第17話

【22:03】

 わたしたちは車の後部座席に押し込められた。如月メイは運転席の後ろ、わたしは助手席の後ろに入れられた。二人とも、両方の手首に身震いするような手錠をはめられ、後ろ手に縛められている。手錠は重たく、当然、自力で外すことはかなわない。

 手錠の金属の冷たさのせいではないだろうけど、濡れて貼りついたTシャツまでが、寒気をもよおすように感じられた。拘束された以外は取り立てて手荒ではなかったけど、丁重とも言いかねる扱いだった。助手席の男が今も、油断なくわたしたちに銃口を向けている。剣呑な鉄塊は、わたしたちが抵抗したり逃げ出そうとすれば、容赦なく火を噴くと想像できた。

 男たちが何を考えているのか、わたしたちをどうしようとしているのか、全く分からない。説明も一切なかった。わたしは半ば、男たちが機械で出来ているように感じ始めていた。一世紀前のSF映画めいて。

 車は一直線に、町の西側を目指していた。サイドウィンドウから目をそらす。わたしたちが必死に歩いた数時間が、あっという間に帳消しにされていくのは、やり切れなかった。

 如月メイは、前方を睨みつけるようにして唇を引き結んでいる。わたしの方は、無力感と疲労でシートにだらしなくもたれていた。

 どこに連れて行かれるのだろう。またあの病院だろうか。不安が、じわりじわりとわき上がってくる。

 わたしは自分がこんな扱いをされるほど大それた存在だとは、どうしても思えなかった。わたしは十五歳で、とりえもなく、将来のことなんて何も分からず、日々が流れているのをやり過ごしているだけの、ごく普通の女の子なのだった。そこにあるのは漠然とした不安だけで、マンガやゲームに出てくるような胸躍る体験も、ドキドキするような冒険もない、はずだった。

 わたしは母のことを思った。胸のうちがあたたかくなると同時に、何となくやるせなく、もどかしさが募った。

 わたしは修平さんのことを思った。優しく気弱な笑顔を、少し猫背の姿勢を思った。修平さんに会いたかった。わたしのことを好きになってくれなくてもいい、ただ、ここにいてくれて、心細いわたしを抱きしめてほしかった。

 車が急停止したのは、そんならちもない思考の真っ最中だった。

 運転席の男が、忌々しげに舌打ちをした。ワイパー越しに、ヘッドライトに照らされて、行く手に人影が立ちふさがっている。車道の真ん中だ。降りしきる雨が、銀の筋となって光芒の中に浮かび上がっていた。

 助手席の男が、銃を引っつかみ車外へ出た。開けっ放しのフロントドアから、水滴が後部座席まで吹き込んできた。

「誰かっ!?」

 男が誰何する。

 シルエットが、両手を上にあげて近づいてきた。片方の手には、ネームプレートらしきものをかかげ持っている。

 隣で如月メイが、息をのんだ。影が口を開いた。少し震えたかん高い声が、ボソボソと聞こえてくる。

「ぼ、ぼくはナカタニ・シノブ。ドクター・ナカタニだ。IDナンバー6072……」

 影が名乗る。わたしはつい隣の、如月メイを見やった。心なしか、人形めいた彼女の表情が波うっている気がした。それが歓びなのか、畏れなのかまでは、わからなかったけど。

 わたしは、フロントガラスに目を凝らす。

 ドクター中谷?

 これがーー如月メイの想い人?

「い、院長の指示で、そ、そこの二人を回収に来た」

 影は、少しずつ近寄りながら話し続ける。

「ドクター・トクナガの指示だと?」

「そ、そうだーー」

 兵士が振り向いて、運転席の男のほうを見た。きっとこちらのほうが上官なのだろう。シルエットで表情は読み取れないが、伺いを立てるような素振りだった。

 運転席の男も、どう対処するか迷っているようだ。

 ち、とまた舌打ちを繰り返すと、後ろを振り向いて、わたしたちに「動くな」と警告した。ドアを開ける。

 ドクター中谷の表情がヘッドライトに浮かび上がるが、車内灯が点いているので、いまいちよく見えない。ぎこちないほほ笑みを浮かべているように思える。

「ドクター。わたしたちは本部から何の連絡も受けていません。今すぐに確認するので、そこでお待ちください」

「そ、そんなに警戒しなくてもいいよ。ぼ、ぼくを一緒に乗せてくれれば、いいだけだから」

 ご苦労さま、と言いながら、ドクター中谷がさらに近づく。するとふいに、足元が滑ったみたくよろけた。助手席の男に、ヒョイと手を差し出した。男は何気なく支えようと、その手をとった。男の動きが固まる。手をほどこうとした男を、ドクターが離さない。その間、二秒弱。するとーーどうしたことだろう、握手をした男の膝が、ふいにくずおれた。

「おい、どうした?」

 上官が、慌てて手を差し伸べる。ドクターも、助手席の男を支えるようにかがみ込んだ。何がどうなっているのか、わたしたちの位置からはよく見えない。わたしはシートから身を乗り出した。ヘッドレストの間からのぞこうとする。が、後ろ手の拘束がわざわいして上手く見ることができない。

 ちょうど上官が、倒れた男の顔をのぞきこんでいるところだった。ドクターの腕がまた動いた。しゃがんだ上官のうなじを、ぴしゃり、と平手でたたいた。男がドクターを振り向く。

「貴様ーー」

 男の手が腰のホルスターに伸びる。だが拳銃を掴む前に、男は前のめりに倒れ込んだ。

 二人の男の様子を確認してから、ドクター中谷が立ち上がった。車に駆け寄ってきて、後部座席のドアを開ける。

「メイーー。如月メイーー」

 ドクターが、上ずった声で呼びかける。

「どくたー」

 如月メイの答えは、いつものように抑揚がない。

 ドクター中谷は、想像していたよりもずっと若く見えた。頬にかかるくらいの髪で、神経質そうだが、整った顔立ちをしている。漠然と、イヤラシそうな中年医師を想像していたから、少し驚いた。シャープなデザインの銀色の縁の眼鏡をかけていて、ブルーのストライプのシャツに、白衣をはおっていた。

 如月メイの、あの傷を見せられていなければ、暴力を振るう人間にはとても見えなかった。

 そして何より驚いたのが、ドクターが女性だったことだ。

 平たい胸をしているが、間違いない。如月メイの想い人は、この少年じみた、一人称が「ぼく」のドクターなのだ。

 ドクターの手が如月メイの顔に伸び、その指先が彼女の頬に触れた途端、電気が走ったように、ぱっと引っ込んだ。如月メイはされるがままに、黙っていた。ドクターは口を開きかけて、わたしたちの手錠に気づいた。

 男たちの元へと戻り、ぐったりと横たわっている男たちを、いささか心もとない腰つきで、道路の脇へ寄せる。二人の身体をあらためてから、再び車へ取って返した。小さな鍵でわたしたちの縛めを解いた。

 わずかな間だったとはいえ繋がれていた両手が自由になり、わたしは何とも言えない開放感を味わった。

 前にまわり、運転席に乗り込むと、ドクターは後部座席を振り返った。

「こ、これを持っておくんだ」

 如月メイも受け取ったので、反射的にわたしも受け取ったけど、内心、ぎょっとなった。それは、兵士たちから奪った拳銃だった。映画なんかで、ヒーローやヒロインが軽々と振り回しているから、オモチャめいた感覚があったのだが、実物は、想像していたよりもずっと重かった。黒く鈍く輝くそれは、ひどく恐ろしげにわたしの目に映った。

 同じく奪った無線通信のヘッドセットを、ドクターが耳にかける。ドアを閉め、ハンドルを握った。

「い、行こう。町から出るんだ」

 車が、ゆっくりと動き出した。

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