第33話 教皇庁にお呼ばれなんて!

「まあ……なんて可愛らしいんでしょう!!」


 両頬に手を当てて叫んだリラの目の前には、例の人攫いにあった少女が立っていた。


 少女はリラが小さい頃着ていた、ベビーピンクのワンピースを着用している。あまりにも体が小さく、合う修道服の準備が無かったため、間に合わせだ。


 フリルをたっぷりと仕込ませフワフワと膨らんだワンピースは、少女の不健康に痩せた体格を隠してくれている。

 伸び放題で傷んでいた薄桃色の髪は耳の下あたりで短くカットされ、くるくると柔らかくカールしていた。

 

 相変わらず表情は無いが、頬はうっすらと上気している。リラが自ら少女の体を洗い、一緒にたっぷりと時間をかけて湯船に浸かったためだ。


「はあ、あまりにも可愛すぎます……」


 リラが包み込むように抱きしめると、少女はビクリと体を震わせた。それに気付きながらも、リラはそのままそっと頭を撫でる。


 一緒にお風呂に入った時、リラは見てしまった。

 ──少女の体中に刻まれた、幾つもの傷跡を。


「……お名前は、なんといいますか?」


 目線を合わせようと顔を覗き込むが、紫色の目をフイと逸らされてしまう。ずいぶん時間が経った今でもこの調子で、全く声を発してくれない。


「ええと、では……あだ名をつけても良いですか?」


 リラはテーブルから花瓶を取り上げ、少女の前に差し出した。花瓶には、薄桃色の小さな花を幾つも咲かせた薔薇が生けられている。


「このお花の名前は『ミミ・エデン』。とっても可憐で可愛くて、わたしの大好きな花なんです。……ね、あなたの髪色とそっくりでしょう?──このお花からとって、『ミミ』と呼んでも良いですか?」


 少女は無言でただ花を見つめていたが、やがてそっと優しく、薔薇の花びらに触れた。

 初めて見た少女の意志のある行動に、それだけで飛び跳ねてしまいたいほど嬉しくなる。その気持ちをグッと抑え、ほんのりと微笑みかけた。


 トントン、という控えめにノックの後に、「……入って大丈夫ですか?」と尋ねるテディの声が聞こえてきた。


「……わあ、とっても似合っていますね!これ、お姉さまの小さい時の服ですか?」


 いいな……と呟きそうになった口を急いで両手で塞いだが、リラは聞き逃さなかった。


「あら?テディも私の服が着たいですか?大歓迎ですよ!さあ、では早くその服を脱いで……」


「や!やめてください!お姉さまのお下がりがいいなと思っただけで、別に着たいわけじゃ……!」


 二人が揉みくちゃになっていると、ふふっ……と静かな笑い声が聞こえた。

 驚いて目を向けると、少女は慌ててぎゅっと唇を噛み締めている所だった。


「笑いたければ笑えば良いし、嫌なことは嫌と言っていいんですよ。あなたが何をしても、ここに怒る人はいませんから」


 リラは再び少女の前で屈みこみ、両手を手のひらで包み込んだ。


「アメジスト領に来たからには、強制的にみんな家族なんです!家族に遠慮なんてしないでくださいね、ミミ」


「あれ、君……ミミって名前なんですか?」


「ふふっ、私が決めたあだ名です。……ね、ミミってば、本当に天使みたいに可愛いですよね!」


 リラがぎゅうっとミミを抱き締めるのを、テディはどこか不機嫌そうに見つめていた。


「天使、ですか……」


「あら……?もしかして、嫉妬しています?天使はテディの専売特許ですもんね!……それに、お姉ちゃんは取られたりしませんから、大丈夫ですよ」


「し、嫉妬なんかしていません!!」


「ああもう、二人ともなんて可愛いんでしょう!こんな可愛い弟たちがいて……幸せすぎます!」


 リラは二人をあわせて、力強く抱き締める。テディが赤い顔で反抗し、三人で揉みくちゃとなってしまった。髪までボサボサとなった少女の顔が、ほんの少しだけ微笑んでいるように見える。


 ミミ・エデンの意味は「かわいい楽園」。

 願わくば、少女にとってこの家が、小さな楽園となりますように……。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「さあリラ……どちらを先に開けますか?」

 

 サフランに呼び出されたリラとテディは、執務室の机の前で立っていた。

 サフランは椅子に腰掛け、両手にそれぞれ違う色の封筒を掲げている。

 

「よく『いい知らせと悪い知らせがある』という台詞がありますが……これは両方漏れなく、悪い知らせです」


「そんな最悪な二択、ありますか……」


「ところがあるのです。さあ、迷っていても仕方がないので開けましょう。では、比較的中身の想像出来るこちらから……」


 何故一度選ばせようとしたのでしょう……と思いながら、手紙を開封しているサフランの手元を見つめる。封蝋には、王家の印が押してあった。


「……一番最悪なパターンですね。リラへ、王からの呼び出しです」


 サフランは前髪をかき上げ、大きくため息を吐く。


「なぜ……呼び出しの理由は書いていないのですか?」


「ええ。ただ、指定の日時に来るようにと。……どれが理由でしょうか」


 聖女になったことか、聖石のことか、聖石の販売に伴う領地の収入のことか……と、サフランはブツブツと呟いている。


「アレクさまを通じて、王には報告がいっているという認識でしたが……直接報告しろ、ということでしょうか。──それでしたら、聖石を手土産にしていきたいです!とびきり大きなものを」


「それはいいアイディアですね!採用しましょう」


 サフランとテディが大袈裟に拍手をし、リラはうやうやしくお辞儀カーティシーをする。ふざけなければ、やっていられない。


「詳細は後で詰めるとして……さっさと次も開けてしまいましょうか。──見てください、教皇庁からです」


 サフランがウンザリ、といった様子で、手紙を指二本でぶら下げる。

 封蝋に押された印は、マーガレットの中心にダイヤが描かれた、教会のマークだ。


「教皇庁?今、教皇の座は不在のはずでは……?」


 サフランが開封している間、テディが尋ねる。


「ええテディ、あなたが教皇の器なのですから、もちろん現在は不在です。ですが全国の教会を維持するために、教皇庁は存在していて……」


 手紙に目を通しながら話していたサフランは、やがて沈黙してしまった。目だけが文章を追って動いている。


「……お母さま?何と書いてあるのです……?」


「……考えうる最悪の事態、こちらも招集です」


 サフランは椅子の背もたれをギギッと鳴らしながら、頭を仰け反らした。


「やはり聖女関連ですか……。流石の私でも、教皇庁へは行ったことはありません」


「お、お母さまでも……」


「奇しくも、王の呼び出しと同じ日にちです。──ああ、不幸中の幸いがひとつだけ……時間は被っていませんでした」


 断りの手紙を出さずに済みましたね、ふふっ……と、サフランは乾いた笑い声を上げる。


「兎にも角にも、準備です。……マリー!」


 側に控えていたメイドのマリーは、無言で敬礼をして部屋を飛び出していった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……さあ、準備はいいですね?」


 二週間後、邸宅の庭では決起集会が行われていた。

 

 庭には邸宅の使用人達や孤児の子供達、騎士団員達が集まっている。

 中心にいるアメジスト家は四人とも、白い礼拝服を着ていた。マシューは着慣れない礼拝服に、ソワソワと窮屈そうにしている。


「もう一度確認ですが……テディ。あなたは危険を冒してまで、教皇庁に来る必要はないのですよ?」


「いえ……行きます。いつか座るかもしれない、椅子がありますから」


 決意を固めた表情をしているテディは、この日のために仕立てた礼拝服を着ていた。

 白いローブには大きめのフードがついており、認識阻害用の魔石が仕込まれている。これを被れば、髪色と目の色が変わって見える算段だ。


「では、行きましょう。いざとなれば、私達が盾となります。……それでは、二つの謁見の成功を祈って!」


 サフランの号令に合わせ、杖が空に向けられる。杖から放たれた光がポンポンと音を立てながら弾け、空に紫色の煙が上がった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ここが……教皇庁……」


 馬車から降り立ったリラは建物を見上げ、ごくりと喉を鳴らす。

 

 王城とほぼ変わらないほど巨大な建物が、リラ達を見下ろしていた。

 

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