第19話 4−4−1 悪意の暴走

 地上では様々な勢力が動き出していると露も知らぬギルフォード。


 彼を先頭に、魔王軍でも屈指の戦力、というか魔王その人が後ろへついてきていた。迷宮を探索し始めて数時間。外では既に真夜中になる時間だ。


 この迷宮を踏破しているのは実質ギルフォードの力のみだ。イーユもルサールカも、その後ろにいる三つ首の犬の魔物──ケルベロスのローちゃん──もついてくるだけで、何もしない。魔法も使わない。


 辺りに光源を出しているのも、魔物がいないか索敵の魔法を使っているのも、魔物が出てきて対処するのも、全てギルフォードがやっている。マップ作成も何もかも、ギルフォードの仕事だ。


 存外一人で閉じ込められても、今のように迷宮を攻略していたかもしれない。


 索敵の魔法で近付いてくる魔物を感知して、その魔物を倒せる最低限の中級魔法で節約を同時にしながら最適解を導き出す。


 その結果、あまり疲労しないまま迷宮を進めていた。


「今更だけど、魔王様の前で魔物を倒しちゃって大丈夫なの?」


「ええ、構いませんよ。魔物にも種類があって、魔王軍に所属する者。野生に生きる者。迷宮に産み落とされて知性などない者。迷宮では魔物が自動的に産み出されてくるので、正直わたしの管轄外です。野生の魔物を全滅させられたら困っちゃいますけど、迷宮の魔物は滅ぼせませんよ」


「それってこの迷宮に仕掛けられた魔法陣と何か関係あるの?」


「ご明察です。迷宮の製作者……とある傍迷惑な存在が遊びで作ったダンジョン。そしてダンジョンらしくあれと気ままに作った残り香、と言いますか。作った本人たちはこの迷宮のことなんて忘れていそうですが」


 ギルフォードの眼にはこの迷宮そのものに仕掛けられた巨大な魔法陣さえも見抜いていた。それが発動する度に魔物が増えているのだ。


 探知の魔法を使わずとも魔物が産み出されるのは感知できるが、その魔物が迷宮のどこに配置されたかまでは眼で追えない。ギルフォードの眼がマナを追えるとはいえ、視力の問題で限界はある。


 彼は千里眼を持っているわけでも、透視ができるわけでもないのだ。透視は魔法を使えばできるが、そこまでしていたらマナが切れてしまう。


 何日潜ることになるかわからないので、ギルフォードは無駄な魔法を使わない。その常在戦場の意識はイーユとルサールカも感心するほど。


 だがルサールカは、ギルフォードのフランクな話し方が気に喰わなかった。


「イーユ様。何故御身は人間にあのような敬意もない話し方を認可されていらっしゃるのですか?王だと示したのであれば、あの態度は不敬が過ぎます」


「んー。別に他の人がいる場所であんな感じじゃなければ良いと思いますよ?魔王城やエルフの国でああだと他の方々も怒ると思いますが、ここにはわたしたちしかいないので」


『グルルゥ』


「ローちゃん様まで⁉︎いえ、私が融通の利かない性格なことはその通りですが……!」


 始めて聞いたケルベロスの声に、ギルフォードは振り向いてルサールカとケルベロスの方を見てしまう。


 イーユもローちゃんと呼んでいたのでローという名前なのだと思っていたが、ルサールカがローちゃん様と呼んだことで名前に自信が持てなくなる。


 なので、イーユに聞くことにした。


「イーユ。あのケルベロス?の名前はローちゃんなの?」


「ローちゃんの呼称は……ルサールカたち第二世代の魔王軍幹部は皆さんローちゃん様って呼びますね。第一世代の皆さんはローって呼ぶかわたしみたいにローちゃんって呼びますよ」


「ルサールカだけがおかしいわけじゃないんだ……」


「まるで私がおかしいみたいなことを言うのはやめろ⁉︎ここが魔王城だったら貴様を八つ裂きにしているぞ!」


「ルサールカ。メッ、です」


「……はい」


 まるで母親が悪いことをした子供を叱るかのようにルサールカを嗜めるイーユ。


 その姿は到底、昔人類圏の国を一つ滅ぼし、勇者候補を幾度も喰い潰してきた魔王には見えなかった。


 むしろその対比となる、慈悲深い女神のようだ。


 イーユの正体とはギャップのある姿も気になったが、ギルフォードが気になったのはもう一つ。


「ルサールカ、ローちゃんの言葉がわかるんだ?」


「同じ魔王軍の幹部同士だぞ!意思疎通もできなくてどうする⁉︎」


「いや、俺には唸り声にしか聞こえなかったから。イーユにもわかるの?」


「もちろんです。こう見えてローちゃんはかなり理知的なんですよ?様々な魔導具の開発にも携わっています」


「へー」


 ギルフォードは興味深く頷く。魔物の生態の一端に触れているようで知的好奇心が擽られてしまっていた。


 ギルフォードにとって魔物とは倒すべき敵でしかなかった。これまでも多数の魔物を屠っている。人類のために、そしてギルフォードが生きるために、倒してこなければならなかった。


 そんな魔物たちも人間と同じように意思疎通をこなしている。魔王のイーユは軍の運営のために書類仕事もしていると言っていた。


 魔物への価値観が一気に変わった日だった。


「……おい、人間。その態度をイーユ様が許可されているからそれは見過ごそう。私への態度も、私は心が広いから見過ごしてやる。だがな、もう深夜だぞ!いつまでイーユ様を歩かせるつもりだ!さっさと休養を申し付けろ!」


「え、そうなのか?この中は真っ暗だし、時計も持ってないから気付かなかった」


「そう言われると眠くなってきましたね」


 ギルフォードとイーユは外の時間なんて気にしていなかった。特にギルフォードは脱出することばかり考えていたので時間なんて考えている余裕もなかったと言える。


 まだ出口なんて見えないのでそんなに進んでいないとはギルフォードも思っていたが、全然だった。昼過ぎに閉じ込められて十時間以上経過したが、進んだのは約五分の二といったところ。


 ギルフォードは眠気なんて襲ってきていなかったので時間感覚が狂っていても仕方がないだろう。


「じゃあ休もうか。……迷宮の中で普通に寝ようとしてるけど大丈夫なのか?魔物だって来るだろうし……」


「そこはクロに見張りをさせるので大丈夫ですよ。……ふあぁ〜ぁ。すみません。そろそろ限界みたいです」


「あー、そんなに遅い時間だったか。ごめん」


「まったく!イーユ様は一日八時間は眠らないといけない身体だというのに!無理をさせて!」


「……超健康良児だな」


 ルサールカがプンスカしながら超級魔法の物質創造で寝床を作っていく。豪華な天蓋付きのベッドが出来上がっていた。迷宮にある物としてはかなり不自然だ。そこへ無抵抗に入り込んでいくイーユ。


 ケルベロスも身体を横にして、ベッドの外にはずっとイーユの腕の中にいた黒猫が見張りのように立っていた。


「あの、俺は?」


「その辺で寝てろ。私の役目はイーユ様の寝床を用意するだけ。貴様の分は管轄外だ」


「まあいいや。まだ眠くないし」


「……貴様、イーユ様を健康児だと言ったな。なら貴様はいつもどのくらい寝ている?」


「んー。二時間くらい?」


「……人間にしてはずいぶん少ない睡眠時間だな?」


 ルサールカとて知識として人間の生活の常識くらい知っている。二時間程度の睡眠では普段の生活に支障が出るほど少ない時間だということも。


 それでも無理をしているようには見えなかったので、聞くような言葉尻をしてしまった。


「寮の部屋にいると危ないからね。たまに襲撃されるんだよ。妾の子のくせにって」


「人間は醜いな。正妻かどうかなど些細な違いではないか。後妻は赦されているのに側室は許されないと、バカなのか?」


「貴族っていう選民思想を植え付けられた種族は、そんなものなのさ。国によったら一夫多妻制も認められているけど、クリフォト国でそれは許されていない。あくまで正妻を立てて、他の愛のある関係は側室か愛人としか呼ばれない。立場も異なる」


「側室の子の方が優秀なことだってあるだろう。それが遺伝というものだ」


「だねえ。腹違いの人間で能力を認められるとしたら、王族かその家の存続の危機か。そうでもなかったらスペアにもなれないんだよ」


 クリフォト国の説明をしていくと、その歪なシステムにルサールカは眉間の皺を増やしていた。


 貞淑なのか奔放なのか、二つに一つではなく中途半端。


 そうとしか言えない社会のシステムだった。


「貴様は襲撃されるのが嫌で、夜は避難していると?」


「そんなところ。と言っても、母上が亡くなってから一人で生計を立ててたから、夜の仕事はもう日課みたいなものだけど」


「夜の仕事?……ああ、報告書で読んだな。確か魔物の討伐を非合法でやっているとか」


「ウワァ。魔王軍の情報収集能力凄いなあ。そんな前から俺のこと注目してたんだ?」


「フン、当然だろう?この『楽園』を守護、管理している我ら魔王軍だ。禍罪らしき子が居たら調べるに決まっている」


「え?いや、嫌味だったんだけど……。まあいいか」


 ギルフォードが皮肉で言ったことを、純粋に所属する組織が褒められていると捉えたルサールカ。


 最近ギルフォードはルサールカがポンコツなのではないかと疑い始めている。メイドとしては完璧なのに、イーユや魔王軍のこととなるとちょっとやらかす。視野が狭い。


 そんなこと、絶対に口には出さないが。


「ローゼンエッタ家に引き取られてからは生計を立てる必要は無くなったはずだろう?なのにどうしてまだ夜の仕事をしている?」


「それだって最低限で、俺が好きに使えるお金なんて全くないんだよ。だから自分のやりたいことに使うお金は自分で稼ぐ。それしかないんだ。何かあった時に、お金は必要だし」


「ふむ……。自立せざるを得なかった、ということか。しかしずっとその感じでよく保つ。こればっかりは感心するぞ。人間としてはな」


 ルサールカに生き方を褒められるとは思わなくて、ギルフォードは頬を緩ませる。


 他人に褒められるなんてほぼ経験してこなかった。だが最近、学園に入学してからは少しずつ増えてきたように感じる。


 それが純粋に嬉しかった。


 その様子を感じ取ったルサールカは、この程度で喜ぶ目の前の男に呆れていたが。


「まだまだ子供だな……」


「ギルフォード〜。そんな睡眠時間じゃダメですよ〜。わたしのベッドとても広くて空いてるので、一緒に寝れますよ〜」


「イーユ様、寝ぼけていらっしゃいますね⁉︎そのようなこと仰らないでください!ドラっち様が大号泣されますよ⁉︎」


 天蓋のカーテンがちょっとだけ開いて、イーユが目を擦りながら戯けたことを言い始めたのでルサールカが怒鳴りながら寝かしつけにいく。


 ドラっち様って誰だろうとか、母上以外の誰かと一緒に寝たことはないなあとか考えながら、ルサールカ監視の元ギルフォードは寝袋で寝た。


 その寝袋も、ルサールカが用意した超級魔法である。

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