第18話

【22:26】

『巷に雨の降るごとく

 わが心にも涙降る。

 かくも心ににじみ入る

 このかなしみは何やらん?』

 

 自動車が、暗闇の町を滑って行く。

 サイドウィンドウをうねうねと斜めに横切る雨滴でわたしは、この有名な詩を思い浮かべた。そして第四節のこんなフレーズも。

 

『ゆえしれぬかなしみぞ

 げにこよなくも堪えがたし。

 恋もなく恨みのなきに

 わが心かくもかなし。』

 

 確かに一番の苦痛は、理由がわからないことかもしれない。原因のわからない心のモヤモヤほど、苦しいものはない。

 だけど本当のところ、恋や恨みにだって、明確な理由があるわけじゃないんだ。どうして、そうなってしまったのか。どうして、そうじゃなきゃいけないのか。ことの成りゆきや自分の心を、はっきりととらえている人なんて、いるのだろうか。

 

 どうしてお父さんは死んでしまったのか。

 どうしてわたしは修平さんに恋してしまったのか。

 どうしてわたしは〈反在者〉なのか。

 

 無数の「どうして」に答えが出ることは、きっとこの先もないだろう。

 とはいえ、ここら辺はもう少し考えてもよかったんじゃないだろうか。なぜかわたしは助手席に座るはめになり、横目でドクターを見ながら、勘弁してほしいなあ、と胸の内でつぶやいた。それもこれも、如月メイがさっさと後部座席に陣どってしまい、おまけに、ころん、と子どもみたく横になってしまったからだった。仔猫かよ。仕方なくわたしは、助手席についたのだった。

 何を喋っていいのか分からなかった。状況的に、一応助けられたみたいだったし、とりあえずお礼を言うところから始めたほうがいいのかな、とわたしは考えをめぐらせる。

 ドクター・ナカタニは前方を睨みつけている。車は、町を縫うように走っていた。素っ気ない言葉で、町の北西部を目指しているとだけ教えられていた。ダッシュボード脇のデジタル時計が、二十二時二十六分を表示している。

 なんとなく居心地が悪く、その場でもぞもぞと座りなおした。正直なところ、わたしにとっては兵士たちもこのドクターも、さしたる違いはないような気がしていた。わたしをどうしようとしているのか、どこへ連れて行こうとしているのか分からない、という点ではどちらも同じだったからだ。

 それにあの兵士たち。彼らはどうなってしまったのだろう。わたしは思いきって、口を開いた。

「あの……あの兵隊さんたち、死んじゃったんですか?」

「つ、使ったのは、即効性の麻酔だ。〈反在者〉を回収するとき、つ、使うやつ。だから、だ、大丈夫だとお、思う。きみはーーう、浦沢遠子さんだね」

 ドクターが前を向いたまま、答えた。

「わたしを知ってるんですか?」

 ドクターはかすかに、うなずいた。

「き、昨日の夜、病院に来た子だろう」

 まるで、自分の意思で受診しに来たような口ぶりが不満だった。そもそも、どうしてこんなところに来ることになったのか、わたしには自分でも分かっていないのだ。わたしの記憶は、あのお屋敷で止まったままだったからだ。

「あの……ナカタニーー先生、ここは、その、一体、どういう町なんですか? なんでわたしたちのことを、みんな追いかけまわすんです?」

「き、きみ、能力のコントロールは?」

「は?」

「力だよ、ち、力。記録では最速0.14時間で、最初の発現がか、確認されている。きみの場合はそれを上回るペースだったらしいね。は、〈反在者〉なんだろ?」

 如月メイ以外の第三者から、〈反在者〉という言葉を聞くのは、これが初めてだった。ドクターの言葉に、わたしは撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。少なくとも、わたしの中で、如月メイの話の信憑性が高まったのは間違いなかった。そうーー。

 如月メイの話は、すべて本当のことだったんだ。

 ふいにーー何かが胸を突き上げた。わたしは叫んでいた。

「そんなの……そんなの、知りません。わたしはただのジョシコーセーです。〈反在者〉なんて知らない。わたしを家に帰して!」

 あまりの剣幕に、ドクターは、びくり、と肩を上げ、わたしに視線をくれた。わたしは急に身体が重たくなったように、シートに沈み込んだ。自分の情緒は今日、ジェットコースター並みに乱高下していると思った。

 ぐるぐると思考が同じところを回っていた。如月メイ。ドクター・ナカタニ。病院。武装した兵士たち。とてもわたしの日常と地続きとは思えない世界。

 額に手を当てた。恐ろしい瞬間が、自分に訪れていることを感じていた。

 いい加減、認めなければならないのかも知れなかった。如月メイも言っていた。「このせかいをうけいれなければならない」と。


 わたしは〈反在者〉なんだ。


 わたしはーー帰る場所をなくしてしまったのだ。

 ふしぎと、涙はわきあがってこなかった。むしろ、ああ、やっぱりそうだったんだ、という諦めに似た気持ちがあった。

「き、きみは、な、何にも覚えていないの?」

 わたしはぼんやりと、運転席に目をやった。

「まったく? 自分がどうやって病院にやって来たのか、分からない?」

 わたしが肯定の意味で答えないでいると、ドクターは、ううん、と唸った。

「……じ、実に興味深い」

 ドクターが片手で、眼鏡の位置を直した。

「きみの身に、お、起こったことを、ぼ、ぼくに話してみて。ーーじゅ、順番に」

 わたしは、病院で目を覚ますまでの出来事をドクターに話した。あの廃屋で突然、意識を失ったこと。気がついたら、もう病院のベッドの上だったこと。

 わたしが話し終わると、ドクターは少し口籠り、思い直したように喋り始めた。

「う、浦沢遠子さん、きみのことは、スタッフのあいだでも、話題に、の、のぼっていたんだ……。ひ、非常に、レアなケースとして。か、過去の〈反在者〉の事案に対して、きみのケースで不可解なのはね、きみが、じ、自分で組織に接触してきたという点なんだ」

 一瞬、何を言われているのか飲み込めなかった。

 ーーわたしが、自分から組織に接触した?

「そ、そもそも、きみは、ど、どうやって、そ、組織が〈反在者〉を捕まえているのか想像がつくかい?」

 突然の質問に、わたしは口を噤んだ。

 どうやって〈反在者〉を捕まえるのか。

 それは、わたしも一度、疑問に思ったことだった。ランダムにこの世界に生み落とされる〈反在者〉。それを組織とやらは、どうやって捕捉しているのか。

「は、〈反在者〉の回収は、じ、実に簡単な理屈だ。我々はすでにその手段を手にしている。つ、つ、つまり、〈反在者〉に〈反在者〉の発生を予知させればいいんだよ」

 わたしは、頭の中のもやもやした霧が、ゆっくりと晴れていくのを感じた。

 〈反在者〉に〈反在者〉の発生を予知させる。

 もし〈反在者〉の能力が、ある程度コントロール出来るものとすれば、確かにそれはあり得ることだった。

「組織には、レ、レベル5以上のアクセス権限で利用できる、〈予言機関〉がある。今夜、きみたちがどこに現れるのか、ぼ、ぼくが知ることが出来たのも、そのお、お陰だ。き、きみたちの追跡にはまだ、公式には〈予言機関〉の発動は、認められていない。ぼくはご、極秘にアクセスして〈予言機関〉を不正使用したんだ」

 ドクターによれば〈予言機関〉は、六人の〈反在者〉から成る合同体である。人や時期や場所などを〈限定〉した上で〈反在者〉が予知をする。そしてそれを予言としてまとめるのだと言う。組織には、予言を記録した〈未来視アーカイヴ〉も存在するらしい。もっとも予知は、必ず成功するとは限らない。未来は当然ながら未確定であって、ラプラスの悪魔でもない人間が、すべてを知ることはできない。

 わたしは、ドクターの話に眩暈をおぼえた。何だか以前に、そんなSF小説を読んだ覚えがあった。フィリップ・K・ディックだかの。

 〈反在者〉ーーこの世にいてはならぬ者。不可思議な力を持ち、権力に奉仕する、あるいは、させられている存在。巨大な歯車の一部。そして何より重要なことは、わたしも、その一員なのだということだった。

 途方もなく、孤独だった。

 わたしは母さんや修平さんと、自分とを隔てている溝を思った。二十億光年ほども開いていて、埋めようもない空漠を。『(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)』。わたしは〈こちら側〉の存在で、修平さんたちは〈あちら側〉の存在なのだった。

 ドクターの話は、続いた。

「ぼ、ぼくの知っている限り、きみのケースも当然、よ、予知されていた。予言に従ってエージェントが、〈発生ポイント〉へと向かったんだ。で、でもきみはそこで、て、抵抗した」

「抵抗?」

「ぐ、具体的にどういう経緯だったのかは、し、知らないけれど、エージェントがぶ、武器を奪われ、一度はきみの逃走をゆ、許したらしい」

 ドクターの話を吟味した。まったく記憶にない出来事だった。わたしは逃亡し、その後、自分からすすんで出頭して来たのだという。ひとつとして身に覚えのないことばかりで、自分の記憶の欠落が不気味だった。記憶喪失と〈反在者〉であることは、何か関係があるのだろうか。わたしはドクターに尋ねてみた。

「そ、それはよく分からないな。い、一般に〈反在者〉の出現時には、〈異化〉と呼ばれる、二つの心的現象があるとさ、されている。感覚の鋭敏化と虚無感だ。き、記憶の欠落というのは、聞いたことがな、ない」

 この世界に生み落とされた〈反在者〉は、ほぼ例外なく、二つの現象を体験する。反対に二つの現象が、〈反在者〉かどうかを決定する目印になっている。

「き、きみを取り逃がした組織は、慌てて追跡チームを作って放った。で、でもこの事案はあ、あっという間に終息する。き、きみはどうやら〈リーディング能力者〉だったみたいだね」

「りーでぃんぐ能力?」

「ぶ、物質から〈記憶〉をよ、読み取る感応力のことだよ。サ、サイコメトリーとも言う」

 ドクターも専門外なので上手く説明できないようだったがそれは、物体や土地に染みついた〈残留思念〉に感応する能力ということだった。ただの物体ーー石やペンや服などーーにはむろん記憶を司る器官などはない。が、それを扱った生物の〈記憶の残滓〉が残る、という理屈らしい。サイコメトリーという単語は、幸いにも聞いたことある言葉だった。

「あの、それって確か、マンガや小説にたまに出てくる超能力ですよね? その能力で、どうやって相手をやっつけたんですか?」

 質問しながら、胸の中でちょっとだけ自分を滑稽に思う。わたしの知識の摂取元と参照先は、つくづく物語なのだった。

「フィ、フィクションの設定は知らないけどーー」

 ドクター・ナカタニは、丁寧に答えてくれた。

 能力により〈反在者〉は、通常人には及びもつかない情報の受容をするという。便宜的に〈記憶を読み取る〉と表現されてはいるが、どのように、あるいはどれくらいの〈情報〉を受容できるかは、〈反在者〉の資質によるらしい。

 たとえば、断片的なヴィジョンを垣間見る者がいる。これなどは、マンガに描かれていたのに近いだろう。だが別のケースだと、ある土地の歴史的変遷を、まるでその時代時代に入り込んだように追体験する場合もあるようだ。「追体験」というのが重要で、つまり視覚情報だけでなく、音や匂いなども感じるらしい。ただしその〈反在者〉は、オーバーフローしてーー人間がいちどきに受容できる情報量の限度を超えてーーしまい、そのあと卒倒したという。

 また別のケースもある。ある種の道具や機械に残った思念を読んで、その道具の使用法を会得できることがあるらしい。この場合の〈記憶〉とは、道具を使った人間の視た光景などでなく、道具をどうやって操作するのかという身体の使い方のことだ。

 おかしなものだ。わたしの〈反在者〉としての能力は〈記憶を読む能力〉らしいのに、わたし自身に、自分がどんな力に目覚め、それをどのように使用して組織のエージェントとやらを撃退したのかという記憶がいっさいないのだ。

「いずれにせよ、き、きみのリーディング能力は、か、かなり強力だったと思う。おそらくは〈エージェント本人〉から、組織や〈反在者〉についての情報を感得したんだと思う。ほ、ほとんど読心術みたいなものだ。さ、さらに、エージェントの武器から、その使用法を感得することもできたーー」

 ……よくわからないけど、わたしってスゴくない?

 もっとも、自分がやったであろうことをドクターに解説してもらうというのも、妙な話であるが。

「置かれた状況を理解したきみは、じ、自分から組織にせ、接触を図って来た。に、逃げきることが出来ないと、分かってたみたいだったらしい。ぼ、ぼくはそう聞いている」

 ドクターがそう締めくくった。

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