第三章①

 金井が暴力や暴言や拷問で俺を支配するようになってから数か月が経っていた。

 俺以上に汚い闇の金を持っている金井は、他の朝鮮の連中と違って俺の金品には一切、興味を示さず、手を付けなかったが、拷問に関しては楽しみながらやっているようにしか見えず、血に飢えた名もなき古代の狂った土着の女神が、もといヨーコが金井に命じているかのように血も涙も容赦もなかった。

 俺はそれに苦痛を感じると同時に、あの忌まわしき原罪が少しずつ許されているのではないか、と錯覚することもあったが、金井のサディズムが萎えることはなく、これ以上傷つく余地のない俺に一寸でも余白を見つけると新たなる傷を刻むことを躊躇わない。

 猛暑季の四月だというのに、エアコンを使わせてもらえなければ、水も飲ませてもらえない。トイレだけは「死姦をどうやってやったか」亦、「死んだ女を犯して気持ちよかったか」、「良心の呵責に苦しまなかったか」を正直に詳細に告白すれば、何とか行かせてもらえた。水はその時に摂取して何とか露命を繋いでいたが、毎回それを根掘り葉掘り訊かれ、事細かに説明させられるものだから、間に合わず失禁することも多かった。これでは精神的に参ってしまう。あと、歯を磨かせてもらえず歯周病が悪化してきたので、口臭と水を口に含んだ時の奥歯の沁みがひどくなってきた。

 食事といえば、小石の混ざった生米や生きた虫や唐辛子をそのまま食わされるのはまだいいほうで、多分、同胞の食肉業者にでも分けてもらっているのだろう。処理も調理もされていない出所も鮮度も怪しいような豚の内臓を床にぶち撒き、それを食えという。一度だけ、空腹に耐えきれず、泣きながら床に口づけながら血にまみれながら、それこそ豚のように貪り食ってみたが、案の定、ひどい食中毒になり、細菌性の下痢と嘔吐で三日三晩のたうち回った。金井はその様を薄笑いを浮かべて「きったねぇな。お前、本当に汚物だな。とっとと死ねよ。この死姦野郎」と何度も俺を足蹴にして、顔面に痰を吐いた、

 人の所業ではない。流石にヴェトナム戦争時にヴェトナム人を虫けらか奴隷ように扱った奴らの子孫には人としての感情も常識もない。

「それ、あんたが言う?」

 きっとヨーコは嗤うだろう。

 ヨーコが「地獄に堕ちろ」と言うなら、堕ちるのが筋だ。しかし、俺の罪はそんなに深く、重々しいのか?

「殺したのは俺じゃない」と言いかけてやめる。正論を振りかざすのも反旗を翻すのも体力が要る。その体力が日に日に奪われているのだ。何かとてつもなく大きなものを諦めなければいけない時が来る予感がする。

 顧客から一億円巻き上げるほどの優秀な営業マン崩れだけあって、金井のディベート能力は大したもので、暴力を振るわないときは弁舌で俺を追い詰める。

 スマートにこちらが興味を持つような雑談から入り、関心のすべてをこちらに向け、自尊心をくすぐるあたりは、流石に一流の営業マンだと感心しかけるのだが、「でも、やっぱり死姦は絶対に許されませんよねぇ。やっぱり、日本人てのはやることが野蛮ですよねぇ。まぁ、あんたの業も結局は民族の業なんですよね」などと煽ってくるので、「は?民族の業はどっちだ?どの口が言っているのか?」と胸倉をつかみそうになるのだが、俺の死姦は事実なので、何も言い返せない。言い返したところで、俺の不実を槍玉にあげて、完膚なまでに論破してくるのはわかりきっているので、俺は拳を固め、唇をかみしめて、「この朝鮮人。いつか殺してやる」と憎しみを募らせていると、「うわ。怖いなぁ。殺さないでくださいよ。二人殺人だとあなた確実に死刑ですよ」などと、さらに俺の感情を逆撫でする。ここまで日々、追い詰められると、個人的に何の恨みもないが、星野源を嫌いになりそうだ。

 いや。嫌いになった。

 正直、ここまで人を不快にさせる術を知っているのなら、人を幸福にすることはもっと簡単なはずなのに、結局、才能を悪知恵を働かせ、劫を積み、悪い方にしか使えないかわいそうな人なのだと思えど、そのあとに親指の爪を剝がれ、剥がした部分にナムプラーやサンバルソースを塗りこまれたりするものだから、同情も一瞬で消える。ただただ恐怖と痛みを植え付けて恨みを買うだけなあたりは金井の青さと言うか、狭量さと言うか、才能の限界なのだろうし、逆に言うと、そこまで非情に徹さなければ何の罪も恨みもない人間から一億円という大金は騙し取れないのだろう。

 金井は夜明け前には自宅に戻るとはいえ、その頃になると俺は体力気力とも限界だ。逃げ出すことよりも、食事を取ることよりも、傷ついた軀のケアをすることよりも、汚れた床を掃除をすることよりも眠ることを選んでしまう。生き地獄の後にヨーコの非現実な地獄が待っているのに、それでも体は休息を欲する。本能とはおかしなものだ。

 そして、その睡眠も決して俺の体力や傷を回復させない。

 ヨーコだ。

 最近では幽霊か妖怪か畜生のように恐ろしい形相ではなく、生前と同じように美しく、冷淡で、自分以外の人間は無条件に自分に跪く召使いとしか思っていない傲慢なヨーコが復活している。

「爪抉られちゃってざまぁないわね。ねぇ、痛い?」

「痛い?」と訊いてはいるが、同情も心配もしていないし、痛みなんてわかる気もないのだろう。俺が執拗に金井に嬲られているのが楽しくてしょうがない様子だ。生きていれば、痛む爪に針を落とすくらいのことはするだろう。

「あの人さ、明日はあんたの目を潰すわよ。それも笑いながらね。目が見えるのは今日までなんだから、あたしのことよく見ておきなさい」

 ヨーコは突然に冗談か本気か、真面目な顔で意味深なことを言って、憐れむような目で顔を近づけて俺を見詰めると、おもむろに衣服を脱ぎ、俺の上に乗って、「盲目になるのはあんたと言えどもさすがにかわいそうだから、今日だけは愛してあげるわ。早く脱ぎなさい」と俺を子供みたいに万歳させて、Tシャツを剥いだ。俺は不覚にもヨーコに母性を感じた。悩み苦しみぬいたときに現れて叡知の言葉を授けてくださる聖母マリア様みたいに。だが、それは現実世界では男が妊娠して子供を産むくらいありえないことだ。 

 それを俺は「あるがままに」受け入れた。

 もう疲れすぎていたし、責められるより、抱き合って愛し合っていたほうがいい。どんなに憎しみあった相手であろうが、たとえ死人であろうが……

 これが正味の「ラヴアンドピース」

 きっと俺のこういうところをヨーコにも金井にも付け込まれてしまったんだと思いながら、俺はヨーコの愛撫を受け入れた。

 あるがままに。

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