最終章➁


 そう言えば、俺は何をしにマラッカくんだりに来たのだろう?

 沢木耕太郎は、マラッカの赤くて大きい夕陽を見るただそれだけの為にぬるま湯のように居心地の良いペナンを引き払い、一日がかりでバスと鉄道と乗り合いタクシーを乗り継ぎ南下した。あの怜悧でハンサムな若き日のノンフィクション作家を魅了したこの街の夕陽はそんなに美しいものなのだろうか?

 日没の時間はたいがいイスラム寺院からコーランが聞こえてくるまで昼寝をしているか、ジョンカーストリートの宿の一階のカフェでビールを飲んでいるかのどっちかなので、夕陽のことなんか気にもしていなかったし、そもそも夕陽に心魅せられるような少女趣味はないが、気になるところだ。

 夕陽の見れるポイントは、マラッカ海峡を臨む水上モスクが有名だが、この暑さだとたった一キロや二キロ歩くのも億劫になってしまうので、近場の丘の上にあるセントポール教会跡に行くことにした。

 オランダ広場から煉瓦の坂道を登ってゆくと、参道には赤い綺麗な花が咲いていて、何匹も野良猫とすれ違う。猫が好む場所というのは暑いときは涼しく、寒いときは暖かく、且つ、安全な場所なので、風水的に見ても悪い場所ではないのだろう。ヨーコだったらもっと詳しいことがわかるんだろうなぁ、などと思えど、女は今はもういない。

 坂を登りきり、小高い丘の上に着くと、天井の抜けた朽ち果てた教会の前にフランシスコザビエル像がある。こんなことを言うと全世界のクリスチャンから糾弾され、また違う意味で逃亡者になり果ててしまいそうだが、慈愛に満ちた聖職者というよりも、損得に生きる商人か人買いのような顔をしているし、なぜか右腕がない。皆まで申し上げる気は毛頭ないが、「テレビと新聞と歴史の教科書は疑え」という鉄則はここにも適応されるようだ。

 白っぽい黴に覆われた煉瓦の廃墟の中にはザビエルの死体が安置されていた場所が銀色の棺桶型の柵で覆われていて、欧米人のツーリストは決まってそこにコインを投げて十字を切っている。俺が海外旅行が初めての田舎の純情な高校生なら「ザビエルは時を超えてもこんなにも崇拝されている!」と感動するかもしれないが、なんとも陳腐な光景だ。

 マレーシアの国旗が立てかけてある海峡の見える欄干まで歩き、様々な事情を抱えた様々な人種に混ざって、マラッカ海峡へと墜ちてゆく夕陽を見詰めている。その顔は皆、朱色に照らされていて、幸福でもない、かと言って不幸でもない、ただ麗人や貴人が目の前を通り過ぎる、皆、そんな夢を見ているようなうっとりとした表情だ。雨季なので、少し雲がかかっているが、そのおかげで滲んだブラッドオレンジの果肉のような瑞々しくも艶っぽい夕陽だ。

 眼下の大きな木造の帆船を形どった海洋博物館が夕陽を受けてシルエットになり、サンディアゴ要塞の砲台と合わさると、まるで大航海時代の栄華をそのままに見ているようで幻想さが増す。

 そう。マラッカはルソン島と違って、単純に夕陽が綺麗なだけではないのだ。古の森の紡ぐ神話や銃と十字架で己の天国を強要した異人やニッパ椰子と夕凪の普遍の優しさやサルタンの夢物語や銀輪部隊の南下までをすべて見てきた夕陽なのだ。だからなのか、何も語らないのに饒舌で、饒舌なくせに軽さはなく、どこか物悲しいのだ。

 きっとこの夕陽はすべてを許してきたのだろう。

 現在、同じ時を分け合っているこの人達も罪や穢れややらざるを得なかったことや言わざるを得なかったことを許されたいのだ。神にではなく、夕陽に。だから俺はとめどなく涙が溢れて止まらないのだろう。許されないことなどわかっているのに、御魂は真剣に祈っているのだろう。誰のために?何のつもりなのか?いつのまにか胸の前で両手を合わせている俺がいる。

 夕陽は薄紫の夕闇のキャンバスに赤い果肉を散らしながら海へと沈んでゆく。先程の麗人のふくよかな残香が消えてゆくようで悲しい。劇終のカーテンコールを見ずに席を立つ観劇客のように三々五々、人は去ってゆく。日常へ帰ってゆく。拍手もなく舞台は有り余る余熱を残したまま終わったのだ。緞帳がゆっくりと降ろされてゆくように周囲は名残惜しそうに闇に包まれ、闇に溶けてゆく。

 圧倒されて俺は立ちつくしたままだ。

 涙を流し尽くした後の爽快感と恋人を失った後の喪失感が同時に襲って来たようなアンビバレントな感情が矛盾せずに俺の中で存在している。それは俺の重ねてきた衝動的過ぎた愚かな罪を超越した絶対的な何かに抱かれているようで、赦されることよりももっと大事なことを思い出しそうになるが、ないものを思い出すことなんかできない。

 ただ、夕陽の苛烈なほどに鮮烈な記憶だけは消えそうもない。夕陽の沈んだ暗い海を見ているのはもはや俺一人だけだ。海峡を行き交う鮫も眠るころだ。マラッカを去る日も近いことを感じている。

 次はいったいどこへ逃げようか? 

 わからない。

 この東南アジアのどこかで夕陽を追いかけ、驟雨に打たれるままに生きていくのも悪くない。日本のこともヨーコのことも忘れ、五黄のダブルの真ん中で悪い方角を枕に眠りにつく。

 もし、そんなことが許されるならの話だけど……

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