第12話 3−3 編入者と変化

 放課後になって、いつものように第三校舎の空き教室へ一番乗りで待っていると、イーユとルサールカがすぐに来る。同じ時間に終わってすぐ向かう俺と、教室で他の生徒に捕まるイーユじゃ時間差がついても仕方がない。


 本当に人気者だな、イーユ。


 最後にリリアーヌ嬢とレイン殿がやって来るのがいつものこと。何故かこの二人が来るのが遅い。その理由は聞いていないが、おそらくレイン殿がお茶の用意をしているからだろう。


「お待たせいたしました。ギルフォード、今日は災難でしたわね」


「ああ、いえ。聖女様はなんというか勘違いをなさっていたようで。この黒髪が珍しかったのでしょう」


「あの方は本当に……。なんというか、貴族の掟を知らないままこの学校に来ていることが目に余ると言いますか。貴族位を持っていない生徒でも最低限のことは学んでから入学して来ますので」


「異世界の方だから、でしょうね」


 リリアーヌ嬢は眉間を抑えながら、レイン殿に淹れてもらったお茶を飲む。


 クンティスに言われたことは言わなくていいだろう。そもそもクンティスの存在をどうやって伝えればいいかわからない。イーユにだけわかる話をするのもどうなんだ。ルサールカが知っているかもわからないのに。


「リリアーヌさん。そんなにかの聖女様は目に余りますか?」


「はい。授業中もガルシャ殿下と席をくっ付けて雑談しながら授業を受け。ずっと二人でベッタリ、周りの女性の嫉妬の視線なんて気付いていません。授業内容もほぼわかっていませんわ。先程魔法の実技の時間がありましたが、どうやら公表されている魔法以外使えないようで」


「あら……。イズミャーユ教の信者でも回復魔法、防御魔法の他に光の攻撃魔法が使えるはずです。彼女がイズミャーユ教ではないからでしょうか?」


 リリアーヌ嬢の話を聞くと、異世界のニホンとやらはあまり教育に熱心ではなかったのか、それともクンティスの言葉通り存在が変質してしまってしまった結果なのか。


 元々の人物も、彼女のいた異世界も知らないために、推測しかできない。


 さっきイーユが言った三つの魔法はイズミャーユ教徒の特権魔法だ。彼ら以外の普通の魔法使いは基本使うことができない。


 だけど一部の家の固有魔法で、その三つが得意だという家もある。そういう家は更に精度を高めるために敬虔な教徒になったりする家もあるけど、まあちょっとは例外がある。


 聖女様はそういう例外と同じようなものだと思えばいいんだろう。


「異世界では神の在り方も異なるのでは?」


「そうですね。一柱だけではない可能性はあります。……しかし、聖女ですか。イズミャーユ教ではないとしたら、何をもって聖女と呼ぶのでしょうか?」


 イーユの疑問に、ルサールカが眉を大きく動かしていた。主人の言葉に何か疑問があったのだろうか。


「イーユ様。それではあの聖女は偽者だと?」


「何が偽者なのでしょうね。ルサールカ。あなたは聖女とはどんな存在だと思う?」


「イズミャーユ神の祝詞を聞き届け、民衆へ伝える者。でしょうか」


「それでは大司祭様と変わりありませんよ。彼らだって神の言葉を聞いたと言っていますから。……聖女とは、民衆の希望となる者。何かを変える者だと思うのですが。……ふふ。この平和な世界で何を変えるのでしょうね?存在意義を疑ってしまいます」


 その言葉に、背筋に冷たいものが流れた。今すぐにでもこの場から走り去りたかった。


 何でリリアーヌ嬢とレイン殿は彼女の異常性に気付いていないのか。


 ルサールカは歓喜の表情を隠しながら浮かべているのか。


 イーユの美しく、冷酷な言葉に何も感じないのか。


 イーユはリナという聖女が、どうなってもいいと切り捨てた。むしろ邪魔をするなら排除すると言っているに等しい。


 聖女論は、あくまでイーユの意見でしかない。けれど彼女はその持論に則って、この平和な時代に要らないと言った。


 彼女はクンティスという天使の存在を知っているからこそだろう。だからあの聖女の異物性を理解している。


 彼女の、世界への愛を感じ取ってしまったがために、俺は恐怖した。


 ──ああ、やっぱり彼女は……。


「存在意義、ですか……。確かに魔王がいた時代なら聖女様を旗頭にして、徹底抗戦もあり得たかもしれませんが、新しい魔王が現れたとも聞きません。いくら王族が保護しているとはいえ、強大な力は危ないので……。他の国にも目を付けられるでしょう」


「リリアーヌさんが言うように、強すぎる力は国内でも国外でも注目されます。強い魔物は多国籍連合で倒されると聞きました。……その力の使い道がなく、こうも大々的に発表されてしまって。むしろ混乱の元となってしまうかと、不安になります」


 この世界を憂慮している声色のイーユ。それも本当なのだとわかって、この感情の揺れ幅が辛い。


 イーユの切り捨て思考の冷たさと、確かな世界への愛の暖かさと。


 イーユという人間に収まった彼女の在り方が、恐ろしい。


「イーユさんは、彼女を巡って争いが起こると?」


「大きなものはすぐ起こるとは思えませんが……。誘拐など小さなことは起こりそうです。強力な力を個人で保有しているのであれば、その個人を囲えばそのまま戦力比の移動になります。小国などは確保に動きかねません。魔物の被害状況が深刻な国などは必死になるかもしれませんね」


「魔物は本能で動きますから。国の状況なんて気にしません。生き物がいれば狩る。理性的な魔物なんて極一部で、あとは太古の魔王軍くらいでしょう。……そんな例外の魔物も、国の状況なんて気にしない、かな?」


「ははは。むしろ内輪揉めとか調べて労力なく国を滅ぼそうとするかもしれませんよ?」


 イーユは朗らかに笑って魔物の知性を認めるけど。


 そんな風に魔物に滅ぼされた国は多くない。純粋に魔物の群れに防衛網を破られて滅ぼされたとか、ありきたりな理由。


 戦略や軍略を持ってして魔物が国を滅ぼしたという記録はない。


 そんな事実があったら今頃世界は魔王軍を警戒してもっと対策を練っている。魔王軍がいたなんて覚えている人がどれだけ残っているだろうか。


 それほど今は平穏だ。平穏に慣れきっている。


「そういえば王子様は何で一学年に編入なさったのですか?確か一つ上の学年でしたよね?」


「聖女様とイチャつくためでは?」


「……え?本当にそれだけの理由でわざわざ下の学年に?お二人の関係って公表されていましたか?」


「されていませんが……。婚約関係だと知られることは時間の問題かと。かなり話題になっていますから。……その事実を見せ付けるための学校生活なのかと邪推してましたわ」


 その噂は確かに学園中に広まっている。第二王子と聖女様は婚約関係なのではないかと特に女子生徒が憚られることなく語っていた。


 外堀を埋めるためかどうかは知らないが、そんな噂が出てしまう程度には目立ってしまっている。貴族ともなれば情報はかなり大事。家同士の関係を強めるために最も簡単な方法が結婚なので、それなりの立場の貴族子女たちは殿方の交友関係から婚約に関する情報を必死に集める。


 今夜寮に入っている女子生徒は実家に戻るか手紙を出すだろう。今までフリーだった最大の玉の輿、第二王子が取られた可能性があるのだから。


 推測にしかなっていないけど、実際どうなのか。王子自身はどう考えているのか。


 国の今後を左右することだから結構気になる。


「クリフォト国はおかしな国ですね……。いくら第二王子とはいえ、成人している王族に婚約者がいないなんて」


「第一王子には婚約者がいたので、政争にならなければ国は安泰ですから。婚約者云々はエルフの国でも同じなのですか?」


「いいえ。エルフは特殊で、婚約者なんて選びません。そもそも王族の選出方法が『精霊の愛し子』であること。どれだけ自然と精霊に愛されているかなのです。ですから、わたし以上に愛されている者がいればわたしはこの座を簡単に渡しますよ?」


「それは……随分と特殊な。我が国のことを言えないのでは?」


 知らなかったエルフの国の実情。愛し子こそが統治すべきというのは面白い。


 それで国が成り立ってしまう統治体制も。


 クリフォト国をおかしいと称したイーユに堪らずリリアーヌ嬢は反論をしていた。


「もし当代の愛し子が亡くなったら次の愛し子を選定するだけ。政治は様々な人が関わっているので世代交代もすぐです。わたしもほぼお飾りですから」


「様々な国がありますね……。我が国は王政なので国王陛下が陣頭に立って物事を動かします。ですから王族も、結婚して国母になろうとする女性も政治がわからなければ務まりません。貴族の子女は特にその辺りを将来のために学びます」


「あら。では聖女様は政治面で婚約者失格ですか?」


「そうなります。これから学ぶのでしょうが、アドバンテージと、下手にある異世界の知識が邪魔になるのではないかと。そんな人物が国母になられたら、この国の女性が嘆きますわ」


 ああ、自分より能力の低い人間が上に立つことが許せないと。国のことに口を出せる立場になる人間が無知で、その結果国が傾いたらと考えたら恨み辛みも言いたくなってしまうのだろう。


 幼少期から努力してきたからこそ。その努力が結ばれないことはおろか、生まれ育った祖国が沈みゆく光景なんて見たくはないだろう。


 その気持ちは、わからなくはない。


「国ごとに特色が現れることは当然ですが。この国はポッと出の異世界の女性に奪われたわけですから。国を想う女性こそ、悲しむでしょう」


「一番の解決案は、第一王子がこのまま王位に就くことですね。順当に行けばそうなるはずですが、王位継承戦争が勃発する可能性も高くなりましたので……」


「ルサールカ、危険かしら?」


「長期滞在は考え直すべきかと。他国のいざこざに巻き込まれましたら、エルフの国が黙っていないでしょう。全面戦争が起こる可能性もゼロではありません」


 イーユはリリアーヌ嬢から王位継承戦争という名の内紛の可能性を聞いて、ルサールカと今後について話し合う。


 いくら愛し子というシステムを用いているからといって、国のトップが巻き込まれて死んだとなれば国民感情は爆発する。エルフのことは詳しくないとしても、友好目的で送り出した王族が内紛に巻き込まれた、ましてや死んだとなれば。


 報復行動に移る。


 ルサールカの言うように、他の国も呼応して世界中で戦争になる可能性がある。


 クリフォト国は世界に名だたる大国で、他の諸国からすれば目の上のたんこぶだ。そこが内紛でガタガタになって、魔法に聡いエルフがトドメを刺してくれたら。


 我こそはと立ち上がる国が多そうだ。


 決してありえない推測ではない。


「……フゥ。嫌ですね。せっかく異国に来て友人に出会えたのに。異世界からの来訪者を王族に迎え入れる。言葉にすればそれだけなのに、こうも大事になってしまう。異世界とは怖いものですね」


「そうするとイーユさん。五年を待たずに帰ってしまうのですか?」


「そうなるかもしれません。わたし以外のエルフを選ぶとなったら国も揉めるでしょうから」


「イーユさんはまだ十五ですもの。いくらエルフが長寿といえども、イーユさんほどの方はすぐに見付からないのでしょう?」


「わたしのマナは常人より多くて澄んでいるのだとか。精霊にほど近いそうです」


 愛し子の選定条件はマナの純度、とかだろうか。精霊に近いと感じる感性、共感をどれだけ得られるか。そんなところかもしれない。


 精霊はすでにこの世界を去って久しい。森妖精と呼ばれるエルフは地上に残った最後の精霊とまで言われている。それだけ幻の存在になってしまった精霊のマナを覚えているエルフはどれだけいるのだろう。


 それとも魂や種族としての血にでも、その感覚が刻み込まれているのだろうか。


 マナの話題になったからか、リリアーヌ嬢の目線がこちらに向く。


 基本俺は魔法の講義をしない限り、相槌を打つか楽譜を弄っているくらいなのに。


「ギルフォード。イーユさんってどんなマナをしているの?」


「言われると思った。……普通のマナは黄緑色。量が多くても、人間が持っているマナや空気中のマナはこれ。ルサールカさんのマナはちょっと荒々しい、深緑色。フェニクスのマナも深緑色に近い。……イーユさんのマナは、白い」


「白?」


「いや、これ本当にマナって呼んでいいのかわからない。でもイーユさんが魔法を使うとこの白いものが減衰するからマナなんだと思う」


 この説明に聞いてきたリリアーヌ嬢は意味がわからなかったのか首を傾げ。


 ルサールカとフェニクスはこちらを睨んできて。


 イーユは楽しそうに頷いている。


「ちなみに、量はどうですか?」


「……リリアーヌさんとルサールカさんがほぼ同じ。若干ルサールカさんが上、だと思う。イーユさんは……リリアーヌさんの三倍、くらい」


「三倍!イーユさんってそんなに素晴らしいのね!わたくしもレインの数倍あるからって喜んでいたけれど、世界は広いわ!ルサールカさんもハーフエルフだから凄いのね」


「……この場合、リリアーヌ様がエルフの血族に匹敵することが異常だと思います」


 イーユが楽しげに量の話題を挙げて、結果にリリアーヌがはしゃぎ。


 ルサールカが苦言を呈する。


 エルフの血族という話は抜きにしても、リリアーヌ嬢の素養は群を抜いている。フェニクスを呼び出せた時点でそれは疑いようがない。


「ルサールカは侍女である前に、わたしの護衛として選出しましたから。そのルサールカに匹敵する実力というだけで、エルフの中でも群を抜いていますよ」


「わたくし、そんな力があるなんて知らずに過ごしてきましたから。そう言われても未だに実感が薄くて……」


「フェニクスを呼べている時点で凄いですわ。ねー?ポッチャリ鳥さん?」


『こういう、種族。体型弄るの良くない』


 机の上に乗っていたフェニクスのことも撫で回すイーユ。やりたい放題だ。


 さっきまで真剣に国際問題について語っていたとは思えない。


 お茶会をして、オルゴールの音がして、魔法の談義をして。


 そんな些細な日常が、穏やかな時間が、ここにはあった。


 これからのことから目を逸らすように。


 俺たちから程遠い平穏という大事なものを手放したくないと叫ぶように、今の在り方を噛み締めていた。

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