第9話

【一週間Ⅱ】

 せめて別の格好のときだったらよかったのにな、とまず思った。

 といっても、よそいきのドレスや、モデルさんが着ているようなオシャレな服を持ってるわけじゃない。それが自分に似合うとも思っていない。ないけど、どちらかと言うと油断した格好ーーストレッチジーンズに、楽な着心地のパーカーに、適当にまとめた髪ーーである自分に、わたしはちょっとうろたえていた。だって、栄子に会うだけのつもりだったし。

 そして、自分が急に男の子を意識しているということに、さらにうろたえた。

「浦沢さんちって、どこらへん?」

「うちは……靴下団地のとなり」

「ふうん。じゃ、結構遠いね」

「そうでもないよ。慣れてるし」

 わたしたちは、微妙に肩を並べて歩いていた。ショータ君が前で、わたしが斜め後ろ。二人取り残されたカフェを早々に退散し、地元に戻って、駅からの道を歩いているのだった。わたしに至っては結局、カフェ・チェーンで注文すらしていなかった。ま、どのみち七〇〇円オーバーのドリンク(何とかペチーノ的な)なんて、手が出なかったけど。

 ちなみに靴下団地というのは、わたしんちのあるアパートのすぐそばの公営住宅の通称で、むかし、近所にあった大きな靴下工場の社員さんが、たくさん住んでいたからだ。

 それにしてもーー。

 か、会話が続かない。

 ともすれば沈黙に支配されながらわたしたちは、てくてくと、足を止めずに進んでいく。

 電車での二十分は、最近観たアニメの話などでギリギリ何とかつないだ。駅でお別れかと思いきや、団地への道の途中にショータ君の家があるそうで、何となく一緒に帰る流れになった。割と近所なのに彼のことを知らなかったのは、微妙に学区が分かれていたため、らしい。

「村上さんと、仲いいんだ」

「うん。小学校のときから一緒で……」

「教室で、いつも喋ってるもんね」

 村上さんとは、栄子のことだ。ここで栄子とのなれそめ(?)を話せば、自然なのだろう。だけど、それには父さんのことから始めなければならないような気がして(実際は、まったくそんな必要なないのだけど)、どう言えばいいのかわからず、結局、わたしはまた黙り込んでしまった。それに、教室でのわたしの様子を、ショータ君が見ていたということに、ちょっとドキドキしてしまったのだ。不覚。

 ただもし栄子が、お見合いの仲人さんのように、「あとは若い人たち同士で」と気を利かせたつもりだったならば、一〇〇%失敗だったと断言できる。わたしは自分からいろいろと話をするタイプじゃないし、(普段は知らないけど)ショータ君もカチコチになってて、どちらも、ぎこちない。そんな二人が顔をつき合わせていても盛り上がるはずないでしょ。ただただ気まずく、天使たちが上空を旋回しているだけだ。どうせ仕掛けるなら、よく考えてやりなさいよ、未熟者め。

 大きなトラックの行きかう国道を避けて、住宅街を突っ切る細い道をわたしたちはたどる。わたしが小さい頃からある古い家々のあいまに、真新しいアパートや、場違いな居酒屋がぽつぽつとみえる。通い慣れたいつもの道だ。

 もう少し行くと、公民館がある。

 そこでショータ君とサヨナラしよう、とわたしは決心した。公民館の一階には、市立図書館の分室が入っていて、狭いけど、静かでなかなか落ち着くのだ。いまのわたしには、安らぎが必要だ。それに、言い訳でなく、予約していた本が届いていて、それをピックアップしたかったのだ。

 ーーやっぱり、言い訳か。

 ふと、ショータ君が立ち止まる。わたしを振り返った。

「マツリって……」

「え?」

「浅間様の祭りって、いつだっけ?」

 サヨナラの機先を制されて、わたしは慌てた。

 公民館の横には、この町の鎮守の森があり、浅間神社があるのだ。浅間様の夏祭りは、毎年、屋台が並んで、結構にぎやかだ。地元の女の子は、みんなここで浴衣デビューをするのが定番だ。

「……たぶん、今週じゃないかな? 夏休み入ってすぐだったと思うけど」

「ちょっと行ってみよう」

 ショータ君は、自然な感じを出しつつも、自然すぎてむしろ不自然かも、というタイミングで鳥居を目指した。こんな風に考えるわたしは、意地の悪いおんなだろうか。軽い自己嫌悪におちいりながらも、後についていく。

 祭りの準備は、まだ始まっていなかった。

 本殿に続く石畳は、あちらこちらが割れていて、敷石がグラグラしている。左右の木々のセミが、妙に元気だ。祭りの日は、この参道の両側に、いくつも出店が連なる。輪投げとか、射的の屋台もあるし、お好み焼きとかドネルケバブの店も出る。嗚呼、チョコバナナ・マイ・ラヴ。じゅるる。

 二の鳥居をくぐると、左に神楽殿、右に手水所がある。ショータ君は、少しためらってから、手水所の裏に向かった。

 そこは境内のはずれで、小ぢんまりとした広場になっているところだ。端に遊具があって、ペンキの剥げたシーソーと、古いタイヤを半分だけ地面に出したものが五つばかり、滑り台がひとつある。わたしが小さい頃は、結構、子どもたちのたまり場だった記憶があるのだが、今はひっそりとしていて、誰もいなかった。みんな外で遊ばないのだろうか。

「むかし、ここで缶けりとかしたんだよな」

 今、やんないのかなぁ、とショータ君はシーソーを軽く蹴った。わたしと同じような感慨を抱いているのかも、と思っていたら、急に、なんか悪かった、とうつむいたままショータ君が言った。

「ん?」

「いや、こんな風につき合わせちゃって。ケンジが変に気いまわしたおかげで……」

「……」

「それで……。あのさ、いまさらなんだけど、オレ、その、浦沢さんとつ、つ、つき、あーー」

 ショータ君はうつむいて言葉をつまらせた。それ以上、どうしてもうまく言えないようだった。

「……」

「……」

「ゴメン、今度また、ちゃんと言うからーー」

 じゃまた、と言い置いて、ショータ君は、振り返らずに広場から出ていった。最後はほとんどダッシュに近かった。

 セミが、わんわん鳴いていた。

 頭が真っ白になった。

 これがいわゆる告白、というやつ?

 小説とマンガと映画と、うーん、とにかくフィクションの中でしかお目にかかったことがないなあ、当り前だけど、ドラマチックなBGMなんて流れないよな、いやセミの声がそれなのか、などと間が抜けた感想が次々と浮んでは消えた。

「えーと……」

 しばらくしてわたしは、意味もなく、呟いた。

 頭の中が、ごちゃごちゃと何だか大変なことになっていた。

 現実感のないままのわたしを、セミの声だけが取り巻いていた。

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