眠れる森の翠玉姫 ~目覚める黒髪の王子様~
雨宮こるり
プロローグ
全ての大地は、全知全能の神が創造された。
神により生み出されし五つの大陸は、それぞれ神の子らの守護下に置かれた。
東の国ヤマトは、勇敢なる火の神ファイエル。
西の国イーリアは、高潔なる水の神バサエル。
南の国タムは、聡明なる風の神ヴェンツェル。
北の国シェリアンは、偉大なる地の神ボードゥエル。
中央大陸エンガリアは、祝福の女神セングレーネ。
地上には光が満ち、そこに息づく全ての命あるものは、等しく神に愛される。
◇◇◇◇
森には歌うような小鳥たちの声が響いていた。木々の隙間から差し込む光は、辺りを優しく包み込む。時折、吹いてくる風は、そっと葉を撫でていく。
そんな森の中、いつものようにお気に入りの小籠を腕から下げて散歩をしていた少女は、木の根元で心細げにしゃがみこむ少年を見つけた。見事な銀色の髪が風でふわふわと頼りなげに揺れている。
まるでおとぎ話に出てくる妖精のように儚げで美しかった。
おそるおそる近づいてみると、目の周りと鼻の頭が赤くなっており、どうやら泣きはらしたようだった。
急に心配になって、思わず屈み込んで声を掛ける。
「どうかしたの?」
少年は顔を上げ、宝石のように輝く瑠璃色の双眸を少女に向けた。
「……森を出たいんだ。迷ってしまって。案内してくれる?」
少年は少し顔を逸らすと、乱暴に袖で顔を拭った。きっと涙を見られたくないのだろう。
「いいよ。ついてきて」
そう言って、先導するように歩き出す。
不意に隠しの中にあるキャンディのことを思い出した。立ち止まってから手を突っ込み、がさごそと探す。ようやくキャンディの包み紙を探し当てると、くるりと振り返り、きょとんとする銀髪の少年に差し出した。
小さな手のひらの上で、赤い包み紙のキャンディがころりと転がる。
少しの間、不思議そうにキャンディを見つめていた少年だったが、はっとしたように視線を移し、少女の顔をまじましと見つめた。
「イチゴ味のキャンディなの。とってもおいしいよ」
にっこり笑いかけると、そろそろと手を伸ばし、少年はようやくキャンディを受け取った。
それから、きらりと輝く瑠璃色の瞳を少女に向ける。
「ねえ、君の名前は?」
「エルナ。あなたは?」
「僕は……ヴィー」
ヴィーと名乗った少年は、しばらく口を利くことなく、ただただ少女の顔に見入っていた。
その視線に恥ずかしくなって俯くと、少年はおもむろに片膝を地面につき、強引に右手を取って、そのまま少女の手の甲を自分の額に押し当てた。やや俯いて、聞き取れないくらい小さな声で何事かを呟いてから、ようやく額から遠ざける。一拍置いて、今度はくるりと手を返す。
青い宝石がきらっと日の光を反射した。右手の薬指に嵌めた指輪だった。彼はその指輪に埋め込まれた青い宝石にそっと口づける。
それから、またも握った手をひっくり返し、先程、額に寄せていた手の甲に優しく唇で触れる。
その瞬間、彼の口と少女の手の甲の間に、青く光る小さな魔法陣が浮かび上がった。海のような色の光が辺りを包み込む。だが、ほんのわずかな時間だった。それは、あたかも幻であったかのようにすぐさま消失してしまったのだ。
出会ったばかりの少年の、全く予想もしていなかった唐突な行動に、ただただ目を丸くしていると、少年は熱に浮かされたような目を向けて来た。
「約束だ。いつか必ず迎えに来る。それまで待っていてくれる? 僕の愛しい人」
「……?」
「必ず、迎えに来るから」
咄嗟のことに答えられずにいると、少年は握った手を放さぬまま、ゆっくり立ち上がった。
「僕のこと忘れないで。絶対に、君を迎えに来る。僕の大切なエルナ」
木漏れ日を受けて、銀色の髪が透き通るように輝く。
瑠璃色の瞳が強い光を宿したまま、少女をまっすぐ見つめていた。
彼の握る手にぎゅっと力が籠る。
まるで王子様のようだった。
おとぎ話に出てくる、素敵な王子様。
そのあとのことはひどく不鮮明だ。
突如現れた見知らぬ少年が、「やっと見つけた!」と言うや否や、あっという間に王子様を連れ去ってしまったから。
突然の出会い、突然の別れ。
すべてが夢の中のできごとのようだった。
だけれど、夢ではない。
日の光を受けて輝く銀色の髪も、その宝石のように美しい瑠璃色の瞳も。
この手を握りしめた少し大きな男の子の手も。
すべてがすべて、本物だったのだ。
その日から、森で出会った銀色の髪の少年が、エルナの心に住み着いた。
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