第6話

【18:10】

 リビングのテレビをつけてみたが、見覚えのない番組ばかりだった。それに、わたしの住んでいる地域よりもずいぶんとチャンネル数が多い。それでここが、わたしの家の近くでないことだけは分かった。つけ加えるなら、番組はすべて日本のものだった。

 そう、少なくともここは日本なんだ。

 わたしはちょっとだけ安心すると、リモコンでテレビを消した。

 次に電話機を探したが、見つからなかった。もちろんおかしなことではない。この家に人が住んでいるとしても、家族全員がスマホしか持っていないことも、当然ありうる。

 駄目もとで、如月メイにスマホを持っているのか訊いたが彼女は、素っ気なく「ない」と答えた。

 あきらめきれずに、家中をうろつき回った。ダイニングキッチン、二階の寝室、ユニットバスやトイレすらも。けれど、母さんに連絡できそうな手段ーーパソコンの類いなども、ここがどこだか手がかりになりそうなものも、何一つ見つからなかった。

 そのうち、そもそもどうしてこんなことをする羽目になったのか、分からなくなってきた。

 わたしはトイレのドアにもたれて、記憶をたどる。

 病室で目覚める前、わたしの一番新しい記憶は何だろう。

 すぐに思い至った。

 わたしはーーあのお屋敷にいたのだ。

 首筋に手を当てる。あのときの違和感が生々しくよみがえる。

 あそこでわたしは何かをされた。何をされたのかは分からないけど、それで気絶してーー。

 気がついたら病院にいたのだ。

 でもなんで?

 リビングに戻るとわたしは、ぐったりしてソファに倒れこんだ。

「お願い。ここがどこだか教えて」

 わたしは懇願した。

「ここは猫町」

 向かいのカウチで、如月メイが答える。

「それは聞いた。ねえ、あなたいつからここにいるの? どうやって来たの?」

「わたしがここにきたのは、じゅっさいのとき」

 如月メイはそう語った。

 聞けば彼女は、わたしと同い年だった。だとすれば、彼女がここ(猫町)にやって来たのは、六年も前ということになる。

 彼女の話が、本当のことだとすれば。

 わたしはいまだぬぐいきれない疑惑の目で、彼女を見た。

「きがついたとき、わたしはこうえんにいた」

 如月メイは、記憶を掘り起こすように一瞬、視線を漂わせた。

「がっこうのちかくのこうえん。どうして、そのこうえんにいたのかは、わからなかった。からだはとくに、かわったところはなかったし、かっこうも、あさとおなじだった。ひとつちがったことはーーとてもふあんだったこと。なぜだかはわからなかったけど、むねがどきどきとして、ちのようないろのゆうやけが、とても、めにしみたこと。わたしはいえにかえった。そうしたら、いえにわたしがいた」


 そう、如月メイの家にはーー。


 もうすでに【如月メイ】が帰っていた。

 

「おかあさんと、もうひとりのわたしが、りびんぐにいて、ぽかんと、わたしをみていた。もうひとりのわたしがいった。『あなただれ?』と」

 もちろんそれに答えられる者は、その場にいなかった。

 次に如月メイの母親が考えたことは、たぶん次のようなことだった(と如月メイは想像した)。

 目の前の女の子は、自分の娘によく似ている。服装も同じだ。あまりによく似ているので、他人とはとても思えない。そうこの子は、彼女の夫が、つまり如月メイの父親がどこかで誰か、他の女性に産ませた子どもに違いない、と。

 母親は目をつり上げながらも、ひとまず如月メイを招き入れた。彼女はしゃがみ、如月メイの両腕をつかんだ。悲鳴が出るような痛さだった。そして訊いた。


 ーーあなたはだあれ?


 ちがう、と如月メイは言いたかった。

 わたしはほかの誰でもない。お母さんの子どもだ。

 わたしが如月メイなのだ。

 しかし彼女は、うまくそれを伝えることが出来なかった。

 らちが明かないと考えた母親は、父親に連絡を取った。

 自分の疑惑を追及するため、あるいは打ち消すために。

 ヒステリックに電話にがなりたてる母親を、如月メイは、呆然と眺めていた。

 もう一人の如月メイは、母親の後ろに隠れて、まるで目の前のよく似た女の子が、彼女の居場所を奪おうとしているかのようにーー事実、できることなら如月メイはそうしたかったのだがーー彼女をにらみつけていた。

 母親が怒り心頭して電話を床に叩きつけ、そのままソファに倒れ込んだ。

 誰も何も言わずに、時間が重苦しく過ぎた。

 しばらくして、玄関でチャイムが鳴った。母親は誰にともなく、出てよ、と言った。

 それがどちらの如月メイに対していったのか、はかる間もなく、リビングの入口から二人組の男が現れた。おそろいのような同じダークグレーのスーツを着た、よく似たふたり連れの男だ。

 母親はあっけにとられて、あなたたち何なの、と言った。どうやって入ってきたの? と。現れたのが夫でないことが、いぶかしかったのだろう。

 男たちの一人が、わたしたちは内閣府特別調査室の者です、と名乗った。どこの地図にも載っていない地域ようなイントネーションだった。

 ないかくふ、と母親が、初めて聞いた言葉のように、つぶやく。

 男たちは、母親を無視して、如月メイと母親の後ろの女の子を見比べ、これから簡単な質問をします、と宣言した。唐突な発言だったが、男はまるで、東からお日様が昇るのと同じくらい当り前のように、話し続けた。

「君たちは今日一日の記憶があるかい」

 男は鮫のような表情のない目で、如月メイたちを見渡した。

「君たちは今日とっても不安な気持ちになったりはしなかったかい」

 母親の後ろの子が、男の顔を見て泣き出した。如月メイは、さっき公園で気がついたときの、ぼんやりとした、にもかかわらず、確実にあった胸苦しさを思い出した。自然に、涙ぐみそうになった。

 男が再び訊いた。穏やかだけど有無を言わせない調子で。

 母親の後ろに隠れている如月メイが、いやいやをするように首を振った。男たちの言葉を否定しているようでもあり、単に怖がっているようでもあった。

 如月メイは、吐き気をもよおす胸の悪さに慄きながらも、正直に答えた。なぜだか、そうしなければならないと感じた。


 さっき、

 公園で、

 気がついた、

 とてもとても、

 気分が悪かった、

 夕陽がとても眩しかったーー


 男が言った。そうかーー。


 君が〈反在者〉なんだね。


 男たちの行動は素早かった。男のひとりが、瞬く間に近づくと、荷物を運ぶように無造作に如月メイを担いだ。もう一人の男は母親に近づき、何か短い警告のようなものを発した。

 あらがったが、無駄だった。

 首筋にちくり、とした感触があって、たちまち意識が薄れていった。

 如月メイは連れ去られた。

 こうしてーー彼女は猫町へとやって来た。


□□□


 とても信じられる話ではなかった。そもそも、その男たちは何者なのか。政府の人間を名乗っているが、それは本当なのだろうか。そもそも、どうやって如月メイの元にたどり着いたのだろうか。

 そこまで考えて、ふと思いついた。

「ねえ、あなた自分がそのーー〈反在者〉ーーだとか、変な力のこととか、誰に教えてもらったの?」

「どくたーにきいた」

 如月メイが答えた。

「ドクター?」

「ドクターなかたにが、いろいろなことを、おしえてくれる」

「その人は味方なの?」

 如月メイが首を傾げた。

「ドクターは、わたしに、かんしんがある。味方かどうかは、わからない」

 関心ってなによ、と思ったけど、そこは追わずに、わたしは質問を変えた。

「その人は、わたしたちを助けてくれるの?」

「ドクターは、わたしたちを助けてくれる。でもそのためには、わたしが、なぐられなくてはならない」

 如月メイが、突然ごそごそと、パジャマの下を脱いだ。

「な、なに?」

 わたしは、あわあわと、口をあけていたに違いない。でもすぐに、顔がこわばった。ショーツの下、むき出しの如月メイの太ももの内側には、紫色の内出血の痕が幾つもあった。

 どういうわけだかその痕は、顔を引き裂く傷なんかより、よっぽど痛々しく見えた。

「ドクターは、わたしにいろいろなことを、おしえてくれる。こっそりと、おいしいたべものも、くれる。でもそのかわり、わたしをぶつ。でもドクターは、もういない」

 だから、と如月メイは言い切った。

「わたしは、びょういんには、かえらない」

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