第20話
【22:42】
車内はエアコンが効いていたけれど、わたしは言い様のない息苦しさを感じていた。それは、先ほどのドクターの言葉を、胸のうちで反芻していたからだった。
わたしが自分で投降した。
このまったく身に覚えのない事実がもたらすものは、何だろう。こんがらがった事態を把握しようと、普段使わない頭を使って自分なりに整理をこころみる。フロントガラスをにらみつけた。
ひとつめ。
世界には〈反在者〉が存在する。如月メイは〈反在者〉であり、未来視能力を持つ。これは如月メイとドクター・ナカタニの証言があり、確かなことのように思える。まあ、二人が共通の妄想を抱いていなければの話だが。
ふたつめ。
わたしもまた〈反在者〉である。ただし能力がどんなものなのか、自分では分からない(リーディングって何?)。コントロールも出来ない。
みっつめ。
わたしの記憶には欠落している部分がある。それが〈反在者〉だからなのかは、よく分かっていない。
よっつめ。
わたしは誰かに、命を狙われているようだ。一度目は病院で、二度目はしのはらさんのいた家で、襲撃された。わたしを追いかけているのが何者なのか、これまた謎だった。
わたしは四つの点をもう一度繰り返してみたが、収穫はなかった。特にみっつめと、よっつめが難問に思えた。みっつめの話はさっき聞いた。ではよっつめは? ドクターなら、何か知っているだろうか。
「あの、ナカタニ先生。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「何?」
「病院であった、発砲事件のことなんですけど」
「そ、それについては、ぼ、ぼくにも詳しいことは分かっていない。ナースがひとり撃たれて重体らしい」
「犯人は捕まったんでしょうか?」
さあね、とドクターは気のない返事をした。
その口調には覚えがあった。母さんに、人気のYouTuberについて説明したときの手応えのなさと一緒だ。どうやらドクターは、自分たちのことーー自分と如月メイのことーー以外には、呆れるくらい興味がないのだと確信する。だが、それだけ如月メイのことを想っている、と単純に言ってしまってよいのだろうか。
良いとは言い切れなかった。
なぜなら彼女は、如月メイに暴力を振るうからだ。それは、絶対に、絶対に、許されることじゃない。でも少なくともこの人は如月メイを必要としているようだし、如月メイも(たぶん)ドクターを必要としている。少なくとも忌避しているようには見えない。悩ましいが、そこは事実に思えた。
わたしはふたりの少しめんどくさい関係を思った。そしてわたしには居場所もなく、思ってくれる人も誰もいないのだと考えて、すうっ、と身体から血が引いていくような、冷たい感覚を味わった。
『死ぬ時はひとりぼっちだ。 』
ところがわたしときたら、生きている今もひとりぼっちなのだった。
ザザッ、と無線が音を立てた。ひび割れた声が、車内に流れた。
ドクターが鼻を鳴らした。
「ど、どうやら、警備部は、い、異変に気づいたみたいだ」
「見つかったんですか」
わたしは身を固くした。
「こんなに堂々と走っていて、大丈夫なんですか」
「こちらの、い、意図に気づくには、ま、まだ時間があると思う」
本当にそんなにうまくいくのだろうか。わたしは不安になる。駄目もとで、スマホを持っているか尋ねた。持っているが、使えないし、使うつもりもない、という答えだった。
「か、かわいそうだけど、外部と連絡をさせるわけにはいかない。ぼ、ぼくたちの位置を知られてしまう恐れがあるし、それに……」
誰も信用しない方がいい、とつけ加えた。
誰も信用しない方がいい。
どういう意味か聞いても、ドクターは反応しなかった。わたしは胸の奥に、群雲のように疑惑が湧きあがってくるのを感じた。誰も信用しない方がいい。
そう、わたし自身が、組織にコンタクトを取った記憶がないとすれば、誰かがわたしをかたって通報したということもあり得る。それならば自分に覚えがないことにも説明がつく。わたしはそこで、一つの可能性に行き当たり、胸が悪くなった。
通報したのは、ひょっとしたら、わたしの身近な人間なのかもしれない。例えばーー母さんとか。
わたしは頭を振って、忌わしい想念をはらった。自分がどんどん汚れていくような、不快感があった。
自動車は住宅地の端っこ、町の北縁をしばらく走ってから途中で右折した。道がゆるい上りとなった。前方では、雨の紗幕ごしに森の陰影が濃くなってきたようだった。
そこは舗装路が、いきなりフェンスに行き当たる場所だった。ドクターは車を停め、サイドブレーキを引いた。
ドアポケットからドクターが取り出した物を見て、ぎょっとなった。さっき回収した拳銃だった。彼女は、銃身(?)の後ろの部分をぐいっと引っ張った。部品は後方にスライドして、カチリ、と重たげな金属音をさせた。見てる方がちょっと不安になるような、おぼつかなげな手つきだ。彼女はそれを慎重に握ると、中で待っていて、と言った。
エンジンとヘッドライトはそのままに、外に出る。
フェンスのその場所は、町の外へと出入りできる扉になっているようだったが、フェンス扉には鎖が巻かれ南京錠がぶら下がっていた。ドクターが近づいていって、少しへっぴり腰で両手で拳銃を構えた。錠前に向かって発砲した。銃声は、意外なほど甲高く短かい。
弾けた鎖を取り除くと、フェンス扉が手前に開いた。行く手の森が、巨大な口を開けて獲物を待ち構えているように思えた。得体の知れない怪物の獰猛なあぎとのように。
ドクターが戻って来て、不吉な口調で呟く。
「か、風が出てきた」
□□□
目的地には、すぐに到着した。
周囲の木が切りはらわれ、ぽっかりと開けた地所に小さな建物がある。建物は、むき出しのコンクリートで出来た四角い箱みたいな造りで、動物園の檻のような背の高い金網に囲まれていた。前面に、上方の常夜灯に照らされた頑丈そうな鉄の扉が見える。
車を徐行させて近づいたドクターは、建物の前で自動車をUターンさせて、すぐにその場を離脱できるように車を停めた。
エンジンを切ると、とたんに辺りは、嵐の音だけの世界に変わった。雨と風と梢が騒ぐ音だけの世界。建物の周りに人の気配はない。そんなに離れていないはずだけど、住宅の灯りは見えないし、生活音も聞こえない。深い樹海に迷い込んだ自分を、わたしは想像した。
まるで息をひそめる動物のように、わたしたちは夜の底にうずくまった。
雨脚は次第に強くなっているようだった。大きな雨粒がフロントガラスに弾けて、流れ落ちる。不快指数が、うなぎのぼりに上がっている。
数分間、じっとしていた。誰も、わたしたちを捕まえに飛び出してこないことを確認するためだった。車の存在がバレているならば、あっという間に囲まれているはずだった。こちらが行動を起こすのを待つ必要などない。少なくとも警備部は武装していて、圧倒的に有利なのだから。
ドクター・ナカタニが、かすれた声でしゃべりだす。
「こ、これから、あそこに行こうと思う」
建物を指差して、わたしに説明する。
「あ、あれはこの町の電力供給施設だ。あれを壊すことができれば、ぼ、ぼくたちはず、ずっと脱出しやすくなるーーと思う」
町ごと停電させて、〈敵〉を混乱させるつもりらしい。結構、豪快な作戦に思えた。とはいえどのみち、わたしに他のプランがあるわけではない。ドクターの思惑にしたがう他に道はなかった。
「つ、通常はあの施設が破壊されても、よ、予備の自家発電設備があるんだ。だけど、そ、そっちはもう、ぼ、ぼくが手を打っておいた。す、少なくとも明日までは復旧し、しないだろう」
少し得意そうにドクターが鼻をうごめかす。つまり、破壊済みということだろう。
「い、今の時間は誰もいないはずだけど、ね、念のため君たちも来るんだ」
そうは言ったものの、如月メイは熟睡中だった。ドクターは彼女をゆすったけど、如月メイはにゃむにゃむと意味不明な呟きを洩らしただけで、まったく目を覚ます気配がない。仔猫のように身体を丸めて目を瞑っている。人形みたいに整ったかんばせに、さらさらとした髪がかかって、痛々しい傷を覆っていた。思わずドクターのように頬に手を伸ばしかけてわたしは、ふいにどこかで読んだ詩が浮かんだ。
『恋という字と
猫と言う字を
入れ替えてみよう
「あの月夜に
トタン屋根の上の一匹の恋を見つけてから
ぼくはすっかり
あなたに猫してしまった」 』
結局、ドクターはわたしにだけ、ついてくるように促した。もう一丁の拳銃を、わたしに寄越す。その禍々しい重みは、わたしの顔をひきつらせた。
「あ、安全装置もかけてあるし、じゅ、銃弾は出ないはずだよ」
「……」
「そ、それはあくまで、い、威嚇用の飾りだ」
わたしがこれを振りかざしても、脅威に見えるとは思えなかった。だけど、一生懸命に説明するドクター・ナカタニの手が震えているのを目にして、わたしは黙って従うことにする。こんな荒事にドクターだって馴れているわけじゃないのだ。内心では怯え、不安でしょうがないと思う。それでも彼女は、道を切り開こうとしている。
目の前の建物に行くだけなのにドクターは、心の底から名残惜しそうに後部座席の如月メイを眺めた。視線を引き剥がすように、運転席のドアを開けて、雨の中に出た。わたしも後に続く。打ちつける雨が、行く手をけぶらせていた。
わたしたちは、葬列のように押し黙って進んだ。ドクターが先行し、わたしが後につく。こんなとき、海外の刑事ドラマみたく拳銃を構えて進むべきかしら、とまったくもって緊張感のない感想が頭の隅を横切った。銃を構え、言ってみたいセリフがないではない。「FBIだ!!」。実際は、落とさないようにだけ注意して、両手でグリップを握りしめていた。
金網に接近すると、ここのフェンスの入り口にも、頑丈そうな南京錠がぶら下がっていた。ドクターはまずそこに一発放った。南京錠が吹き飛んだ。曰く言いがたい独特な臭いが、鼻をかすめた。これが硝煙の臭いというやつだろうか。フェンスを開け、手振りでついて来いと促された。
無機質なコンクリートで覆われている建物は、納骨堂のようだった。入口の扉の上で、常夜灯の光がにじんでいた。わたしはドクターの指示で、壁にぴたり、と身体を張りつかせた。自分が映画の一場面に入り込んだようだった。あるいはコントの一場面か。いずれにせよ、やはり現実感がわいてこなかった。
ドクターが、念のためとばかりに、鉄製の扉をノックする。しばらく待ったが、中からの反応はなかった。ノブを捻ったが、当然鍵がかかっている。
ドクターはノブの辺りに銃口を向けると、二発、立て続けに発砲した。金属音がして、ドアに穴が二つ空いた。今度は抵抗なく、鉄扉が開いた。
建物の中は、明かりもなく暗かった。そこかしこに、ぽつぽつと赤や緑のランプが、ぼんやりとした光を放っている。ドクターが電灯のスイッチを探り当てた。瞬いてから、照明がともった。
壁には一面にグレーの機械類が並び、そこにはわたしにはさっぱり見当もつかない、モニタやボタンがついていた。
ドクターは部屋をひとわたり見渡して、狙いを定めたようだった。一番奥の機械に向かうと、躊躇なく引き金を引いた。
また轟音。機械から火花が散った。
ばちん、と何かが爆ぜる音がして、照明が落ちた。ブラックアウト。
「こ、これでこの町は全部、て、停電になった。セ、センサーもし、死んだ」
目隠しされたような暗闇の中で、ドクターが注釈する。
わたしたちは建物を抜け出すと、車に戻った。
やって来た町の方角を見やると、町全体が黒く、ねっとりとした闇に包まれていた。心の奥底の、本能的な何かをざわつかせるぬばたまの闇。
だけど本当の闇は、もっと身近に口を開けていた。
後部座席から、如月メイが消えていた。
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