第18話 戦場へ、共に
王城での茶会から約二年、リラは9歳の誕生日を迎えた。
アメジスト家の邸宅で行われた誕生日会には、ノアやエド、セレナにアレクまで訪れ、賑やかに幕を閉じた。
王妃教育も本格的となり、リラは頻繁に王城を訪れるようになった(パドマによる家庭教師も何故か続いている)。
その日も王妃教育を終え、リラは王城内の図書館で魔石に関する本を物色していた。
リラが脚立に乗って高い所の本に手を伸ばそうとしていると、ツンツンと何かが足に触れた。
「わあ!──驚きましたよ、ノア!」
「ごめんごめん、突然声をかけたらびっくりするかなと思ったんだけど、余計に驚かせちゃったみたいだね」
脚立の下に、白いシャツを着たノアが立っていた。
ノアはこの二年で急速に背が伸びて、リラと並ぶと頭ひとつ分飛び抜けている。
アレクが背を抜かされた時は「弟のくせに生意気な!」と、大変ご立腹だった。
「勉強が終わって、ここにいるって聞いたから」
「ノアも剣技のお稽古中だと聞きましたよ?」
「えへ……お願いして、特別早く終わらせて来ちゃった」
よく見ると、細くサラサラとした髪は乱れていて、ズボンからはシャツがはみ出している。
恥ずかしそうに髪を整えるノアの姿を、リラは微笑ましく思う。
「アレクさまは?」
「教会の里親事業が思った以上に上手くいってるから、今日も調整して回っているよ。忙しそうだけど、うれしそう」
「それは何よりです!……高い所から話すのも何ですから、今そちらに降りま……」
リラが言いかけた時だった。
ガクン、と視界がズレたかと思うと、ゴゴゴゴゴ……と大きな音と共に、空間全体が揺れ出した。脚立から放り出されたリラを、ノアが体全体で受け止める。
その上から大量の本が降り落ちてきて、二人の体を押しつぶそうとしてきた。
「『空……白〈ブランク〉』!」
リラがネックレスを握り締めながら、やっとの思いで呟くと、二人と本の間に僅かに空間が出来る。
間一髪で、巨大な本棚が倒れ込んできた。リラ達はお互いの体を、強く抱きしめる。
周囲の本や本棚が倒れる音が続いた後、次第に揺れは収まり、静寂が訪れた。
「リラ……大丈夫?」
「ノアこそ!大丈夫ですか?受け止めてもらってしまって……」
「少し腰を打ったけど、大したことないよ。……て、リラ!血が出てるよ!!」
落ちてきた本が掠ったのか、頬が線状に大きく切れ、首元まで血が流れていた。
「ごめん!ぼくが守れなかったから……」
「そんなことないですよ!これくらいならすぐ治ります。──それに今は、どうやってここから出るか……です」
リラの『空白〈ブランク〉』により押しつぶされることは避けられたが、僅かな空間の外には大量の本がある。このまま術を解けば、二人とも圧死してしまうだろう。
とてつもない重さが魔法壁にかかっているため、リラは術を維持するので精一杯だ。
ノアは稽古終わりの軽装で魔石を持っておらず、使えるのは髪色と同じ火系統の魔法だけだ。
「だけど、すごい血だよ!治さなきゃ大変だ……。でも自分相手にはヒールは使えないし、僕は神聖力の適性がないし……」
ノアはしばし考え込んだ後、あ!と目を輝かせた。
「血の契約のヒールがあるよ!ぼくが治してあげる」
「え!ノア、それは……!」
ノアはリラが言い終えぬうちに、頬の傷を舌先で舐め上げる。傷口を直接這うピリリとした痛みに、リラは思わず小さな声をあげた。
傷は治ったようですぐに痛みは消えたが、ノアは真剣な目つきでリラの頬を見つめ続けている。
「ノア……?」
ノアの顔がゆっくりとリラに近づき、リラは反射的に目をぎゅっと閉じた。
ノアは頬を伝う真っ赤な血を、唇で掬うように静かに舐め始めた。頬、顎、そして首元に。
柔らかい唇が首筋に当たり、続いて皮膚の上を這う小さな舌が、ザラザラと触れて熱い。リラは体を縮こめてその感覚に耐えながら、ノアを押し退けようとするがびくともしない。
「ノア、何をして、」
「ちょっと、待ってて……」
流れた血を全て舐め終えると、ノアはリラを抱きしめて大きくため息をついた。
「……自分がヴァンパイアの末裔だって、初めて思い知ったよ」
「え?」
「なんでもない。……でもこれで、ここから出られると思う」
見ると、ノアの髪の毛が真っ黒に染まっている。ノアは目を閉じて、両手を床につけた。
「『重力〈グラビティ〉』!」
ノアが唱え終わると、大量の本がふわりと空中に浮かび上がり、本棚が元の位置に戻る。二人の頭上に空間が出来ると、周囲に浮いていた本が一斉に音を立てて落ちた。
「無属性魔法は、初めて使ったけど、上手くいったみたいで良かった……」
ノアはその場にぺたんと座り込み、肩で息をしている。髪色はすでに、いつもの赤色に戻っていた。
「ノア!すごいです!脱出するために、血を舐めたのですね!血の契約の力で髪色が黒くなると、無属性魔法も使えるようになるのですね……!」
「え?……まあ、うん……そうだよ……」
ノアはバツの悪そうな顔で頬をかいているが、周囲の様子に気を取られているリラは気が付かない。
「ノア、ありがとうございました。魔力をかなり使ったみたいですが、歩けますか?」
「うん……大丈夫。リラも相当疲れているでしょう?ぎゅっとして、ぼくの魔力を分けようか?」
「もう!……ふざけている元気があるなら大丈夫ですね、行きましょう」
ふざけてるわけじゃないのになあ……と呟くノアの手を取って、リラは本の山を乗り越えていく。
二人とも本を元に戻す魔力が残っていないので、取り敢えずそのまま図書室を出ることになった。
「何、これ……」
廊下に出ると、壁に飾られていた絵画は落ち、調度品は倒れ、城内は酷い有り様になっていた。
使用人達が声を上げながら、慌てて廊下を駆け回っている。
後で知ったことだが、大地震は王国中に及び、各地で甚大な被害をもたらしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
その日、リラは大急ぎで自宅に戻ることになった。
所々道が崩れかけているせいで、馬車は時折大きく揺れる。固く握った手は冷え切り、心臓がドクドクと早鐘を打っていた。
──家族は、無事だろうか。
前回までのループで大地震が起こった時、リラは自宅にいた。
今と王妃教育の進み具合が違うため、自宅で勉強している時だったのだろう。
過去の記憶により大地震が起きることは分かっていたが、幼い頃の記憶だったためか、何年の何月に起こるかが曖昧だった。
──過去そうだったからと、地震が起こるのは家に居る時だと油断していました。今日だと分かっていたら、家を離れなかったのに……。
と、リラは唇を噛み締める。
過去7回の大地震の時、家族はみな無事だったが、今回は状況が違う。
テディが家族に加わっているし、リラは自宅に居ない。家族がどの部屋にいるか、過去と変わっている可能性がある。
馬車が邸宅の前に着くと、リラはたまらず飛び降りた。家を囲む壁が崩れているが、そこまで大きい被害ではなさそうだ。
「リラ!!──無事で本当に良かった」
リラが帰ってくるのを、窓から見ていたのだろうか。
父マシューが弾丸のように飛び出してきて、リラを抱きしめた。大きな体が微かに震えている。
「お父さま!──お母さまとテディは?家のみんなは!?」
「サフランもテディも無事だ。それにマリーたちも。……少し怪我をした人もいるけれど、みんな無事だよ」
その言葉を聞いて、リラはへなへなと座り込んだ。
──本当に、本当に良かった。
リラの目から、涙がこぼれ落ちてくる。
リラを抱き上げながらマシューが話したことによると、サフランは領主として領地の様子を見に行ったらしい。
テディもそれに同行して、怪我人にヒールをして回っているようだ。
二人も夜には自宅に戻り、ひとまず一家団欒の時間となった。
山間部の村の被害が酷かったものの、幸いなことに亡くなった人はいなかったらしい。
家族の顔が見られて皆一安心し、疲労の中でも笑顔で話す余裕があった。
・・・・・・・・・・・・・・・
その日から1ヶ月ほど、一家総出で領地復興に駆け回る日が続いた。
テディは領地の各教会を訪れてヒールをして回り、リラは壊れた家の修復や果樹園の木の治療を行なった。
マシューはその筋力を活かして各地の大工仕事を手伝い、サフランは領主として視察や事務仕事に追われていた。
久しぶりに家族全員が揃った夕飯時、サフランが蒼白な顔で切り出した。
「ジーフ山の麓で、強力な魔物が発生しているそうです。周辺の村の住民は避難させましたが、近く討伐に参らねばなりません」
その言葉を聞いた瞬間、リラの心臓が大きく跳ねた。サフランが話す言葉が頭に入ってこない。
「お母さま!行ってはなりません!!」
「……リラ?大丈夫ですか?」
血の気の無い顔で椅子から立ったリラを、サフランが心配そうに見つめた。
「お母さまは……行ってはなりません……」
「……先見で、何か見たのですか?」
リラはカタカタと震えながら、小さく頷く。
「もしくは、私を一緒に連れて行ってください!魔力も強いですし、ヒールも使えます!役に立ちますから……」
「あなたはまだ9歳です。危険な討伐に連れて行くわけにはいきませんよ」
「……でも……」
「あなたがそれほど怯えるなんて、よほど悪い状況なのでしょう。……ならばなおさら、あなたを連れて行くわけにはいきません」
リラはなすすべが無く、涙が溢れ出るのを止める事が出来なかった。珍しい姉の姿に、テディがおろおろと慰める。
──母は、死んでしまうのだ……この討伐で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます