。

 ほんのわずかな逡巡のあと、彼はムズカシイ言葉を知ってるね、と答えた。でも、はぐらかしたわけではない。

「残念ながら、そんな素敵な間柄じゃなかったな、ぼくたちは。そうだねえ……同志、みたいなものだったなあ」

「どうしって?」

「仲間ってことだよ」

 ふうん、とわたしは、したり顔で返事をしたけども、実のところよく理解できていなかった。そのときはまだ、自分の感情に名前をつけていなかったので、わたしもその「仲間」にいたかったな、と感じただけだった。四人組になったわたしたちを想像して、勝手に胸をさわがせていたのだ。

  

□□□

 二年後、中学生になったわたしを狂喜させる事件が起こった。離れた町に住んでいた修平さんが、わたしの町に引っ越してくることになったのだ。

 正確には一人暮らしをしていた修平さんが、実家に戻ったのだ。彼のお母さんが心臓を悪くして、お父さんも亡くなっていたので、一人息子の修平さんが一緒に住むことになったのだという。


 本当のところは、分からないけど。


 事件といえばもうひとつ。

 わたしの周りの壁にひびを入れ破壊しつくしてくれた栄子とはその後、足かけ三年間クラスメイトとなった。父さんの死によって、いったん壊れてしまったわたしの世界は、さまざまな人たちの手によって、少しずつ、少しずつ、回復していった。

 もちろんそれは、元と同じ形ではない。父さんはおらず、修平さんは父さんの代わりではない。失ったものが何一つ戻ったわけでもない。けれどもわたしは、生きていくことに、当り前の日常に、幸せを感じることが出来るようになっていった。

 そしてそれが続くと、信じていた。

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