第34話 聖女裁判

「ここが……教皇庁……」


 馬車から降り立ったリラを、王城とほぼ同じ大きさの巨大な建物が見下ろしていた。


 基本的な構造は通常の教会と同じで、幾本も聳え立つ先端の尖った高い塔の間を、建物が繋いでいる。

 

 特徴的なのはその色だ。純白の壁は砂で出来ているかのようにサラサラとしていて、陽の角度により無数の光の粒が輝いて見える。


 一同が建物を見上げていると、人力ではとても動かせそうにない重厚な門が音を立てて開き、淡いグレーの髪をした男性がゆっくりと歩み寄ってきた。


「お待ちしておりました、ライラック=アメジスト様……」


 ひょろりと背の高い男性は、静かにその頭を下げる。


「私は、司祭のクリストフと申します……。まず、教皇庁の中に杖を持ち込むことは禁止されていますから、お預かりいたします……」


 リラ達は黙ってクリストフに従い、杖を引き渡す。


「では、こちらへ……」


 音も立てず歩き出す彼を、一同は慌てて追いかけた。

 

 クリストフは真っ白な厚手の布に、銀色の糸で刺繍が施された修道服を身に纏っていた。その生地の上質さや仕立ての良さから、階級の高さを感じさせる。教皇庁に勤めているということは、相当なエリートなのだろう。


 廊下の天井は高いアーチ状になっており、それを支える柱が精巧に入り組んでいる。大きく造られた窓からは太陽光が差し込み、静寂と相まって厳かな雰囲気を演出していた。


 壁や床は大理石で出来ているが、外壁と同じく真っ白だ。「掃除が大変そうですね……」と、テディが小声で耳打ちをする。


「いえ、掃除は大変ではありません……。専用に雇われた魔術師が、床に埋め込まれた魔石に順に魔力を込めていくだけで『洗浄〈クリーン〉』の魔法が発動するようになっているので……」


 耳打ちしたのがバレていたテディは、気まずそうに身をすくませた。

 見ると、廊下には等間隔に水色と青の魔石が埋め込まれている。風と水の魔法を使って、誰でも『洗浄〈クリーン〉』が起こせるようにしているのだ。


 ──廊下だけでも、魔石がこれほど……。相当な金額がかかっているはずですが……。


 頭の中で魔石の値段の計算をしていると、クリストフが後ろも振り向かずに話し出した。

 

「本日のスケジュールですが……。まず、司教会に出席していただく予定です……」


「司教会、ですか……?」


「一度、教会の組織編成をご説明した方が良さそうですね……。組織の一番上は『教皇』ですが……現在は神の器が発見されていないため、代わりに『教皇代理』が務めております……」


 廊下は静まり返っており、大理石の上を進む足音だけが反響している。


「その下に、十二人の『司教』がいらっしゃいます……。さらにその下に、私達『司祭』……そして司祭が治める『教会』と続きます……」


 クリストフは、ゆったりとした話し方で続ける。


「教会全体は国中に広がる巨大な組織ですから……全てを統括するには、ある程度の人力とお金が必要です……。教皇庁は、各地の教会からお金を集め……運営資金としているのです……」


 言い終わるか否か、クリストフが突然立ち止まる。真後ろを歩いていたリラは、思わず彼にぶつかってしまった。


「ごめんなさい!」


「いえ……。こちらが、司教会の会場です。私は入れませんので……どうぞ」


 クリストフがドアをノックし、扉を開けて入場を勧める。


「ま、待ってください。司教会で何が行われるのですか……?」


「入れば分かりますので……」

 

 それ以上は何も語らないクリストフに促され、四人はしぶしぶ入室した。

 

 部屋の中は、裁判所のような造りになっていた。


 真っ白な部屋の奥には、一直線に長い大きなテーブルが置かれ、十二人の司教達が腰掛けている。高齢の者が多く、一番若い人でもマシューより年上だろう。六十歳は超えているように見える。


 司教達の席よりもずいぶんと高さが下がった場所──部屋の中心部分には、証言台のようなものが置かれている。証言台の後ろには長椅子が並び、傍聴席のような形になっていた。


 ──まるで、裁判にかけられるよう……。


 冤罪で王宮裁判にかけられた時の記憶を思い出し、リラはゾッと体を固まらせる。


「ライラック=アメジスト、足労でした。……そちらへ」


 長机の真ん中に座っていた司教が指差した先は、中央の証言台だった。サフランは動くことの出来ないリラに「大丈夫ですからね」と呟き、力強く肩を抱く。


「家族の方は、後ろの席へ」


「この子はまだ子供です。私達も……」


「お母さん、何てことはない。少し話を聞くだけですから。……後ろへ」


 司教の有無を言わさぬ微笑みに、サフランはグッと唇を噛み締める。娘の体を優しく抱きしめてから近くの席へ着席したが、目は司教を睨みつけていた。


 証言台に立つと、十二人の司教達を見上げるような形になる。孤立無縁にも思える視界と、見定めるような彼らの視線に、台の上に置いた両手から血の気が引いていった。


 中央に座った年長の司教長が、コンコンッと音高く木製のハンマーを打ち鳴らした。


「今から──聖女裁判を始める」


 その瞬間、ズンッとした重さが全身にのしかかり、身動きが取れなくなる。立っているのも難しくなり、リラはやっとの思いで証言台の端を握りしめた。

 

「なん……ですか、これは……!?」

 

「聖女裁判、だと!?」


 サフランとマシューが立ち上がろうとする動作が視界の端に見えたが、重力に逆らえず中腰のまま動きが止まっている。


「ああ、動かない方が良い。今この会場は、濃い神聖力で満ちています。黒化した魔力を神聖力が浄化するように、魔力のある人間にとって、この空間はちと辛いようでね」


 司教長が言うと、他の司教達が嘲るような笑い声を上げた。


 体内の魔力を、神聖力が抑えつけているということだろうか。まるで泥沼の底にいるかのように重さがのしかかり、頭もガンガンと締め付けられるように痛い。


 司教達が普通に動けているのは、彼らの髪色が薄く、魔力をほとんど持っていないからなのだろう。


「さあ、ライラック=アメジスト。……貴方が、聖女を名乗っていると聞きました」


 司教長が、微笑みながら話を始めた。一見にこやかに見える表情だが、目の奥は笑っていない。


「はい……。夢の中でお告げを受け、金の瞳を授かりました……」


「たしかに、『聖女の瞳』のように見えますね。──だが、証拠はない。魔術道具を使えば、目の色くらい如何様にも偽装出来るのだから」


「え……!?いえ、偽装などしておりません……!」


「それがわからないと言っているのです。それにこの──聖石とか呼ばせている物。効能は確かなようですが……出所はどこですか?」


「それは……私が神聖力を付与しまして……」


 司教長は聖石を親指と人差し指で持ち、フンッと鼻で笑った。


「ダイヤモンドに付与を、へえ……。これまで名だたる司教達が試みたにも関わらず、誰も成功したことがないというのに?……本当ならば、ここでやってみてください」


「ここで付与は、出来ません……」


 付与のやり方が漏れ、万が一教会が聖石作りに成功すれば、法外な値段で売られるようになるだろう。それでは本当に必要としている人の所まで、聖石が行き届かなくなる。


「何故です?今付与が出来ないとなれば、一層怪しいですね。ただ領地で、出土しただけなのではありませんか?──とにかく、聖女かも分からない子供が持ってきた、出所不明の石を信者達に売るわけにはいけません」


「そんな……」


 リラは冷えた両手を、ぎゅっと握り締める。どうしたら付与を行わずに、聖女だと証明出来るのだろう。


「もしあなたが、本当に聖女だと言うのならば……そこのフードをかぶった子供。──その腕を切り落としなさい」


「…………え?」


 心臓がドキリと跳ね、一瞬鼓動を止めたように感じる。

 司教長が指差した先は、テディだった。


「本物の聖女ならば、切り落とされた子供の腕くらい『治療〈ヒール〉』で元に戻せるでしょう。……まさか、出来ないなどとは言いませんよね?」


 司教長が合図をすると、奥に控えていた神官が小型の断頭台をテディの前まで引き摺ってくる。リラのトラウマを抉るそれは、鋭く光る銀の刃をギラリと輝かせた。

 

「証明出来ないならば、聖女を騙った罪で投獄します。──ああ、聖石の出所については、獄中でゆっくり聞かせてもらいますから、安心してください。教会の管理の元、ちゃあんと販売していきますから」


「貴方達、最初からそれが目的で……!」


 サフランは動けない体を無理矢理動かそうとし、ギシギシと手足を震わせた。魔力が高い分身動きがとれず、苦しそうに顔を歪ませている。

 

 教会は、リラが聖女でないと踏んでいるのだろう。

 

 投獄して石の出所や付与の仕方を吐かせれば、大きな利益を得ることが出来る。製造から販売までを一挙に担えば、価格の設定まで思うがままだからだ。


 例え今リラが聖石への付与を行ったとしても、目の前でやればそのやり方は盗める。方法さえ分かれば、小娘に出来て司教に出来ないはずはない……そう思っているのだろう。

 

 テディの腕が切られた場合も「弟を見殺しにし、治せなかった偽聖女」として、市井に広がる聖女の噂を覆すつもりか。切断された腕を元に戻した話など、聖書に記載された伝説級の御伽噺しか聞いたことがない。

 

 いずれにしても、教会側は損をすることがないのだ。


「ヒールも神聖力付与もしないのならば、投獄しますよ。──さあさあ、どうします?弟の腕が切られて『治療出来ません』と泣くことになる前に、聖女でないと白状したらどうですか?」


「お、お姉さま……」


 神官が震えるテディを引っ張り上げ、断頭台に腕を乗せようとする。


「テディ!!」


 リラは悲痛な叫びを上げるが、腕が僅かに持ち上がるばかりで、動くことが出来ない。


「お、お姉さまが、投獄されるぐらいなら……腕くらい、我慢します。お姉さまなら、必ず治せますから……」


 テディは、真っ青な顔で微笑みかけた。透けるように白くて細い腕が露わになり、目には涙が浮かんでいる。


 テディは魔力がほぼ無いため、動けるのに、動かないのだ。姉を救おうとするばかりに。

 腕が断頭台の穴にはまり、上に控えた大きな刃が残酷に輝きを増した。


「テディ……!駄目、です……!!」


 ──駄目!考えて……どうにか、止める方法を……!!


 体内の魔力を神聖力が押さえつけているのならば、魔力を放出すれば動けるようになるはずだ。だが、杖が回収されてしまっている。

 

 水や炎の魔法は魔石無しでも使えるが、魔力が抑圧されたこの空間の中では、コントロールを失い家族を巻き込む危険がある。

 

 しかし魔石無しでは、他属性の魔法で一挙に魔力を放出することは難しい。──では、どうやって?


 そうする間にも、神官は断頭台の準備を進める。テディは刃から顔を背けながら、ぎゅっと目を瞑った。

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