第2話 洞窟採掘

 ひたすらに森を歩いていくと、やがて木々がまばらになり、少し開けた場所に出た。そこには、半円形の小さな湖があった。それは、森のささやかなオアシスのひとつで、白い水鳥がぷかりぷかりと気持ちよさそうに浮かんでいる。


 湖の縁には、少し斜めに傾いた古い杭に縄がかかっており、一艘の小舟を繋ぎ止めていた。エルナたち専用の小舟だ。ずいぶん昔に、エルザが用意したものだそうで、今ではすっかり年季が入って、ところどころ削れている。小舟の中には、同じく古びた二本の櫂が無造作に投げ出されていた。


 半円形の弧の部分である向こう岸は剥き出しの崖になっており、その中央部にはぽかりと黒い穴が開いていた。そこが目指して来た洞窟だった。まるで行く手を阻むかのように、洞窟の前には湖が横たわり、回り込んで崖を上ったとしても、そこから洞窟へ降りることは困難だ。洞窟へ行くには、どうしても湖を小舟で渡るしかなかった。


 エルナが足を踏み入れると、小舟がぐっと斜めになる。傾かないように急いで乗り込み、揺れる小舟の上でしばしバランスをとる。ある程度揺れが収まってから、クロミツが軽々と飛び乗り、そのあとにチャチャが続いた。陸と舟とを結ぶ縄を外し、少しざらついた櫂を握ると、思い切って水に落とす。そうして、ゆっくりと感覚を思い出すように、エルナは櫂を前後に動かした。小舟が水の上を滑り始める。優雅に泳いでいた水鳥は、自然な動作で方向を変えて、無粋な闖入者から離れていく。


「水の上を泳ぐのも優美よね」


 櫂を漕ぐエルナの邪魔にならないよう、風船帽の上に移動していたマシロが、ゆったり泳ぐ水鳥を見て、うっとりと呟いた。

 岸につくと、エルナは櫂を横たえて置いた。舟に括り付けられた縄を掴むと、慎重に移動して、これまた斜めに打ち付けられた杭に縄を巻き付けた。


「ふう」


 額に微かに滲んだ汗を手の甲で拭ってから、洞窟へ向き直る。

 クロミツとチャチャも陸へと飛び移り、エルナの両脇を固めた。

 マシロはパタパタと飛んで、再びエルナの肩にとまった。エルナは風船帽を籠に入れると、ランタンを取り出し、素早く火を灯す。


「さあ、いよいよ洞窟だよ!」


 自分を奮い立たせるように、元気よくそう言って、エルナは階段のように削られた足場を数段上り、真っ黒い口を開ける洞窟の中へ一歩踏み出した。

 数歩先も見えぬ真っ暗闇の中、ランタンを突き出すように掲げながら、エルナは慎重に足を進める。頼りないランタンの灯りだけでは心許ないのだが致し方ない。

 洞窟内はじめじめとした空気が充満していて、心なしか息苦しい。先の見通せない漆黒の闇と、暗くて見えもしない壁や天井が徐々に迫ってくるような感覚も相まって、そう思ってしまうのかもしれないが。


 時折、ぴとぴとと音を立て、天井から滴りしたた落ちてくる雫が、伸ばした腕や、頭などに当たると「ひゃっ」っと妙な声を漏らして、思わず立ち止まってしまう。祖母がいたときは、ランタンは二つあったし、先頭にはエルザが立って誘導してくれていたので、そこまで恐怖を感じなかったのだが、妖精動物たちがついてくれているとはいえ、主導しているのは自分だからなのか、心細くて仕方がない。


(こわがっている場合じゃないんだ。私がしっかりしなくちゃ)


 自分にそう言い聞かせて、エルナは一度立ち止まり、目を閉じてから大きく息を吐いた。


(これからは、これが当たり前なんだから)


 ほんの少し胸が疼いたが、目を開けてから再び歩き出す。


「本当、暗いわねぇ。当たり前だけど」


 マシロはエルナの頬に体をふわりと寄せた。暗闇が怖いのか、わずかに震えている。妖精とはいえ、小鳥であるマシロは鳥目なので、暗いのが苦手なのだ。


 そのときだ。


「ねえ、何か変なのにおいがするよ!」


 隣を歩いていたチャチャが突然大きな声を出した。その声が、思った以上に洞窟内に反響するので、エルナはぎょっとしながらも、ランタンをチャチャのいるあたりに向ける。チャチャはくんくんと地面のにおいを嗅ぎながら、鼻を洞窟の奥へと向け、


「この先から!」


 と興奮気味に答える。


「どんなにおいなの?」


 マシロが問うと、チャチャはまたも地面に鼻を擦り付けるようにして動かしたあと、わずかに自信のない声を出した。


「うーん……えっとね、人? みたいな?」


「人だと?」


 今まで闇に紛れて存在を消していたクロミツが、怪訝そうな声を出した。


「先客がいるってこと?」


 エルナはランタンを奥に向けた。この先に人がいるということだろうか。今まで何度かエルザと採掘に来ているが、そんなことは一度もなかった。


(誰だろう……)


 同業者だろうか。だが、ファーレンの村にあるアムシャー工房は、エルナの所属する工房、つまり〈アルメン工房〉しかないのだ。豊かな恵みのあるファーグナーの森だが、大陸の中でも西の外れにある。他の村や街からは距離があるため、わざわざここまで採掘に来るとは考えにくい。イーリアは、水と緑の溢れる、非常に恵まれた大地を持ち、至る所に、素材集めできる採集場所が点在しているからだ。では、洞窟の先にいるのは一体誰なのだろう。


(野盗とか……?)


 ファーレンの村付近で、野盗が出たことはエルナの知る限りない。大きな街に繋がる街道などで襲われた話ならば、商人や旅人がエルザと話しているのを聞いたことがあるので、存在はしているのだろうが、エルナにとっては物語の中の登場人物という方がしっくりくる。


 エルナの趣味は読書だ。本はなかなか手に入らないが、誕生日などお祝い時に買ってもらった本を何度も繰り返し読んでいる。だからか、ついつい物語と現実を混同してしまったりする。今も、エルナの想像の翼が大きく羽ばたこうとしていた。


(傷ついた野盗かも。商人の荷馬車を襲ったはいいけれど、荷馬車の中には屈強な用心棒がいて、返り討ちにあって。命からがらここまで逃げてきて、洞窟に身を隠した……そして、今まさにこの奥で、自分の服を裂いたりなんかして、傷口に応急処置を……)


 逞しい想像力が、洞窟の奥の人物が野盗だと決めつけてしまったとき、チャチャが我慢しきれず、走り出した。


「おい、チャチャ! エルナ、ぼーっと突っ立ってないで、追いかけろ! あいつ、暗闇の中、突進していく気満々だぞ」


「え!」


クロミツの声で現実に引き戻されたエルナは、無謀にも闇の中を走っていくチャチャに目を走らせる。


「ま、待って、チャチャ! 危険!」


 明かりも持たず、闇そのものの洞窟を走れば、いつ壁にぶつかってもおかしくはない。大きな岩や石ころだって転がっているのだ。それに、もし奥にいるのが野盗だとすれば、非常に危険だ。野盗は盗みだけでなく、人の命を奪う者もいる。


「止まってよ、チャチャ!」


 だが、エルナの叫びも虚しく、チャチャの姿が闇に紛れてしまった。


「もう! マシロ、しっかり掴まってて。クロミツ、行くよ!」


 ランタンを突き出しながら、エルナは小走りでチャチャを追った。


「あいつ、なに張り切ってんだか」


 クロミツは呆れたように呟き、四本脚を軽やかにかつ素早く動かしながら、なぜか興奮気味ににおいのもとを辿っていった仲間の後を追った。


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