第2話 プロローグ2 召喚
「お嬢様。本当にあの男を信用されるのですか?」
夜も更けた頃。わたくしの部屋に入ってきたレインがそう問う。今日はギルフォードと外に行く予定なので寝間着を着ずに外着を着たままベッドに腰をかけていた。
先ほどまで様々な学術書を読み、その上これからのことを考えているからか、興奮して眠気なんて全く訪れていなかった。
その興奮状態を自覚しながらも、表情が険しいレインの言葉に頷く。
「ええ。あの男がどのようにわたくしたちを見ているかわかりませんが、これで本当に魔法がきちんと使えるようになればわたくしも公爵家の人間として責務を全うできます」
「……それで、何を詠び出すつもりですか?」
「
周りの人間にも、貴族たちにも、家族にも。これ以上見縊られたり迷惑をかけるわけにはいかない。それだけこの十五年で重ねた負債は大きくなりすぎましたわ。
ですから、それを払拭するにはそれに相応しい対価が必要。
不死鳥なんてそれこそ最高級の結果でしょう。
焔を纏った真紅の体躯。強力な焔を用いて一騎当千の実力を持ち、その生き血を飲めば不老不死になれるという存在。
何故か召喚で詠び出せる存在であることが様々な書に記載されているというのに誰もその姿を見たことがないという摩訶不思議な存在。ギルフォードの話が本当なら、わたくしには不死鳥を詠べるだけのマナを保持していることになる。
召喚なんて魔法の才能に左右されるとされてきたけれど、本当にわたくしがレインの六倍ものマナを持っていれば召喚できる可能性が高いのです。
それに詠び出すのであれば、可愛い存在がいいですわ。不死鳥が可愛いかはわかりませんが。
「お嬢様が浮かれていることには何も言いませんが。あの男は良くない噂が多いのです。お気を付けを」
「調べたの?」
「はい。ローゼンエッタの三男とお嬢様が同級生だと話せば、家を挙げて調べていただけました。妾の子であることも、ローゼンエッタでまともな扱いを受けてこなかったことも、社交界デビューをしていないことも全て事実でした」
「そう。わかったわ。ご苦労様」
「……それでも今夜、お会いになられるのですね?」
レインは心配してくれるが、そこは変わらない。ギルフォードがどんな人物であっても、今夜連れ出してもらって一つの魔法を試す。それはわたくしの中での決定。わたくし付きのメイドであるレインには拒絶できない。
もちろんわたくしの家であるヒュラッセイン家では夜間の外出なんて厳禁ですわ。夜に活動する魔物もいるのだから、社交界など何かしらの理由がなければ外出なんて許されないのだけれど。
今日だけは、家のルールを破ります。
「では私はお嬢様の護衛をしっかりと務めます。……あの男、まさか正面から来ませんよね?」
「そこまで非常識とは思いませんが。でもどうやって来るつもりでしょう?この家の警備は相当強固ですのに」
貴族としては最も位が高いために、その屋敷ともなれば警備が厳重なのは当然のこと。正門にも裏門にも警備員がいて、屋敷の中でも使用人が巡回している。屋敷の周りには魔法による結界もある。
そんな状況でどうやってギルフォードは来るつもりなのかしら?
そんなことを考えていると、窓をノックする音が。カーテンで締め切っているので外の様子はわからないのですが、音は確実に外から。屋敷内に通じるドアからの音ではありません。
レインと視線を合わせて、レインが警戒しながらカーテンを開ける。
するとそこにいたのは、学校の時と同じ服装をしたギルフォードがヒラヒラと手を振っていた。
……ここ、大きな建物の三階ですわよ?
「お嬢様……」
「開けてあげて。どうやってここに来たのかしら?」
わたくしが許可を出して窓の鍵を外して、開ける。夜風が冷たいと思いながらレインが数歩下がると、ギルフォードは窓のサッシにも足をかけないまま部屋の中へ入って来ました。
というか、浮いてる?
「夜分に失礼致します、リリアーヌ様。お迎えに上がりました」
「ありきたりな呼称ですわね。それで、それは何?」
「飛行魔法です。ちょっと訓練をすれば、このように空の散歩なんて意のままに」
飛行魔法は上級の上、超級に位置する使用できる者が少ない希少魔法の一つ。それを自然なまま使うなんて、相当訓練したのでしょう。しかも、幼い時から使っていたのですね。
羨ましい。そして純粋に凄いと思った。
「屋敷の結界はどうしましたの?」
「結界に認証された人間は素通りさせるタイプの結界でしたので、魔法の術式に介入して認証させました。なので今後私が来ても魔法の効果で弾かれたり警報がなることはないかと」
「そんなこともできるのね。ギルフォード、あなたって本当は凄いの?」
「いえいえ。下賎な身には過分なお言葉です。やっていることは犯罪そのものですし」
「そうですね。今後お嬢様の寝室に近寄った場合、排除します」
わたくしは結界の術式に介入して無力化したことを純粋に褒めたのだけれど、ギルフォードは謙遜するし、レインはそんなギルフォードを蔑むような目線で見下すし困ったものだわ。
あ、でも。ギルフォードにわたくしの寝顔が見られるのかもしれないのね。それは恥ずかしいわ。かといってすぐにお父様に結界を変えるよう進言しても怪しまれるだけでしょうし。
ギルフォードが紳士なことを祈りましょう。
「二人とも仲良くね。それでギルフォード。わたくしたちは正門から外に出ればいいのかしら?」
「その必要はありません。このまま空から行きましょう」
「……わたくしたちは飛行魔法なんて使えませんが?」
「相手にかけることもできますので。お嬢様が悪い道化に連れ去られるにはピッタリな魔法かと思いますよ?
空を飛ぶ魔法のどこがピッタリ?
……ああ!
「飛行と非行をかけているのですね?ギルフォードにはジョークのセンスもあるなんて素晴らしいわ!」
「……あの、レイン殿?リリアーヌ様は普段からこのような?」
「ええ。お嬢様の感性がズレているのは昔からです」
あら?なんだか二人が仲良くなったみたいに同じ表情をしています。何か感じ入ることでもあったのでしょうか。
それにしてもギルフォードは本当に多才で羨ましいですわ。わたくしは魔法の習熟に
「ギルフォード。どうやって飛べばいいの?」
「今魔法をかけます。『天使の羽をここへ──エンジェルフェザー』」
わたくしとレインに黄色い力が膜のように覆い被さります。それを受けて本能的にどう飛べばいいのかわかるようになり、ギルフォードに続いて窓から出てみました。
すると、どうしたことでしょう。本当に空の上に立っているではありませんか。
空の上に立つなんて初めての経験で、頭の上一面に広がる星々の夜空と一際明るい月に、身体全身で感じる夜風の冷たさ。何もかもが初めてで思わず両手を広げて辺りをクルクル回ってしまいました。
「ふわぁ……。本当に空の上にいます。この魔法、持続時間は?」
「かなりマナをかけましたので、三時間ほどは大丈夫かと。屋敷に戻るまで十分保つでしょう」
「それは良かった。それで、召喚はどこでするの?」
「拓けた場所を用意してあります。そちらへ移動しましょう」
空を飛んだまま向かったのはこの王都でも外れの山の上にあった広場のような場所。そこは夜ということもあって人気も魔物の気配もなかった。
魔物も王都の近くまではなぜかやって来ないのです。いても群れからはぐれた個体がうろついている程度で、中級魔法が使えれば苦戦することもないので、この辺りは安全ですわ。
「ここなら誰の目にも留まらないでしょう。リリアーヌ様。召喚魔法については調べてきましたか?」
「もちろんです。いつでもいけますわ」
「では全力で魔法にマナを込めてください。いつも通りに魔法を使っていただければそれだけで成功します」
召喚魔法は自分で魔法式を構築して、詠び出したい存在の名前と文言を唱えることで発動する魔法。
わたくしが魔法を発動しようと力を込めると、広場一面に広がる幾何学模様の魔法式が地面に浮かび上がりました。
召喚魔法を使ったことはありませんでしたが、これを本当にわたくしが……?
「ギルフォード、お前が何かしたのか⁉︎」
「いいえ、レイン殿。あれはリリアーヌ様の実力です。あんな規模の魔法式を用意できるのだから、中級魔法は平凡、初級魔法については失敗してしまうのでしょう。それだけ彼女の力は逸脱している」
「だからってここまで……!魔法式は魔法の階級に依存する!召喚魔法は詠び出す存在ごとに魔法式が異なると言うが、ここまでの規模だと何が出てくるかわからないではないですか!」
レインの叫びの通り、こんな巨大な魔法式は見たことがなかった。だから危険だと叫ぶのもわかる。
それでもギルフォードの顔を見ると、落ち着いたまま頷いていた。ならば大丈夫ということでしょう。
わたくしはそのまま詠唱に入る。
「『いませ、いませ。清浄なる焔を宿す神秘なるお方。誓いをここに。わたくし、リリアーヌ・ケイン・ヌ・ヒュラッセインが告げる。汝、世界の守護者足らん不死鳥よ。我が意に応え顕れよ!──
魔法式が紅く燃える。その火が段々と中心に集まり、鳥の形を形成していく。
そのシルエットは周りの木よりも大きく。優雅な翼を持ち、華麗な尾があり。
何やら胴体がずんぐりむっくりとした──?
「あら?」
「……フクロウ?にしては顔はシュッとしている、ような?」
「似た鳥では
「待ちなさい、ギルフォード!お嬢様の詠び出したあのちょっと太った鳥が不死鳥だと⁉︎そんなバカなことがあるか!」
「では聞いてみれば良い。召喚した存在は自分の名前を契約者には偽れませんから」
真っ赤でとても大きな椋鳥を見て。レインがギルフォードの胸ぐらを掴みながら喚いているのを珍しいと思いながら、わたくしも気になったので尋ねてみます。
下から顔を覗き込むと、相手も目線を合わせてくれました。あら、可愛い。
「あの。あなたは不死鳥で間違いありませんか?」
『その通りだ、我が主人よ。不死鳥フェニクスとは我のこと』
「なるほどなるほど。ギルフォード。書物の記載と見た目が違うのはどういうことです?」
「この鳥の姿が不死鳥だって言って誰が信じます?あまり召喚されない存在ですし、夢を壊さないために召喚した人たちが事実を隠したのでしょう。イズミャーユ教も隠蔽に協力しただけの話では?世界最大宗教が協力すればそれくらいは楽にできるかと」
「一番ありえそうな推察ですわね」
宗教の力は強いですもの。不死鳥の姿を美化もするでしょう。
それにこの不死鳥、案外可愛い声で我とか言っちゃうのはギャップが凄くて可愛いです。この子を召喚できたのは当たりでしたわ。
「フェニちゃん。あなた、小さくなったりできますか?」
『……フェニちゃん?』
「はい。あなたの名前です。できたらずっと召喚しておきたいですけど、あなた大きいのですもの」
『……できなくはないが』
フェニちゃんは不満げながらも、わたくしの肩に乗れるほどの大きさに縮んでわたくしの腕の中に収まります。あ、暖かい。ヌクヌクとした体温が堪りませんね。
「いやー、おめでとうございます。これでリリアーヌ様は超級魔法を使えることが確認できたわけですが。私の言葉は正しかったでしょう?」
「ええ、まさしく。ありがとう、ギルフォード」
「……あの、お嬢様?その、フェニクス?飼うのですか?」
「もちろんよ、レイン。これから一緒に暮らすわ」
「……旦那様になんと言えば……」
「そのままフェニクスを召喚したと言えば良いのでは?不安ならフェニクスに戦わせればいいだけですし。そこらの魔法使いなんて一蹴できますよ」
『ああ。それくらいはできるぞ。禍罪の男が言う通りだ』
「……はい?」
まがつみ、の、男?この場には男はギルフォードしかいません。
フェニちゃんはギルフォードの顔を見ながらそう言いましたが、まがつみ……。禍罪?
ギルフォードが?
「あの、ギルフォード?もしかしてその両目は、漆黒なのですか?」
「あー……。フェニクスがバラしてしまったので、見せますよ」
ギルフォードはその重い前髪を上へ搔き上げると、見えたのはどこまでも闇が続いていそうな漆黒の瞳。
この世界に漆黒の瞳を持つ者はほぼいない。いても極少数で、その上濡羽色の髪をしている者は特別な蔑称で呼ばれる。
それが禍罪。
いるだけで不幸を呼び起こす、悪しき存在。どう不幸を呼ぶのかわからないですけど、禍罪の人間は魔物を引き寄せるとも言われています。もしくは魔物の同類とも。
「……私が両目を隠していた理由もわかったでしょう?これからあなた方は私に関わらない方がいい。今夜屋敷まで送り届けたら、私のことなど忘れてください。というか、見逃していただきたい。もし伝承の通り魔物を引き寄せるのであれば責任を持って私が倒します。なのでそれまでは、静かに暮らしたいのです」
ギルフォードがそう言った後、わたくしたちは何も言わずに屋敷へ戻りました。部屋に着いた途端ギルフォードは目で追えない速度で空を駆けていなくなり、わたくしも寝間着に着替えてフェニちゃんを抱いたまま眠りに着きました。
その次の日。
わたくしはまたレインを連れて、肩にはフェニちゃんを乗せて。第三校舎の三階の角部屋へ向かう。今日も名前の知らない悲しい旋律に導かれてその部屋を訪れる。
相手の許可も貰わずに部屋に入ると、その部屋の主は驚いた表情をしていましたわ。目が見えなくても、頬の表情筋でどのような顔をしているのか推察できます。
「リリアーヌ様……?あの、どうしてまたここに?」
「あなたのタネも仕掛けもある、ありふれた
「確かにそのようなことを昨日言いましたが、アレはリリアーヌ様の実力を率直に述べただけでして」
「あら?わたくしはあなたのジョークセンスを買っています。ですので、面白い
わたくしが椅子に座る前にレインが椅子を引いて座らせてくれる。そのままレインは持ってきていたティーセットの用意もしてお茶とお菓子の用意を始める。
ここに居座る気満々だと言動で示すと、ギルフォードは一歩引いていた。
「あの、俺は禍罪なんですよ?何でそれを知って、平然としているのです?」
「伝承なんてあやふやなものですわ。フェニちゃんもこんな姿ですし。これはこれで可愛いですけれど」
『突かないで。痛い』
「禍罪なんて誰が流したのかわからない噂よりも、わたくしのことを見抜いたギルフォードという個人を大切な友人として接しようと思っただけですわ。それに何か不服でもあります?」
「……いいえ、ありませんとも。姫」
最初に会った時のように、恭しくお辞儀をするギルフォード。そのギルフォードはお辞儀をしたのと同時にフェニちゃんの頭に赤い花を差していた。
あら、いつの間に。本当に手品を見せてくれるとは思いませんでしたわ。
「これ、アマリリス?まあ、フェニちゃんにピッタリ」
「でしょう?人に秘密を喋るおしゃべりには良いアクセントかと」
「それで今どうやってやりましたの?」
「なんてことのない初級魔法ですよ。お辞儀と同時に隠していた左手でアマリリスを用意して、風の初級魔法でフェニクスの頭に乗せただけです」
「魔法式が全く見えませんでしたわ。やはりあなたの魔法技能は相当高いようですわね。このままあなたに魔法の教師になってもらおうかしら?」
「ご冗談を」
「いいえ、本気ですわ」
「お茶が入りました、お嬢様」
これからこの小さな部屋で始まる穏やかな日常。
それを思うと、ギルフォードの禍罪なんてやっぱり嘘だったのではないかと思う。
彼はただの、ギルフォードなのだと。わたくしはこの後本気で彼をお抱えの道化師として雇おうかと思うほど彼に興味を持つ。
この先この感情が変わるなんて、思いもしなかった。
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