第18話 4−3−2 悪意の暴発
リリアーヌは授業を終わらせる鐘の音を聞いてすぐ、四学年の教室を訪れていた。放課後にHRは存在しない。六限が終わればそのまま解散だ。
放課後になればお茶会を開いたり、男女の愛を囁く時間になったり、魔法の訓練や勉学の復習に当てたり。それは様々だ。リリアーヌの目当ての人物の場合、すぐに家に帰って準備を整えた後に王城へ向かう支度をするはずだ。
残念ながらその予定はキャンセルか、遅らせてもらうしかない。
レインに扉を開かせて、お辞儀をしてもらった後二人してリリアーヌの姉の席へ向かう。
一学年が四年生を訪れるのが珍しいからか、それとも偽りの首席ということが知れ渡っているからか、それともクラスにいる公爵家の妹が現れたからか、肩に赤い太った鳥を乗せているからか、理由は様々だがかなり注目されていた。
「アリアお姉様。緊急事態です。ご相談がございます」
「わざわざ教室に来てまでのことかしら?家に帰ってからでは遅かったのね?」
「はい。話は馬車の中で。いつもの方々にも話せないことです」
「そう。わかったわ。今日は一人で帰る。ミーシャ、伝えてきて」
「畏まりました、お嬢様」
アリアリーゼ・ソラウ・レ・ヒュラッセインに仕えている女性の使用人、ミーシャが頭をアリアリーゼとリリアーヌに下げた後、いつもの方々──密な関係である女性達へ一緒に帰れないことを伝えに行った。
アリアリーゼは一人で帰る支度をする。
「行きましょうか。……リリアちゃん。最近はいい表情をしていたけれど、今はとても険しいわ。笑いなさい?あなたの笑顔はとても魅力的なのだから」
「……え?」
「その緊急事態が関係しているとは思うのだけれど、危機的な状況だからこそ笑うのです。それが公爵家としての義務であり、世界一可愛いわたくしの妹としての責務ですわ」
そう笑顔で言い切るアリアリーゼの姿が、リリアーヌには眩しかった。
完璧すぎる姉。魔法も学業もソツがなく、婚約者との関係も良好でイズミャーユ教の熱心な信奉者で、姉としてもかなりの人格者。
たとえ公爵家の娘として不出来でも、妹としてずっとリリアーヌを愛してくれる絶対の味方。こんなにも強く美しい身内は他にいない。
ミーシャが戻ってくるのと同時に、公爵家の馬車に乗り込む。いつもであればリリアーヌとアリアリーゼは別の馬車で帰るのだが、今日はいつもアリアリーゼが使っている馬車を使った。リリアーヌの方の馬車は空で帰ることになる。
「それで?話というのは公爵家に関わること?」
「はい。……テセウスの迷宮が、開かれました」
リリアーヌは隠さずに事実を伝える。
友達であるイーユから第二王子ガルシャの側近パーサーに不審な動きがあったので、付き人であるルサールカが調べたところ、迷宮の扉が開いてその中に侯爵家の三男ギルフォードが閉じ込められたこと。
おそらく王族による私刑だが、ガルシャの命令かどうかは判別が付かなかったこと。
イーユも出来る限りのことを協力してくれると約束してくれたこと。
フェニクスも迷宮の扉が開いたことは感知できたこと。
ルサールカは扉が開いて閉じ込められる様子は見たが、救出しようと扉を開こうとしたら開けることができなかったとのこと。
そこまで関わってしまったために、イーユとルサールカにはテセウスの迷宮については教えてしまったこと。
これら全てを話し終えても、まだ屋敷には辿り着かなかった。
「なるほど。エルフの方々に話してしまったことは不可抗力でしょう。扉も見られてしまったことですもの。そして私刑に即して迷宮を使うことですが……わたくしも知りませんでした」
「っ!ということはやはり、王家かパーサーの独断……?」
「王家の独断かどうかはわたくしがこの後聞いてきますわ。……そう。あの子が私刑の対象に」
「お姉様はギルフォードを知っているのですか……?」
「ええ。色々と特殊な子ですから。学園でも貴族内でも話題になっています。わたくしが卒業するまで、学園で不祥事を起こされても困りますから。……悪いのはあの子ではなく、周囲の幼稚性でしょうけど」
リリアーヌと同じ亜麻色の髪を少し巻いた、淑女らしい長い柔らかい明るさを彷彿とさせ。瞳も澄んだ翡翠に叡智を思わせる深い、愛情のある表情がしっかりとした母性を感じさせ。
国母となるに相応しい面影も思慮も併せ持った、完璧な女性。
この人になら国母を任せられると、国中の女性が諦めのつく母の体現者。
たった三つ違うだけの姉。
その姉が、ギルフォードのことを知っていて、しかも心配してくれているというのがリリアーヌには嬉しかった。
さすが、敬愛しているお姉様だとこの話を聞いて初めて頬を緩めた。
「でも、そう。やはりリリアちゃんはギルフォード君と関わりがありましたか。最近魔法の調子が良いのも、フェニクスを喚び出せたのも、あの子のおかげ?」
「き、気付いて……?」
「リリアちゃんの現状を変えられるとしたらあの子しかいませんから。……そう。またなのね。あの子の実力、ちゃんと観衆の前で見せつけなくてはダメかしら……?」
「え、あの?お姉様はギルフォードと面識があるのですか……?」
リリアーヌとしては意外だった。ギルフォードは色々と目立ってしまう風貌と噂があっても、貴族として最上位のアリアリーゼがまるでよく知っているかのように語るのだ。
ギルフォードからそういった話を聞いたことがなく、禍罪ということも考慮して交流関係なんてロクにないと本人が言っていた。貴族として社交界デビューもしていないギルフォードがアリアリーゼとどこで会っていたのか、全く予想できなかった。
「会ったのは精々三回ほどですよ。それだけですけど、あの子の境遇は全て知っています。……リリアちゃんはお父様へ鍵と私刑について確認をとって。わたくしは王城へ行きますわ」
「わかりました。お姉様、お願いいたします」
「……開戦の狼煙になりそうですわね。あの人の地盤固めのためにも、結婚を早めてもらおうかしら?」
窓の外を眺めながらこの国のことを憂うアリアリーゼの姿も。イーユに負けず劣らず絵になる美しさだった。
・
クリフォト国王城、イグド城。
国で一番荘厳な白亜の城で、大貴族となれど用事がなければ入ることのできない王族にのみ許された居城。王が住み、何かあった際に集まる場所は真ん中の一番壮大な城だが、アリアリーゼの用があった場所はその隣にある離宮だ。
その離宮にアリアリーゼは顔パスで入ることができる。
それは離宮の主、ブラム・フレア・コウラム・ゼブストス=クリフォト第一王子の婚約者だからだ。
アリアリーゼとミーシャは離宮の中に入っていくのではなく、中庭へ一直線に向かっていった。離宮の中にいる時間帯ではないとわかっていたからだ。
そしてその予想通り、ブラム王子は中庭で鍛錬をしていた。人の背丈を越える棒状の鉄の塊を振り回し、上半身裸で型に合わせてとにかく振る。汗が尋常ではなく出るために、上着は邪魔だと脱いでいるのだ。
淑女の前で安易に肌を見せないで欲しいと普通の淑女なら思うだろうが、この場にいる淑女はミーシャたち使用人を除いてブラム王子の裸を見ても問題ない関係の女性だ。使用人には我慢を強いているが、そこは貴族の中でも上位の家系に勤めている者たち。
主人が是と言えば、王子の柔肌を見ることくらい我慢するのだ。不敬だとして裁かれることもないのだから今ではすっかりと慣れている。
いや、柔肌は訂正しよう。ブラム王子は年柄年中身体を鍛えているため、腹筋もバキバキに割れて素晴らしいと褒めたくなるようなシックスパックを作り上げ、上腕筋なども鍛えられているために腕も足も太くがっしりとしている。
背丈もアリアリーゼと頭二つ違うほどの偉丈夫。巌のような人間だった。
厚く、大きい。誰もが頼もしさを感じる理想の男性像。
その体現をしている者がブラム王子だ。
魔法で栄えているクリフォト国ではここまで身体を鍛えている男性は珍しい。騎士の家系だったり、前線で身体を張って戦う人間なら少なからずいるが、彼は王子なのだ。
異様、としか言いようがない。
そのブラム王子がアリアリーゼの到着に気付くと、素振りをやめて近くにあった机からタオルを持って汗を拭う。そのまま上着を羽織ることなくアリアリーゼに近付いた。
「アリア。ライラとシェリーから遅れると聞いていたが、公爵家絡みの厄介ごとか?」
「いいえ、ブラム。王家も関わることですわ。テセウスの迷宮が使われました」
「何?オレは何も聞いていないぞ。公爵家の独断か?」
「そのようなことを我が家がするとでも?第二王子の側近の独断である可能性が、ブラムのおかげで高くなりましたわ」
「ああ……。弟はあの迷宮があるアドラメラク魔法学校に通い出したのだったか」
ブラムは最近何かと動いているガルシャのことで考えを巡らせる。テセウスの迷宮のことと、聖女降臨の儀を成功させてからの弟の行動の数々。
だが、弟の側近についてはどんな者だったか思い出せなかった。誰が学園についていっているのかまでは把握していなかったし、弟も第二王子というだけあって使用人が多い。その一人一人を全て覚えているはずがなかった。
弟といえども、言ってしまえば政敵。お互い離宮で暮らしているので用がなければ王城でも顔を合わせず、学園に通い出してからはその頻度は更に減った。
弟の方から仕掛けてこなければ政争にもならないので、ブラムは宣言があるまで地盤固めと自分を鍛えることを優先した。
弟が正規の手順を踏んで政争を宣言しない限り、国民に正統なる国王と認められないからだ。もしクーデターでもすれば国民や貴族からの信頼を失くして国が立ち行かなくなる。それがわからないほど弟も愚かではないだろうと信頼していた。
その弟が、目障りになったからと独断で迷宮を使用するか、ブラムには判断が付かなかった。
「動機だの独断かどうかなど二の次だな。私刑が行われたのなら救い出さなければ。王家と公爵家の取り決めを守らずに行われた私刑なんて無効だ。アリア、被害者の名前は?」
「あなたとわたくしの恩人。──ギルフォード・ムゥ・ローゼンエッタですわ」
「──何だと?ギルが?……魔法の才能に嫉妬?知識か?いや、禍罪と知って……?ええい、あまりのことに混乱した!すぐに対策を考える。父上にも報告せねばなるまい。アリア、一緒に来てくれ。ライラとシェリーはすまないが今日のところは家に戻ってくれ。これは王家と公爵家の問題だ。まだ、お前たちに頼める事案じゃない」
「畏まりました。ですが上着を着てくださいませ」
「私たちは気になさらず。ブラム様。ですが何か力が必要ならばすぐにでも。いつでも力になります」
「あたしもです」
「助かる。……ギル、待ってろよ!お前をみすみす殺したりはしない!今度はオレが救う番だ!」
ここに王位継承位第一位も動くことが決定。
ギルフォードが知らないところで国を揺るがす巨大な事件になりかけていた。
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