第14話

【六年前】

 父さんのお葬式は、とても寒い日におこなわれた。

 二月の最初の月曜日のことで、毎週の体育の授業が憂鬱だったわたしは、ちょっとだけ喜んでしまった。そしてそのことに罪悪感を感じたことを、今でも覚えている。大きくなってから聞いた話だと、シベリアから記録的な寒波がやってきて、町じゅうが、すっぽり冷凍庫に入ったみたいな冬だったそうだ。

 わたしには、そこまではっきりした記憶はないけども、何度も何度もお辞儀をしながら、耳がちぎれそうなくらい痛かったこと、参列者のはく息が全部白くなって、モクモクとタバコの煙のように見えたことは鮮明に覚えている。

 今にして思えば、斎場を使う経済的な余裕がなかったのだろう。葬儀会場は、父さんの勤めていた印刷会社の社長のご厚意で、倉庫の一角を貸してもらっていた。

 父さんはその会社の営業マンで、車でお得意さんまわりをしているさいちゅうに、トラックと衝突したのだ。どちらの責任ともいいかねるような事故だった、と聞いている。母さんは父さんと同じ印刷会社のパートタイムの事務員だった。社長さんが、親身になってめんどうを見てくれたのは、そのためだった。

 火葬場へは、マイクロバスに乗って三十分くらい移動した。バスのシートはひどく硬くて居心地が悪く、また車内には、ゴムとガソリンの臭いがこもっているような気がした。

 なきがらがお骨になるまで、焼き場の横の建物にある待合室で、待機することになった。待合室はクリーム色の壁に囲まれた簡素な部屋で、木の天板のテーブルとたくさんの椅子が置いてあった。上座というのか、部屋の壁の一部がへこんでいてそこに、ぎこちない笑顔の父さんの写真が飾ってあるのだった。

 母さんは憔悴しきっていて、始終うつむき、ときおり、わたしを抱いて髪に顔をうずめた。

 父さんに近しい親戚はなく、いたとしても連絡がとれない状態だったと聞いている。よくは知らないけれど、母さんもまた、実家とは疎遠だったようだ。だから葬儀の手配は、ほぼすべて母さん(と、社長さん)がおこなった。

 子どもながらも、母さんが気丈にふるまっているのが分かっていた。お葬式のあいさつのときも、言葉をつまらせながら、涙をこぼすことだけは必死にこらえていた。

 バスに同乗してきた社長さんや、部長さんや、会社の同僚の人たちが、かわるがわる、母さんに声をかけてくれて、母さんはそれに、ひとつひとつ丁寧に頭を下げていた。けど、そのうち皆、手持ちぶさたになって、外の喫煙スペースにたばこを吸いにいったり、テーブルの上のポットからお茶をそそいでは、やたらと飲んだりしていた。

 わたしの頭は、父さんが死んでしまった晩から、痺れたように、じーん、となって、何も考えられなくなっていた。頭だけじゃなくて、見るもの聞くものすべてに現実感がなく、自分がふわふわと、宙を漂っている感じだった。

 わたしは父さんが好きだった。

 お休みの日でも面倒くさがらずに、公園でバドミントンをしてくれた。縄跳びや鉄棒の練習にも根気よくつきあってくれた。帰りには、お母さんにナイショだぞ、とお菓子やアイスを買ってくれた。いつも頭をなでてくれた。

 お面のように無表情になったわたしに、誰もが、かわいそうに、と声をつまらせた。心が氷のように固まることで、事実を拒否していたのだと思う。

 でも、その効果も徐々に、溶けはじめていた。

 お葬式で凍えていた身体が、ちょっと蒸し暑いくらいの室内でほぐれていくにつれて、わたしは、こみ上げてくる悪寒とたたかうことになった。父さんのお棺を焼き場におさめた辺りから、頭がグルグルと回って、のど元に何かがせり上がってくる感覚にさいなまれていた。この部屋に来て、クリーム色の壁を見つめながら懸命にこらえていたけど、船酔いのようなそれはどんどんエスカレートしていった。嘔吐感が、ガマンできなくなっていった。

 暖房のきいたなかで、わたしだけが、ガタガタと、インフルエンザにでも罹ったみたいに震えていた。大人は誰も気づいていなかった。

 もう、限界だった。


 視界の揺れ幅が大きくなっていきーー。

 

 口から何かがあふれ出す寸前ーー。


 待合室のドアが、控えめにノックされた。

 わたしは、水がいっぱいいっぱいまで入ったコップみたいに、ぎこちなく、入口に目をやった。

 会社の営業部長さんが立ち上がって、ドアを開いた。

 立っていたのは、父さんと同い年くらいの男の人だった。

 少し猫背で、もちろん喪服を着ていたのだけど、どことなくしっくりきていないというか、学生さんが無理やりスーツを着させられたような違和感があるのだった。

 その男の人は、部長さんを見て目を丸め、自分が場違いなところに紛れ込んでしまったかのように、少し慌てた。そしてわたわたとお辞儀をし、口の中でごにょごにょとお悔やみをのべた。

「修平……君……?」

 うつむいていた母さんが、顔を上げていた。

「どうして……?」

「加藤から、聞いたんだ」

 男の人が、優しい声で答え、それから弱々しく微笑んだ。ずっと沈鬱だった母さんの表情が、ほんの少しだけ、和らいだ。そしてその瞬間、母さんの両目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。大きな、綺麗な涙だった。

 男の人が部屋に入ってきて、わたしたちのそばに立った。手を伸ばし、躊躇し、結局、母さんの頭を抱いた。母さんの口から嗚咽がもれ、やがて、大きな泣き声になった。

 ああ、そうだ、こんな時、ひとは声を上げて、泣いてもいいんだ。

 胸に、嘔吐感とは違う温かいものがあふれ、気がつくと、わたしも大声で泣き出していた。

 わたしたち親子に、父さんが死んで以来、はじめて人らしい感情の波がおとずれた。

 それが、修平さんと出会った、初めてだった。

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