第7話 2−2 聖女降臨

「あら。ではどうしてわたしとギルフォード様は同じクラスなのでしょうか?他国の人間ですから、わたしの国とは扱いが異なるとわかっていても、重要という言葉の意味を考えてしまいますね」


 清らかな水を思わせる透明な声。澄んだ水のような厳かな声。そこまで大きな声ではないのに、ホールの全てを支配してしまうような海を思わせる声。


 誰もがその可愛らしい声の人物へ目を向ける。ホールの奥に近い場所なのに、その二人組が入場したことにも、誰も注目していないことも異常に映った。


 赤髪で長身の従者は、声も出さずメイド服のまま主人の三歩後ろで待機。


 そして主人たる、青髪で切れ長の耳をした少女──エルフの国から留学でやってきた、国最大の来賓ゲストと言うべき──イーユが全ての注目を集めていた。


 それまで他の者と談笑していた者も。出された料理に舌鼓を打っていた者も。場にそぐわず令嬢を口説いていた者も。顔の良い貴族に口説かれて頬を染めていた者も。大儀式のために準備を進めていた者も。指示を出していた者まで。


 全員が、イーユという十代半ばにしか見えない少女に、注視させられていた。


 目の前で相対したローゼンエッタ侯爵は文字通り狼狽していた。侯爵という王族を含んでもこの国で三番目の家柄であったとしても、格が違いすぎるとその身で、全身で感じてしまった。


 彼も五十年近く貴族の世界で生き抜いてきた智謀に長けた男である。それが、目の前の少女に確実に勝てないという思いが脳裏を支配していた。


「……イーユ様」


「御機嫌よう、ローゼンエッタ侯爵。お会いするのは二度目ですね?以前とお変わりないご様子、安心致しましたわ」


「イーユ様も変わらず美しくいらっしゃる。どのような宝石もあなたを美しく見立てられないでしょう。あなたほど美しい方を見たことがありません」


「あらあら。そのようなお言葉は奥方に。わたしなどしがないエルフに過ぎませんから」


(どの口でそのようなことを!)


 侯爵はこの場から逃げ出したかった。まだ自国の王と接している方がマシだった。王は気心知れる人物。雑談程度なんてことなく終わらせることができる。それだけの信頼関係を築いてきたという自負もあった。


 だが目の前の少女は。エルフの国という得体の知れない国の、王族ともなれば話は別だ。


 全てを見透かしていると思える二対の瞳に心臓を掴まれてしまったら。


 最早彼は大貴族の一人ではなく、海を知った蛙となってしまうほど。


「リリアーヌ様も、御機嫌よう」


「御機嫌よう、イーユ様」


 リリアーヌとも挨拶を交わしたイーユは、やはりローゼンエッタ侯爵へ向き直る。


 発言を聞いていてどう思ったか、はどうでもいい。怒りも何も感じないまま、自然体で立っているイーユが侯爵にとっては酷く恐ろしかった。


 十五の少女だと聞いていた。


 だというのにこうして話してみてその言葉が示す言葉のなんと意味のないことか。


 目の前の人物は海よりも深く、大樹よりもしっかりとした、遥かな人生経験を積んだ自然そのものと相対しているようだった。


「侯爵様。わたしは他国から遊びに来た放蕩娘です。ですが、ギルフォード様を軽んじられるのは腹も立ちます。学友が罵られていることを悲しまないほどわたしは非人間ではありません」


「イーユ様と、ギルフォードが学友……?」


「ご存知ありませんでしたか?同じクラスで、話が合うのですもの。友になってもおかしくはないでしょう?」


(バカな⁉︎アレのことは確実に隔離したはずだ!たとえイーユ様に家名がないとはいえ、そのようなミスを学園長がやらかすなど……!)


 侯爵は内心で焦る。学園長とは旧知の仲で、ギルフォードのためにあれこれ骨を砕いてくれたのだ。もちろんイーユのことも伝えてある。


 だというのにイーユとギルフォードが同じクラスだなんて初耳だった。


「もしあなたが何か工作をしたと言うのなら。来年はそのようなことをしないでいただきたいのです。せっかくの学園生活ですもの。大人の都合に振り回されず、子供たちへありのままの青春を送らせてみてはいかがですか?」


 これは提案という名の脅しだ。色々と細工をしたのは侯爵の方。これでイーユを怒らせたとなればエルフの国がどう出るかわからない。


 侯爵の行いが大国との戦争の引き金になったとなれば、家は取り潰しになりかねない。エルフの国は情報が少な過ぎて、どう出るか予想が付かないのだ。


 ただ、イーユと従者のルサールカの実力は知っていた。エルフが魔法の化け物だということを国の上層部は把握していた。


 たった一発の魔法で平原に小さな村ぐらいは入ってしまうような大穴を開け、そんな大魔法を使っておきながらケロッとしている相手に、強気でいられるわけがない。


 研鑽を積んできた大貴族ですら、そんな魔法を使えば確実に倒れる。


 もしくは、そんな威力の魔法を使えない。


 王族と従者はそれを容易にしてみせた。その結果を見て下手に出ることを決めていた。


「姫殿下。私はローゼンエッタの名にかけて、これ以上学園に干渉することはやめましょう」


「今はそれが限度でしょうね。ええ、ギルフォード様の扱いには思うところもありますが、他家の事情には首を突っ込みません。……もしあなたの手に余ると言うのであれば。彼をエルフの国で引き取ることも吝かではありません」


 その言葉に当事者の侯爵はもちろん、近くで聞いていたリリアーヌも、従者でありイーユ側であるはずのルサールカまで驚きで表情を変えていた。


 妾の子とはいえ、大貴族の三男を引き取る。養子で引き取ることは国内や、親交のある他国ならあり得なくはない話だ。しかしエルフの国はここ数ヶ月でようやく国交が開かれた程度の関係。


 それで高貴なる青い血を引き抜くなどという大それたことを言われるなど、想像もつかなかった。


「……ご冗談を、姫殿下。ギルフォードは人間ですぞ?」


「エルフの国と言っても、母数が多く王族がエルフというだけで人間はいます。ルサールカがハーフエルフなように、人間とも共存した国ですよ」


「息子を、手放す親もおりますまい」


「……そうですか。出過ぎたことを申しました。ローゼンエッタ侯爵」


「いえ。申し訳ありません姫殿下。やるべきことを思い出しましたので、これで失礼させていただきたく。姫殿下も、リリアーヌ嬢も。儀式の前の歓談をお楽しみください。それでは」


 有無も言わさず侯爵は身を翻して会場から去っていく。その後ろ姿をイーユは見つめてからリリアーヌへ話しかけた。


「リリアーヌ様。ご迷惑でしたでしょうか?」


「いいえ、助かりましたイーユ様。侯爵のことは嫌いではないのですが、ギルフォードのことになると……」


「侯爵にも立場や思惑などあるのでしょう。最後の言葉は本当だったようなので」


 イーユは侯爵の姿を思い出しながらそう答える。イーユは王族だからか、話せば言葉の真贋は容易に読み取れた。


 ちなみに。リリアーヌとレインは既にイーユがエルフの王族だと知っている。


 表舞台ではこうしてイーユを立てているが、イーユの要望で例の部屋では対等に話すことを義務付けられた。


 これには従者を除く全員が適応されており、つまるところギルフォードも強制参加である。その際ギルフォードは胃の辺りを抑えていたが、それは睨みを利かせていたルサールカのせいでは断じてない。


「あの、イーユ様?ギルフォードのことはどこまでご存知で……?」


「髪に隠された奥の瞳は、知っています。本人には告げていませんが。髪の毛で目を隠そうなんて土台無理な話なんですよ」


 禍罪だということを知っている。つまり侯爵が息子であるギルフォードを嫌う理由がそれだと気付いているということ。


「エルフの国でも有名ですからね。彼を引き取ったとしても問題は出てくるでしょう。それでも彼がこの国から出たいと願えば、最大限の譲歩をするつもりでしたが」


「今が良い環境とは言えないですからね……」


 一人の少年を思って交わされる二人の淑女の会話。


 これに加わろうとする男も少なからずいたのだが、イーユとリリアーヌのあまりの美しさに躊躇している。


 それと、ルサールカの睨みが牽制の域を超えていて怖いために壁があるかのように近付けなかった。


 そんな一種異様な空間が出来上がっていたホールに、第二王子の声が響く。


「お待たせしました。本日のメインプログラム、聖女降臨の儀を始めたいと思います!」

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